6月の末には咲いていなかったアジサイが満開になっている。
この石碑が周囲のアジサイの花にうずもれて、浮き上がって見える。
境内には赤・青・水色・紫色のアジサイが咲き競っている。
左:境内の奥まった基段の上に、五輪塔が三つ中・大・小と並んでいる。
右:その墓標の手前に名前の刻まれた石碑が建っている。左の端が源頼光公御母堂とある。我が息子の名の付くお寺を菩提寺として、ここに眠っている。
当地の源氏は、清和源氏である。
第56代清和天皇の第六皇子貞純親王の子・経基王(つねもとおう)が源の姓を貰って、清和源氏の一族がスタートした。(他にも嵯峨源氏・宇多源氏などもある)
源経基は第六皇子の子で清和天皇の孫になる。従って彼は六孫王と呼ばれ、京都八条千本通り付近(東寺の北西)を住居としていた。今も六孫王神社として残っている。
彼の長男が満仲である。満仲はやがて摂津守になり、兵庫県川西市の現在の多田神社に居を構えた。
満仲の嫡子が頼光である。頼光は多田の地を継ぎ、多田源氏と言われた。
ちなみに、頼光の弟に頼信(よりのぶ)がいる。頼信は河内守となり、羽曳野市に居を構えて河内源氏となる。この末裔たちが、頼朝であり義経である。
ところで、源頼光には大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)の鬼退治の伝説が「お伽草子(おとぎぞうし)」に書かれていて、よく知られている。
戦前に巷間で歌われた童謡にはこの鬼征伐の全容が読み込まれている。歌うことのできる方は戦前生まれの方かも知れませんね。
境内の裏庭の泉水には紫陽花が映える。
紫陽花の花が雪崩れている。
さて、この白い花は見事である。シロヤマブキである。
普通の山吹色は黄色なんだけれども、そのヤマブキとは一線を画する種類で、シロヤマブキ属に入る。黄色のヤマブキは花びらが5枚であるに対し、シロヤマブキは花びらが4枚である。
大田道灌に出てくるヤマブキは八重咲きであろう。これは実がつかない。シロヤマブキはしっかりと実がなる。
左:ナデシコの赤や白が美しく可憐である。
右:この濃い黄色はキンシバイ(金糸梅)である。
ビョウヤナギと同じ仲間でオトギリソウ科の植物である。両者ともに、ヒペリカムと呼ばれる。
ビョウヤナギは花弁が細長くて隙間が大きく空き、オシベが異常に長い。
どんな花が咲くのだろうか。大変落ち着きを取り戻せそうな風情でした。
この石碑が周囲のアジサイの花にうずもれて、浮き上がって見える。
境内には赤・青・水色・紫色のアジサイが咲き競っている。
左:境内の奥まった基段の上に、五輪塔が三つ中・大・小と並んでいる。
右:その墓標の手前に名前の刻まれた石碑が建っている。左の端が源頼光公御母堂とある。我が息子の名の付くお寺を菩提寺として、ここに眠っている。
当地の源氏は、清和源氏である。
第56代清和天皇の第六皇子貞純親王の子・経基王(つねもとおう)が源の姓を貰って、清和源氏の一族がスタートした。(他にも嵯峨源氏・宇多源氏などもある)
源経基は第六皇子の子で清和天皇の孫になる。従って彼は六孫王と呼ばれ、京都八条千本通り付近(東寺の北西)を住居としていた。今も六孫王神社として残っている。
彼の長男が満仲である。満仲はやがて摂津守になり、兵庫県川西市の現在の多田神社に居を構えた。
満仲の嫡子が頼光である。頼光は多田の地を継ぎ、多田源氏と言われた。
ちなみに、頼光の弟に頼信(よりのぶ)がいる。頼信は河内守となり、羽曳野市に居を構えて河内源氏となる。この末裔たちが、頼朝であり義経である。
ところで、源頼光には大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)の鬼退治の伝説が「お伽草子(おとぎぞうし)」に書かれていて、よく知られている。
戦前に巷間で歌われた童謡にはこの鬼征伐の全容が読み込まれている。歌うことのできる方は戦前生まれの方かも知れませんね。
境内の裏庭の泉水には紫陽花が映える。
紫陽花の花が雪崩れている。
さて、この白い花は見事である。シロヤマブキである。
普通の山吹色は黄色なんだけれども、そのヤマブキとは一線を画する種類で、シロヤマブキ属に入る。黄色のヤマブキは花びらが5枚であるに対し、シロヤマブキは花びらが4枚である。
大田道灌に出てくるヤマブキは八重咲きであろう。これは実がつかない。シロヤマブキはしっかりと実がなる。
左:ナデシコの赤や白が美しく可憐である。
右:この濃い黄色はキンシバイ(金糸梅)である。
ビョウヤナギと同じ仲間でオトギリソウ科の植物である。両者ともに、ヒペリカムと呼ばれる。
ビョウヤナギは花弁が細長くて隙間が大きく空き、オシベが異常に長い。
どんな花が咲くのだろうか。大変落ち着きを取り戻せそうな風情でした。