前回の泉南市の見事なノダフジでしたが、このノダと言うのは地名だと思います。
野田藤は大阪の野田の地の藤だと思い続けていました。で、一度は訪ねてみたかった。この機会に…と出かけてきました。
JR環状線の野田駅をでて、東へ約800m、地下鉄千日前線「玉川」駅東へ700m。
春日神社の境内に、地域からも大切に育てられていました。
第二次大戦で、一面焼け野が原になり、神社も縮小されて、ばらばらになっていました。メインの春日神社です。
生活道路を挟んでマンションの空き地にまで藤棚が出来ていました。ここの花穂は5尺くらいはありそうです。
玉川二丁目の標識がある。
「眺むれば 紫煙る 玉川の 昔も今も 野田藤の里」 保存会の人の短歌でしょうか。
左:野田藤の由緒が書き出してある。足利二代将軍もここの藤を愛でています。大阪市福島区の花「のだふじ」です。
右:第二次大戦で、焼けるまでの春日神社の写真です。
昭和7年に、植物学者牧野富太郎が、野田藤を調査にに来ています。
花はやや疎だが、花穂が長いですね。
傍らに立札があり、、大阪市の顕彰文化財になっています。雨ざらしで読みにくいですね。
花をよく見ると、やっぱりこれはマメの種類ですね。舌状花弁といいますか。
ここのは姿かたちが大変すっきりとしています。
直ぐ近くの寺院の軒瓦は藤の紋が入っています。この辺りは応仁の乱や本願寺と信長の戦いの時には悲惨な運命をたどっています。
野田藤は大阪の野田の地の藤だと思い続けていました。で、一度は訪ねてみたかった。この機会に…と出かけてきました。
JR環状線の野田駅をでて、東へ約800m、地下鉄千日前線「玉川」駅東へ700m。
春日神社の境内に、地域からも大切に育てられていました。
第二次大戦で、一面焼け野が原になり、神社も縮小されて、ばらばらになっていました。メインの春日神社です。
生活道路を挟んでマンションの空き地にまで藤棚が出来ていました。ここの花穂は5尺くらいはありそうです。
玉川二丁目の標識がある。
「眺むれば 紫煙る 玉川の 昔も今も 野田藤の里」 保存会の人の短歌でしょうか。
左:野田藤の由緒が書き出してある。足利二代将軍もここの藤を愛でています。大阪市福島区の花「のだふじ」です。
右:第二次大戦で、焼けるまでの春日神社の写真です。
昭和7年に、植物学者牧野富太郎が、野田藤を調査にに来ています。
花はやや疎だが、花穂が長いですね。
傍らに立札があり、、大阪市の顕彰文化財になっています。雨ざらしで読みにくいですね。
花をよく見ると、やっぱりこれはマメの種類ですね。舌状花弁といいますか。
ここのは姿かたちが大変すっきりとしています。
直ぐ近くの寺院の軒瓦は藤の紋が入っています。この辺りは応仁の乱や本願寺と信長の戦いの時には悲惨な運命をたどっています。