笠松からの帰り道。
今日に始まったことではないのですが、金山駅も随分と変わりました。
金山駅も私が高校へ通学していた頃のような無機質な面影は全く無く、今や毎日のように夜になっても明るい光に満ちて、若者が集い、また帰宅途中のサラリーマンやOLがせわしなく行き交っております。
そういえば、学生時代にボーリングに対抗心を燃やしていた友人がおりました。
いつも”なにやらかにやら”とつまらないものを賭けて、それなりに毎回盛り上がったものです。
まあ実力はほぼ互角。
二人で投げる時は、だいたい勝ったり負けたりのくり返し・・・・・だからこそ面白かったのですが。
しかし・・・それが、第三者が入ったとき。。。例えば飲み会の帰りとか、大勢で集まってボーリング大会なんかをやったときは、不思議とほとんど私が勝ってしまうのです。
それは社会人になってからも同じで、彼と二人でボーリングをやる時は互角なのに、昔の仲間と集まったりして投げる時は。。。なぜか私が勝ってしまうのです。(笑)
だから、他の周りの友人達(二人が対抗していることを知っている方々)としてみれば、私の方が上?。。。という評価だったようです。
その友人としては”自分の方が上手い”と思い込んでいるらしく、いつもなにやらそれらしい理由をつけて言い訳しておりましたね。。。(笑)
確かに彼の方がベストのハイスコアーは上(200オーバー)であったように記憶しておりますし、アベレージも上だったような気はします。
ようは彼が勝つときは大差勝ちで、もつれて接戦になると私が勝っていたのでしょうね。
それをよく知っている私としては、まあ彼の言い訳を認めないでもないのですが、それでも”俺の方が上手い!”なんて周りに吹かしまくられるといい気はしないものです。
評価をする他の人間がいる時に勝てないっていうのは・・・
”それが実力ってことだろーっ!”
っていつも思っていました。(爆)
いまさらこの歳になってそのときの感情をどうこうって言うつもりはさらさら無いんですが、あれから二十余年あまり、大学時代に体育会でやっていたホッケー競技をはじめ、それから数々の真剣勝負を戦ってきたそのときに、私はいつでもその頃に感じていた彼に対するこの考え方を心に留めていたような気がしますね。
思えば、”実力”って、調子が絶不調のときにいかに踏ん張れるか!!ってところでしょう?
それが世間が認める”強さ”であり、その競技をやっている人のその競技における”価値”だと思うのです。
絶好調の時ならば、この私にだって?たまたまその道のプロに勝てることかあるかも知れません。
けれどどう考えたって、それが”私の実力”とは誰も思わないでしょう。
例えば、野球で言えば、たまたま谷間のローテーションのピッチャーが”絶好調”で見事に完封勝利を収めることだってあるのです。
逆にエースだって負けることはある。
でも、エースは年間通じて必ず10勝以上はするでしょう。
でも谷間のローテの投手は、せいぜい2~3試合は良くても長くは勝ち続けられません。
それは、本当に実力のあるエースと呼ばれる投手は、”調子が悪い時”にも何とか相手をそこそこ抑えて踏ん張ることができる力があるから。
苦しくても、最悪には崩れない。
その時に出せる最低限の力、それが”実力”。。。だと思います。
絶好調の時は。。。誰だって物凄い集中力が出て思わぬ好結果が生まれることもあるでしょうが、それは決して本当の実力とは言えません。
しかしながら実力を語るとき、同じ「できない」であっても”Can not””であるかどうかということはまた重要です。
ようは、絶好調の時であれ、”最高の力を出せた時”に勝つ力があるか。。。という点でしょうか。
野球の話ばかりで恐縮ですが、全く素人のピッチャーにプロのチーム相手に完封できるか?、っていうとそれは完璧に無理な話です。
それは完全に「できない」話です。
まさしく”Can not”。
もしかしたら、ポッと出の高校生ルーキーにも、それはあてはまるのかも知れません。
しかし、たまたま新人の年にでも一回でも一軍で完封勝利を挙げることができたならば、彼がたとえそれから十年間勝つことが「できない」ピッチャーであっても、彼はもう”Can not”のレベルのピッチャーではないと言えます。
その発揮できる力の振幅(上下の幅)には個人差があるでしょうが、その最高点の力が発揮できた時に勝利を収めることができるレベルに持っていくことが、まず競技者にとっては第一の関門のように思います。
そうでなければ、勝負にならない。
ファンからお金を取って”魅せる”プロであれば、それはなおさらのこと。
実力不足であるにせよ、まずそのレベルに持っていくことが大切でしょう。
また、その関門を突破する(一度でも勝利する)ことができたならば、それはその競技者にとっても自信となり、さらなる上への道が一気に拡がってくるのでありましょうし。
昔の話ばかりで恐縮ですが。。。
昔話のついでに・・・・・、(笑)
これは社会人になってからのことでありますが、新入社員のころは今度はビリヤードに嵌まっておりました。
玉突きってヤツです。
今から十五年ほど前の話になりますが、刈谷の新富町に”WEST CLUB”ってプールバーがありまして、会社帰りは毎日のように同僚達とそこに入り浸って玉突きに興じておりました。
(今でもあるのかな?)
