日光いろは坂を登る途中に「明智平」がある。
明智光秀が徳川の世になっても生き残り、天海和尚と言う名で徳川家康に仕えたと言います。
天海和尚は日光東照宮の増改築に関わった僧正である。
だから、陽明門や鐘楼などには、明智の家紋の桔梗が彫られている、と言う。
また、3代将軍家光の乳母「春日の局」が光秀の家臣・斉藤利三の娘であった。
さらに、家光の光は、光秀の光だったとまで言われると、眉唾ですね。
以上のことなどから、天海和尚が明智平の名を付けたと言うのが由来らしい。
ロープウエイは明智平から展望台まで繋がっています。
雲に隠れた男体山が目の前で、素晴らしい展望です。左に見える道路は「いろは坂」です。
「あそこまで行くと、眼下に中禅寺湖や戦場ヶ原までが、一望できるよ」と指差して話しています。
左:すでになくなってしまったケーブルの山上駅跡です。ここからバスに乗り換えて二荒山神社・中禅寺へお参りです。
右:ケーブル・ロープウエイの路線図です。昔は馬返まで、東照宮から電車が走っていました。
明智光秀が徳川の世になっても生き残り、天海和尚と言う名で徳川家康に仕えたと言います。
天海和尚は日光東照宮の増改築に関わった僧正である。
だから、陽明門や鐘楼などには、明智の家紋の桔梗が彫られている、と言う。
また、3代将軍家光の乳母「春日の局」が光秀の家臣・斉藤利三の娘であった。
さらに、家光の光は、光秀の光だったとまで言われると、眉唾ですね。
以上のことなどから、天海和尚が明智平の名を付けたと言うのが由来らしい。
ロープウエイは明智平から展望台まで繋がっています。
雲に隠れた男体山が目の前で、素晴らしい展望です。左に見える道路は「いろは坂」です。
「あそこまで行くと、眼下に中禅寺湖や戦場ヶ原までが、一望できるよ」と指差して話しています。
左:すでになくなってしまったケーブルの山上駅跡です。ここからバスに乗り換えて二荒山神社・中禅寺へお参りです。
右:ケーブル・ロープウエイの路線図です。昔は馬返まで、東照宮から電車が走っていました。