夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

黙示録16,17,18章と財政の崖、政府の借金1000兆弱

2012年12月28日 17時33分39秒 | 日記
 もともとこのブログは覚えの為にメモの積もりであった。先ほどふと閃いたことがあったので忘れないように書いておこう。無論後で、違った!と気が着くかもしれないが。

 黙示録の16,17,18章に”大いなるバビロン、地の淫婦らと憎むべき者との母”の倒壊終焉の様子が描かれている。その始まりは16章12節に”大いなる河ユウフラテが枯れる”と書いてある。昔、バビロンはユウフラテス河の中洲にあって要害堅固の空前絶後、眼も眩む栄華を極めた都市国家であったらしい。メディア・ペルシャはその河の流れを変え、バビロンを裸にして水門から城内に進入、バビロンを征服した。バビロンは一夜にして滅んだ。謂わばユウフラテスがバビロンを支えていた。
 黙示録言う”大いなるバビロン”は”七つの山の上に座す”とか”多くの水の上に座す”とか”淫婦たちの母”などと表現されている。前後を読んでみると、山とは政治的な機構を、水とは諸々の、民、群集、国、国言葉をあらわすと読める。・・・思うにこれに該当するものはキリスト教由来西欧啓蒙主義を先祖とする商業資本主義貨幣経済であろう。世界中どこを見ても”貨幣”を用いていない民族も国民も国もない。まあ、アマゾンには若干残っているかもしれないが、欲望充足貨幣経済は地上全域に浸透していてそれこそが諸悪の根源になっている。
 そして・・・・!欧州はもとよりアメリカも日本も今や中国も、カネに困っている、・・・状況はさまざまだが経済的に窮しているに変わりはない。窮していないまでもそれに飽くなき欲求は持っている。そして経済を動かす組織から借用している、それに頼っている、それを利用している・・・形式は色々あっても要は経済界にすがっているに変わりはない、だからそれを”乗せて”いる、それは野獣機構の背に乗っている。見たまえ、経団連は自民党勝利と見るや早速すり寄ったではないか。民主党勝利の時はすぐさま民主党に乗っかったぜ。しかし野獣つまり政治機構は最終的に借金を踏み倒す!荒れ廃れさせ、喰らい尽くす、と黙示録は言う。
 こうして世界を運転している燃料とその供給機構が崩壊する。世界は大混乱に陥る。その燃料供給機構は最早永遠に消滅する、と黙示録は言う。多分それがハルマゲドンだろう。こうして今我々が暮らしている様相、仕組みの世界は多分消滅して全く違う、まだ知られていない概念の社会がやってくる、立ち上がる。
 それはどこから来るか?・・・黙示録16章12節に暗示的な記述がある、曰く、”これ日の出ずる方より来たる王たちの途(みち)を備へん為なり・・・”
 日本はこの行き詰まった資本主義貨幣経済とそのバックボーンたるキリスト教が倒壊した後の社会のあり方を提示する責任があるのではないか??もしかしたらその雛形が”江戸”と言われていた時代にあったのではないか?

ケーダンレンと環境大臣

2012年12月28日 13時09分42秒 | 日記
 三年前の夏、自民党が選挙に敗れた時、まるで夫婦のように言動を共にしていたかに見えた経団連が手のひらを返すように民主党にすり寄ったのを知っている。まあ、それが資本主義経済での企業なるものの本性だとは思うが、何と無節操な、と思った。
 今度また、ケーダンレンは早速自民党にすり寄って、会長は民主党の新たな代表者との面会を拒否した由、スレッカラシの尻軽女みたいだ。さすが聖書の黙示録が”娼婦”と言っているだけある。いずれ”野獣”と表現されている、自らその背に乗っている、野獣即ち政治に振り落とされ、食い尽くされるだろう。
 新しい環境大臣は民主党時代の環境大臣からの職務引き継ぎを拒否、何やら批判めいた事を言った由。私は意図的な売国陰謀以外は”労をねぎらう・・・当たっていようがいまいが礼儀として”ことはあっても去りゆくものに批判を浴びせる下劣な根性を好かない。彼は国民が期待を寄せる、己の属する政党に早速ドロを塗った。
 このような旧習、悪癖をこそ国民が嫌うことにまだ気がつかないか!?その品格の無さが彼の仕事の邪魔をするんじゃないか?
 節操を忘れ、謙遜を捨て、勝ちに傲るものを好かない。驕れるもの久しからず、・・・ひとえに風の前の塵の如し・・・

