今日はセンター試験らしい。某サッカーサイトで、ときどきチャットする高校生も、今日は試験らしい。
20年以上昔、ワシらの頃は、共通1次試験で、5教科7科目も受験して、にわか仕込の暗記事項で、脳みそはパンク寸前であった。日本史なぞ、翌日にはすっかり忘却のかなたに消えたものだ。
ところで、昭和58年1月に、2回目の共通1次試験を、都立小山台高校で受けたとき、PL学園なみの奇跡が起きた。今考えても、神霊が降りてきて、乗り移ったとしか考えられない(べつに変な宗教にこっているわけではない)。
ふだん、200点満点で、せいぜい140点くらいしか取れなかった国語で、何と、193点も取れたのだ。漢文で、1設問間違っただけであった。試験受けているときから、何かへんな感じであった。 解いていて、答えが見える感じであった。直前によく、予備校の講習会のノートを見て、問題集を解いたのがよかったようで、まさに、「ボールが止まって見える」状態であった。
後日、その当時は、平均点と最高点が公表されたのだが、最高点は193点であった。その年、ワシは、生まれてはじめて、そして、人生最後の、全国の頂点に立ったのであった。
その講習会の予備校の先生は、「国語の問題を解くのはテクニックだ。朝日新聞を毎日穴が開くほど読んでも点は取れない」と断言していた。まさにその通りであり、このブログの文章を読めば、実際、たいした国語力でないことは歴然である。
20年以上昔、ワシらの頃は、共通1次試験で、5教科7科目も受験して、にわか仕込の暗記事項で、脳みそはパンク寸前であった。日本史なぞ、翌日にはすっかり忘却のかなたに消えたものだ。
ところで、昭和58年1月に、2回目の共通1次試験を、都立小山台高校で受けたとき、PL学園なみの奇跡が起きた。今考えても、神霊が降りてきて、乗り移ったとしか考えられない(べつに変な宗教にこっているわけではない)。
ふだん、200点満点で、せいぜい140点くらいしか取れなかった国語で、何と、193点も取れたのだ。漢文で、1設問間違っただけであった。試験受けているときから、何かへんな感じであった。 解いていて、答えが見える感じであった。直前によく、予備校の講習会のノートを見て、問題集を解いたのがよかったようで、まさに、「ボールが止まって見える」状態であった。
後日、その当時は、平均点と最高点が公表されたのだが、最高点は193点であった。その年、ワシは、生まれてはじめて、そして、人生最後の、全国の頂点に立ったのであった。
その講習会の予備校の先生は、「国語の問題を解くのはテクニックだ。朝日新聞を毎日穴が開くほど読んでも点は取れない」と断言していた。まさにその通りであり、このブログの文章を読めば、実際、たいした国語力でないことは歴然である。
豪雪地帯練馬区に住んでいるので、雪には強い。
難なく、雪かきをこなした後、娘の送り迎えもばっちりだ。夜は、雪見酒としゃれ込むか。
それにしても、…。だいじょうぶなんでしょうか。
明日はハーフマラソンを走るんですが!
今日(19日)の日経の夕刊のコラム「こころの玉手箱」(小柴昌俊)に出てくる、小柴先生なじみの大塚の居酒屋というのは、ここのことである。
朝永振一郎と小柴昌俊のノーベル賞のふたりが飲んでいたという、この居酒屋、ワシもよく行ったものだ。安くて、なかなかである。
この店を知ったのは、駿台の奥井先生の最後の授業でだった。「成人したら、ぜひ行ってみて下さい」といわれたが、なかなか行く機会がなく、はじめて行ったのは、つい3年ほど前のことである。
はじめて行ったとき、おかみさんに、その話をしたら、とても懐かしがられた。先生はだいぶまえに亡くなられていたのだ。とりあえず、奥井先生の定番だったという「白鷹」で友人と杯を重ねたが、酒も肴も旨くて、ホントいい店なのだ。
従業員のかたのしつけがいいのも、おかみさんの人柄のたまものなのだろう。久しぶりに行ってみたいが、難点は、たいがい飲みすぎて、足腰がふにゃふにゃになり、帰りがたいへんになることだ。
朝永振一郎と小柴昌俊のノーベル賞のふたりが飲んでいたという、この居酒屋、ワシもよく行ったものだ。安くて、なかなかである。
この店を知ったのは、駿台の奥井先生の最後の授業でだった。「成人したら、ぜひ行ってみて下さい」といわれたが、なかなか行く機会がなく、はじめて行ったのは、つい3年ほど前のことである。
はじめて行ったとき、おかみさんに、その話をしたら、とても懐かしがられた。先生はだいぶまえに亡くなられていたのだ。とりあえず、奥井先生の定番だったという「白鷹」で友人と杯を重ねたが、酒も肴も旨くて、ホントいい店なのだ。
従業員のかたのしつけがいいのも、おかみさんの人柄のたまものなのだろう。久しぶりに行ってみたいが、難点は、たいがい飲みすぎて、足腰がふにゃふにゃになり、帰りがたいへんになることだ。
1/28、29…名古屋方面遠征 (ニャホニャホ同道) |