北海道を縦断して、稚内までの道路が、塩狩峠越えで出来たのが、明治31年の事でした。
手塩と石狩の国境の塩狩峠を挟んで、開拓も遅れたに違いない。
鉄道が敷設されたのも、道路に遅れること1年で、比布町を通過し、ここから更に北へ進み、稚内に至ります。
塩狩峠の国道が整備されたのは最近の事。三浦綾子の「塩狩峠」で全国に知られるようにもなりました。
広い立派な国道は、峠からは和寒(わっさむ)町に入ります。
国道40号線の紹介の表示板があった。
峠の頂上に塩狩駅がある。
出発信号機が赤になっている駅の構内の向こうは、旭川方面に向って坂を駆け下りる線路です。
待避線のレールが見える。ここに列車を突っ込ませて、列車の暴走を防ぎます。
左:上り線(旭川方面)は坂を下ります。
右:下り線(稚内方面)も坂を下ります。
2枚ともプラットホームが判るでしょうか。
ちょうど運よく稚内行の各停のデイーゼルカーが駅で止まった。乗降客もなく、対向する列車もなく、やがて出発した。
それでも、2輌編成のデイーゼルは、重量感を示しながら、轟音と共に眼前を通り過ぎて行きました。
この場所が、非番だったが乗車していた国鉄職員、長野氏が暴走を止めようとして線路に横たわり車輌を止めて殉職した地です。
三浦綾子著「塩狩峠」の小説が生まれた原点の地です。
殉職した線路が見える。
手塩と石狩の国境の塩狩峠を挟んで、開拓も遅れたに違いない。
鉄道が敷設されたのも、道路に遅れること1年で、比布町を通過し、ここから更に北へ進み、稚内に至ります。
塩狩峠の国道が整備されたのは最近の事。三浦綾子の「塩狩峠」で全国に知られるようにもなりました。
広い立派な国道は、峠からは和寒(わっさむ)町に入ります。
国道40号線の紹介の表示板があった。
峠の頂上に塩狩駅がある。
出発信号機が赤になっている駅の構内の向こうは、旭川方面に向って坂を駆け下りる線路です。
待避線のレールが見える。ここに列車を突っ込ませて、列車の暴走を防ぎます。
左:上り線(旭川方面)は坂を下ります。
右:下り線(稚内方面)も坂を下ります。
2枚ともプラットホームが判るでしょうか。
ちょうど運よく稚内行の各停のデイーゼルカーが駅で止まった。乗降客もなく、対向する列車もなく、やがて出発した。
それでも、2輌編成のデイーゼルは、重量感を示しながら、轟音と共に眼前を通り過ぎて行きました。
この場所が、非番だったが乗車していた国鉄職員、長野氏が暴走を止めようとして線路に横たわり車輌を止めて殉職した地です。
三浦綾子著「塩狩峠」の小説が生まれた原点の地です。
殉職した線路が見える。