最近、ゴルフの同伴者には、初めに必ず心を込めたあいさつをしようと思うようになった。
それは上司だろうが同僚だろうが、まして部下や後輩であっても同じである。
「よろしくお願いします。」
それは、マナーとして今に始まったことでもないと思われるかも知れないが、改めて、自身の心からそう思うのである。
それは、相手に卑屈になるわけでも、傲慢になるわけでも、ましてや勝負の前の心理的作戦などではない。
もしかしたら、この日が自分にとって一生忘れられない唯一無二のラウンドになるかも知れない・・・、そう思えるようになったからである。
それは、いつでも同じだ。
もしかしたら、この日、自分の一生の中のベストスコアが出るかも知れない。
もしかしたら、この日、ホールインワンが達成できるかも知れない。
もしかしたら、この日、忘れられないスーパーショットが打てるかも知れない。
もしかしたら、この日がゴルフをやっていて一生忘れられない一日になる可能性だってあるのだ、と気付いたのである。
プロの競技などでは、選手は主催者や競技委員をはじめギャラリーなど、プレーひとつひとつに数多くの証人が存在している。
競技であるからして、当然だ。
たとえ、それがただ単なる記録媒体の数字に成り果てたとて、その一人一人のプレーが闇に葬り去られることはないだろう。
少なくとも、そのスーパープレーはギャラリーの記憶の中で生きる。
だた、自分のようなアマチュアゴルファーにとっては、その同伴者こそが、自分のプレーの証人たりえるもの。
もちろん、スーパープレーが出るとは限らない。
むしろ、何も無くただ悔しさだけが残るラウンドの方が断然多い。
ただ、その日、万が一の可能性しかないにしろ、自分が死ぬまで忘れたくないラウンドであったとしたら、その時の同伴者は自分にとってかけがえのない人になるに違いない。
それが、どんな身分のどんな関係の人間であろうと関係ない。
いつか、自分がそれを誇りを持って語れる唯一の方々でありえるのだから。
ひとりきりのラウンドで、ベストスコアを出して何が嬉しいか。
誰も証明する人のいないホールでホールインワンをして、どんな価値があるのか。
それこそ、ただの練習ホールの一コマに成り下がってしまうことだろう。
「よろしくお願いします。」
どんな年下の部下であろうと、まず帽子を取って最敬礼。
これは、卑屈でも傲慢でもなく、「よろしくお願いします。ちゃんと俺をみていろよ。」という、ある種自己の存在証明を願う気持ちも込められているように思う。
プロやアマ競技者にとってはただの練習ラウンドでも、自分達にとってはそれがゴルフの全てなのだ。
ものの価値は人それぞれであれ、何事も真剣にひとつのことをやろうと思うのならば、まずそこからだと考える。
少なくとも、自分の中での価値観が、そこで試されるものだと思う。
そんなものどうでも・・・・と思うのならば、その日のラウンドに対する価値も「そんなもの」にしか成り得ない。
それで良いなら、それもアリ。
ただ自分は最近、ゴルフの同伴者には、初めに必ず心を込めたあいさつをしようと思っている。