そこはアメリカンスタイルのお店で閉店時間が決まっておらず、最後のお客がいなくなるまで営業する。。。というお店。
思えば、今の時代では考えられないくらいの超不経済的な営業形態です。(笑)
それだけバブリーな時代だったのでしょうね。
そこで毎晩のように、バーテンダーが”もう帰ってくれ”と言わんばかりに店内の掃除を始めちゃうくらいまで、ワンドリンクで深夜まで皆と粘ってました。(笑)
そのころ流行っていたのが”ハスラー2”って映画。
もちろん、やっていたのは”ナインボール”。
だから、ビリヤードには今でも少し自信があります。
少なくともボーリングよりは。。。(爆)
それから四年ほど経ち、関東に転勤になってからはほとんどやらなくなりましたが、それでもたまに関東の同僚と”ビリヤード場”←(その頃にはプールバーは既に廃れてました(笑))に行きました。
「私、ちょっとは自信があるんだよ。。。」
な~んて毎回”いっちょマエ”に周りに自慢なんかしておりましたが、ある時アルバイトの高校生を連れて行ったときのこと。
たまたまその日は、な~んと!いかにも初心者のその高校生の男の子に負けてしまいました。
9番玉だけが・・・・・、入らなかったんだなぁ~。。。(さっきの話が嘘のような言い訳?(爆))
そのとき彼に言われた言葉。
「たいしたことないね。。。」
ムカーーーーー!!!!!(笑)
その時私が彼に言った言い訳。。。
”ナインボールはね、運みたいなところもあるんだよ。”
↑(オイオイ!)
”だから100回やって70回勝つのが上手い人なんだ。”
↑(私って一体?(笑))
”だから10回くらいの勝負じゃ、たまたま5~6回は負けることもあるんだよ。”
↑(完全にヤなヤツ?(爆))
ハァ・・・・・、人間なんてララ~ラララララ~ラ~♪(拓郎風?)って感じ?ですね。
負けは負けです。
真剣勝負に言い訳はしなくても、こんなとことで妙にムキになってしまった私です。
今度、馬頭観音にでも手を合わせて来ようかな。。。
でも考えてみれば、競馬はいつでも一発勝負。
勝負を左右する不確定要素が多いがゆえに、実力通りに決まらない勝負の切なさをも感じさせます。
それでもそこには必ず勝者と敗者が存在し、優勝馬と優勝騎手は最高の栄誉が与えられ、そして大舞台では歴史に燦然と名前が刻まれる。
そこには人の人生をも投影しているかのような錯覚と、そこにカタルシスをも感じさせるものなのかも知れません。
ただいくら儲かった。。。ということだけではなく、そんな勝負の刹那の魅力が競馬にはあると思います。
実力か?展開か?
・・・・・それは永遠か?刹那か?を選択するようなもの。
特に地方競馬のファンは、そういった究極の選択を毎日やっているように思えてきました。
やればやるほど、わかればわかるほどに、、、ね。
そしてファンは今日も、自分ではなく、他人の勝負に”お金”と”思い入れ”を賭ける。
地方競馬へ行こう!!
