小説「塩狩峠」の作者三浦綾子さん夫妻の旧宅が移設され記念館となっています。
駅の背後の丘の上にあります。
シラカバやミズナラの林の中にそれは建っています。
旭川にあった住まいを彼女の「塩狩峠」の作品にちなんで、駅の傍に再建したものです。
夕陽が西に傾き、4:30の閉館時間に間に合いませんでした。
「塩小売所」が懐かしい。塩もかつては専売局が国の独占事業として、販売店が指定されていましたね。米も煙草もそうだった。
横の丘の雑木林の中に、逍遥路があり、綾子と夫の光世の歌碑が点々と並んでいます。
多くの病苦から回復した彼女は、夫の三浦光世との切ない青春の1ページでした。
光世も十分に応えられる、繊細な心の持ち主でありました。
幸せなひと時もそう長くはありませんでした。彼女への病魔が再び襲ってきた時、光世は妻の口述筆記をするのが日課になりました。そして1999年(平成11年)綾子の旅立ちを見送りました。
時たま通過する列車の音を除けば、静かな雑木林です。
駅の背後の丘の上にあります。
シラカバやミズナラの林の中にそれは建っています。
旭川にあった住まいを彼女の「塩狩峠」の作品にちなんで、駅の傍に再建したものです。
夕陽が西に傾き、4:30の閉館時間に間に合いませんでした。
「塩小売所」が懐かしい。塩もかつては専売局が国の独占事業として、販売店が指定されていましたね。米も煙草もそうだった。
横の丘の雑木林の中に、逍遥路があり、綾子と夫の光世の歌碑が点々と並んでいます。
多くの病苦から回復した彼女は、夫の三浦光世との切ない青春の1ページでした。
光世も十分に応えられる、繊細な心の持ち主でありました。
幸せなひと時もそう長くはありませんでした。彼女への病魔が再び襲ってきた時、光世は妻の口述筆記をするのが日課になりました。そして1999年(平成11年)綾子の旅立ちを見送りました。
時たま通過する列車の音を除けば、静かな雑木林です。