人事関係の記事を読んでいたら、こんなことが書いてあった。人間は元来社会的な生き物だから、存在感を認めてもらえないと辛い。
翻って、わが身を思うと、生まれて50年近くなるが、ほとほと影が薄い。影が薄い歴が長い。
思えば、中学のときは月曜日の朝練習で、監督がワシの顔を見て、「そうか。おまえか!」と叫んだ。前夜、メンバー表をこさえているとき、どうしても一人合わなかったらしい。ワシが抜けていたのだ。
また高校のときは、最後の引退試合に出してもらえなかった。そのとき、監督が試合後にワシに丁重に謝っておった。なんと、3年生は全員出すつもりだったが、ワシを忘れておったのだ。
こんなのばっかりである。今もそう。
ところが。これほど、影薄い歴が長いと、これが普通になって、つらくもなんともない。逆に、万一脚光を浴びることになると、調子が崩れると思う。
情けがないが、それがワシの、も・ち・あ・じ。