それでは、また。
今日に始まったことではないのですが、金山駅も随分と変わりました。
金山駅も私が高校へ通学していた頃のような無機質な面影は全く無く、今や毎日のように夜になっても明るい光に満ちて、若者が集い、また帰宅途中のサラリーマンやOLがせわしなく行き交っております。
そういえば、学生時代にボーリングに対抗心を燃やしていた友人がおりました。
いつも”なにやらかにやら”とつまらないものを賭けて、それなりに毎回盛り上がったものです。
まあ実力はほぼ互角。
二人で投げる時は、だいたい勝ったり負けたりのくり返し・・・・・だからこそ面白かったのですが。
しかし・・・それが、第三者が入ったとき。。。例えば飲み会の帰りとか、大勢で集まってボーリング大会なんかをやったときは、不思議とほとんど私が勝ってしまうのです。
それは社会人になってからも同じで、彼と二人でボーリングをやる時は互角なのに、昔の仲間と集まったりして投げる時は。。。なぜか私が勝ってしまうのです。(笑)
だから、他の周りの友人達(二人が対抗していることを知っている方々)としてみれば、私の方が上?。。。という評価だったようです。
その友人としては”自分の方が上手い”と思い込んでいるらしく、いつもなにやらそれらしい理由をつけて言い訳しておりましたね。。。(笑)
確かに彼の方がベストのハイスコアーは上(200オーバー)であったように記憶しておりますし、アベレージも上だったような気はします。
ようは彼が勝つときは大差勝ちで、もつれて接戦になると私が勝っていたのでしょうね。
それをよく知っている私としては、まあ彼の言い訳を認めないでもないのですが、それでも”俺の方が上手い!”なんて周りに吹かしまくられるといい気はしないものです。
評価をする他の人間がいる時に勝てないっていうのは・・・
”それが実力ってことだろーっ!”
っていつも思っていました。(爆)
いまさらこの歳になってそのときの感情をどうこうって言うつもりはさらさら無いんですが、あれから二十余年あまり、大学時代に体育会でやっていたホッケー競技をはじめ、それから数々の真剣勝負を戦ってきたそのときに、私はいつでもその頃に感じていた彼に対するこの考え方を心に留めていたような気がしますね。
思えば、”実力”って、調子が絶不調のときにいかに踏ん張れるか!!ってところでしょう?
それが世間が認める”強さ”であり、その競技をやっている人のその競技における”価値”だと思うのです。
絶好調の時ならば、この私にだって?たまたまその道のプロに勝てることかあるかも知れません。
けれどどう考えたって、それが”私の実力”とは誰も思わないでしょう。
例えば、野球で言えば、たまたま谷間のローテーションのピッチャーが”絶好調”で見事に完封勝利を収めることだってあるのです。
逆にエースだって負けることはある。
でも、エースは年間通じて必ず10勝以上はするでしょう。
でも谷間のローテの投手は、せいぜい2~3試合は良くても長くは勝ち続けられません。
それは、本当に実力のあるエースと呼ばれる投手は、”調子が悪い時”にも何とか相手をそこそこ抑えて踏ん張ることができる力があるから。
苦しくても、最悪には崩れない。
その時に出せる最低限の力、それが”実力”。。。だと思います。
絶好調の時は。。。誰だって物凄い集中力が出て思わぬ好結果が生まれることもあるでしょうが、それは決して本当の実力とは言えません。
しかしながら実力を語るとき、同じ「できない」であっても”Can not””であるかどうかということはまた重要です。
ようは、絶好調の時であれ、”最高の力を出せた時”に勝つ力があるか。。。という点でしょうか。
野球の話ばかりで恐縮ですが、全く素人のピッチャーにプロのチーム相手に完封できるか?、っていうとそれは完璧に無理な話です。
それは完全に「できない」話です。
まさしく”Can not”。
もしかしたら、ポッと出の高校生ルーキーにも、それはあてはまるのかも知れません。
しかし、たまたま新人の年にでも一回でも一軍で完封勝利を挙げることができたならば、彼がたとえそれから十年間勝つことが「できない」ピッチャーであっても、彼はもう”Can not”のレベルのピッチャーではないと言えます。
その発揮できる力の振幅(上下の幅)には個人差があるでしょうが、その最高点の力が発揮できた時に勝利を収めることができるレベルに持っていくことが、まず競技者にとっては第一の関門のように思います。
そうでなければ、勝負にならない。
ファンからお金を取って”魅せる”プロであれば、それはなおさらのこと。
実力不足であるにせよ、まずそのレベルに持っていくことが大切でしょう。
また、その関門を突破する(一度でも勝利する)ことができたならば、それはその競技者にとっても自信となり、さらなる上への道が一気に拡がってくるのでありましょうし。
昔の話ばかりで恐縮ですが。。。
昔話のついでに・・・・・、(笑)
これは社会人になってからのことでありますが、新入社員のころは今度はビリヤードに嵌まっておりました。
玉突きってヤツです。
今から十五年ほど前の話になりますが、刈谷の新富町に”WEST CLUB”ってプールバーがありまして、会社帰りは毎日のように同僚達とそこに入り浸って玉突きに興じておりました。
(今でもあるのかな?)
