うちの実家は、今でも下水はないし、都市ガスも来ていない。そういうわけもあって、ワシが中学2年くらいまでは、なんと、風呂は、かまに薪を燃やしてお湯を立てていた。お風呂は五右衛門風呂の原理で、そのまま入ると熱いので、板を沈めて入る。
その当時は家も狭くて、3DKで狭いキッチンに家族4人が固まってご飯を食べていた。父親は教師で、わりと早く家に帰ってきたから、いつも家族4人でご飯を食べていた。キッチンのすぐそばに風呂の釜があって、火が燃えていたから、冬は非常に暖かかった。
風呂の火はだいたいワシが起こして、近所の里山で拾ってきた薪を燃やす。風呂が冷めてくると追加で薪を燃やす。冬は寒くて、薪を燃やすとことのほか暖かいから全然苦にならない。キッチンには石油ストーブもあって、そこでぎんなんやするめを焼いて食ったりした。父親はキリンの瓶ビールをいつも毎日1本飲んでいた。
ほどなくして、ソーラーを導入したので、釜は廃炉になった。ワシの仕事は一つ減った。もう釜の風呂に入ることはないが、なんだか懐かしい。死んだ父親が懐かしいのと同じくらい。何を思い出しても故人を思い出して寂しくなるのだ。困ったものである。