どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

どんこの空に。

2008-11-10 | 競馬余談

9日(日)、東京競馬場では「アジア競馬会議」なるものが行われたらしい。
日本で開催されるのは1985年以来だとか。
ただのギャンブルオヤジであるこの私にはよくわかりませんが、これは今や競馬社会は急速なグローバル化が進んでいおり、これからはワールドワイドな視点からの競馬の枠組みを作らなければならないというアジア競馬全体での取り組みを検討する会議なのでしょう。
パソコンなどの普及により、これだけ情報が溢れている昨今、ファンの視点もおのずと「世界の中の日本」という位置づけで競馬を捉えるようになってきていることも間違いのないことです。



いまやアジア各国では急速に競馬が発展してきています。
最近の国際交流競走での香港馬の強さにまず驚かされ、また内田利雄騎手が短期騎乗を行っている韓国の競馬場の施設の充実ぶりに驚かされ、はたまたシンガポールの競馬場のインタナショナルなレースの雰囲気に驚かされ・・・、もうアジア競馬は、決して後進国のそれとは異なるものとなりつつあるように思えます。
どこも国をあげて競馬の発展に取り組んでおり、その規範となってきたであろうこの日本でさえ、何もしなければ数年後はもしかしたら取り残されていくことにもなりかねないでしょう。
それだけ大きなお金が動く巨大ビジネスとして、アジア各国でも認識されているに違いありません。
また最近は、それがグリーンチャンネルなどで日本にもどんどん放映されるようになりました。
ファンも刺激を受けないはずはありません。



ファンの立場としてのアジアの競馬は、欧州のようなただの裕福層の優雅な遊びでもなく、また日本の地方競馬のようなギャンブルとしての競馬だけでなく、ワールドワイドな視点で一般市民が楽しめる一大エンターテイメントとなりつつあるのではないでしょうか。
最近ではディープインパクトやコスモバルク、その他数々の日本の名馬が世界に挑戦し、そのたびにファンは馬券を買えるはずもないのに関心を示し、テレビから応援して熱くなる時代です。
かつてシンボリルドルフなどが挑戦しに行った時代とは、ファンの目線も明らかに違うように感じます。(一部のコアなファンはいたでしょうが。)



当然のことながらJRAも、ただ指を咥えて見ているだけのはずもありません。
もしかしたら、アジアの国際競走が日本でも馬券が買える時代もすぐそこまで来ているのかも知れません。
(法律や為替の問題など、クリアする課題は多いですが・・・。)
いずれは世界規模のレベルへ・・・・・?
JRAが次に考えていることは、一体何なのでしょうか?
非常に、興味深いところです。
ここ最近のJRAは売上げ低迷が騒がれてはいますが、それは日本の競馬社会自体が衰退してるというわけでは決してないと思います。
どんどん時代は移り変わり、ファンの求めるところも変わっていく。
そしてそれは、当然のことながら競馬も変わっていかなければならないということでしょう。







はたしてそれには、まず日本国内の競馬体系や馬産地などの競馬社会全体の経済バランスの整備が急務のように思えます。
いくらJRAだけが頑張ったところで、生産や育成の充実が伴わなければ、幅広く、そして根強い競馬社会は生まれないでしょう。
当然、世界に通用する強い馬も生産されるようになりません。
また、アンバランスに底辺の狭い競馬社会では、馬産地の生産の充実など叶わない夢でありましょう。
そこまでJRAが面倒を見きれるとは到底考えられませんし、日本の馬産地が長い歴史を持って存在する以上、輸入馬だけに頼る香港のようなビジネスライクに特化した競馬社会が受け入れられるとも思いません。
地方競馬は、いまやその経済社会の構造的な位置づけから存続の危機に瀕してはいますが、日本の競馬社会という捉え方で考えた時、まだまだ重要な位置にあるのは間違いないことのように思います。



もし、このまま地方競馬の灯を消してしまったら、どうなるのか?
まず、馬産地の経済規模は間違いなく縮小してしまうでしょう。
そしてそれは、”何もしなければ”ゆくゆくは日本の競馬の根底をも揺るがすことにも繋がりかねないことです。
(それでもどんな形でさえ、競馬自体がなくなることはありえないでしょうが。。。)
そうなった時、キーは、やはりJRAが握っているように思えます。
いまや巨大な経済的怪物になってしまったJRAが、やすやすとそれを見届けるだけのはずもありません。
今のままの構造を何とか維持、発展させようと考えるのか、それとも古いものは切り捨てて新しい日本競馬の構造改革を推し進めようと考えるのか。
もともと生まれも、育ちも、基盤も違うJRAと地方競馬。
共存するのも、また切り捨てるのも、簡単でないことだけは確かなことです。








どんこの空を見上げながら、思う。
ここで行われている競馬は、何なのだろう。
目の前を馬が走る。
ジョッキーは必死の形相で馬を追う。
喜ぶ観客がいる。
嘆く観客がいる。
歓声、罵声、悲鳴。


そこには、名を馳せるリーディングジョッキーがいて、
玄人好みのテクニックのベテランジョッキーがいて、
それを負かさんとする若いジョッキーがいて。


エリートから落ちこぼれた馬も、その存在意義を示し、
エリートを目指す馬と、相まみえて頑張っている。


その影には、長けた調教師や厩務員が腕を競い合う。


それだけでいいじゃないか。
ふと、そんな脈絡のないことを思う。


その古びたスタンドには、輝ける数字を刻んだ名馬の記憶が歴史の中に眠っている。
人々の想いが詰まって、そこにある。


本当は、それだけのことでいいじゃないか。
ふと、そんな思いに駆られる。





でも、そうじゃない。
皆ひとりひとり、今を必死に戦っているのだ。
お金のために。
自分のために。
それが現実。


でもだからこそ、その灯は消したくないと余計思うのだ。










どんこの空を見上げながら、思う。


ここで行われている競馬は、
世界で行われている競馬と、何ら変わりはしない。。。













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