そこはアメリカンスタイルのお店で閉店時間が決まっておらず、最後のお客がいなくなるまで営業する。。。というお店。
思えば、今の時代では考えられないくらいの超不経済的な営業形態です。(笑)
それだけバブリーな時代だったのでしょうね。
そこで毎晩のように、バーテンダーが”もう帰ってくれ”と言わんばかりに店内の掃除を始めちゃうくらいまで、ワンドリンクで深夜まで皆と粘ってました。(笑)
そのころ流行っていたのが”ハスラー2”って映画。
もちろん、やっていたのは”ナインボール”。
だから、ビリヤードには今でも少し自信があります。
少なくともボーリングよりは。。。(爆)
それから四年ほど経ち、関東に転勤になってからはほとんどやらなくなりましたが、それでもたまに関東の同僚と”ビリヤード場”←(その頃にはプールバーは既に廃れてました(笑))に行きました。
「私、ちょっとは自信があるんだよ。。。」
な~んて毎回”いっちょマエ”に周りに自慢なんかしておりましたが、ある時アルバイトの高校生を連れて行ったときのこと。
たまたまその日は、な~んと!いかにも初心者のその高校生の男の子に負けてしまいました。
9番玉だけが・・・・・、入らなかったんだなぁ~。。。(さっきの話が嘘のような言い訳?(爆))
そのとき彼に言われた言葉。
「たいしたことないね。。。」
ムカーーーーー!!!!!(笑)
その時私が彼に言った言い訳。。。
”ナインボールはね、運みたいなところもあるんだよ。”
↑(オイオイ!)
”だから100回やって70回勝つのが上手い人なんだ。”
↑(私って一体?(笑))
”だから10回くらいの勝負じゃ、たまたま5~6回は負けることもあるんだよ。”
↑(完全にヤなヤツ?(爆))
ハァ・・・・・、人間なんてララ~ラララララ~ラ~♪(拓郎風?)って感じ?ですね。
負けは負けです。
真剣勝負に言い訳はしなくても、こんなとことで妙にムキになってしまった私です。
今度、馬頭観音にでも手を合わせて来ようかな。。。
でも考えてみれば、競馬はいつでも一発勝負。
勝負を左右する不確定要素が多いがゆえに、実力通りに決まらない勝負の切なさをも感じさせます。
それでもそこには必ず勝者と敗者が存在し、優勝馬と優勝騎手は最高の栄誉が与えられ、そして大舞台では歴史に燦然と名前が刻まれる。
そこには人の人生をも投影しているかのような錯覚と、そこにカタルシスをも感じさせるものなのかも知れません。
ただいくら儲かった。。。ということだけではなく、そんな勝負の刹那の魅力が競馬にはあると思います。
実力か?展開か?
・・・・・それは永遠か?刹那か?を選択するようなもの。
特に地方競馬のファンは、そういった究極の選択を毎日やっているように思えてきました。
やればやるほど、わかればわかるほどに、、、ね。
そしてファンは今日も、自分ではなく、他人の勝負に”お金”と”思い入れ”を賭ける。
地方競馬へ行こう!!
それでは、また。