自衛官

2012年12月28日 10時39分30秒 | 日記
 お母さんは真冬の冷たく寒い朝でも誰よりも早く起きて部屋に火を入れ、食事の支度、弁当の支度をして家族を待ち、送り出し、あと片付けをする。そしておそらく誰よりも遅く風呂に入り、もしかしたら洗濯をし、それを干して一日を終わる。
 それを知らない、気付かない、或いは当然、と思う愚か者も多かろう。”ありがとう”と言う人々も居よう。でもそれでは足りない。イエスさんも言っている、”暖かくして、食べて、・・”と言うだけで”体に必要なものを与えないで何がいいことか、言葉だけでは無意味である”と言っている。
 だからこういう場合の”ありがとう”の言葉は単に”自分を正当化して自分の労苦を逃げる、逃げ口上”でしかない。子供達、旦那衆、舅、姑、心せよ、お母さんは、妻は、嫁は、下女ではない。彼女もまたあなたと同じく一個の人格を持った、密かな願いや希みなどを持った”人”であるとの認識を持ったとき、そこからその煩いに手を貸そう、との行動が出て来る。
 何が言いたいと思う?
 日本が先進国の仲間として認知されている大きな要素の一つが自衛隊の海外での活動であることに異議を唱えるのは最早、主義者でしかない。一歩譲っても先の東日本大災害で自衛隊なくしてその後始末が出来たか、と言われて、”出来た”と言える者は居ないだろう。
 そしてみんなこぞって”ありがとう”と言った。それで十分と思っているならそれこそ”甘え”、”言葉、美辞麗句による責任逃れの狡い根性”である。
 軍隊でもない、さりとて災害救助隊でもない、組織の立ち位置を明確にしないで置いて、使う時だけは便利に使役し、”国民を愛する戦士の義務”を言う、フザケルな!と言いたい。
 要するに他者の労苦を見て見ぬふりをし、自分だけが安穏て生きて行ければそれでいいのだ、との腐った甘え根性を捨て、受けるべきものに正当な報いをしなければならない。日本の再生はそこからしか始まらない。主義者やその片割れの報道などに迎合するのは愚かである。

日本人の大欠点

2012年12月28日 10時08分51秒 | 日記
 高名な心理学者に”甘えの構造”と言う著書がある。日本人の精神構造は”甘え”である。
 国の姿、国家のたどる運命は国民、民族の総合無意識の現象化である。大東亜戦争敗戦に至る過程もまた国民全部の総合無意識が”不安を前提に”、”やけっぱち”の戦争を始めたことにある。無論そうなるようにアングロ・サクソンの老獪な策略に引っかかったのだが。
 ”勝った勝ったまた勝った”とちょうちん行列した連中が一夜明けると敗戦を”お上の”、”お国の”或いは”軍人の”責任と言い做し、あたかも自分は哀れな被害者面する、この卑劣な百姓根性を直さない限り日本は本当に立ち直らない。百姓根性と言う言い方に異論があるか?あるなら七人の侍を見たまえ、そこに現われているよ。
 何でも、よくないことは政府の責任、役人の責任、カネモチの責任、と言う貧乏根性を捨てなければ日本は真に豊かにはなれない。労も苦も貧も、ともかく”全て自分の境遇は自分自身の責任、自分で思い描いている通りの人生”と悟らなければ前には進まない。
 ケネディ大統領は”国家があなたに何をしてくれるか、ではなくあなたが国家に何をできるかを考えよ”と言った。”票(=カネ)”が目の前にぶら下がって汲々とする日本の政治関与者には言えないことだろうな。自分の国のことを”人ごと”のように斜に眺め、ケチを付ける、おちょくる、批判する、こき下ろす、・・・報道はほとんど全てそうだな・・・そこから如何なる積極的建設的なものも”現象化”しない。
 今、日本に必要なことは”甘えからの卒業”である。原発からの卒業ではない。国家と言う神輿を自分も担がなければならないとの覚悟である。現実を見据えて、苦いは苦いでその苦さを徹底的に味わう、悔しかったらその悔しさを心底味わう、そこから立ち上がろうとの覚悟が未だ定まらない。いつまで甘えているのかね。いつまでエエカッコするのかね報道諸君。

恐れるものが来る

2012年12月28日 09時09分13秒 | 日記
 潜在意識にあるものが現象化しているのがこの世界である。とりわけ暗い想念は遠からず実現する。それはその人の人格の基本的な部分を構成している。
 例えば”不安”と言う概念だが、物心着いた時から家庭の雰囲気が尖った冷たいものであり、父親が己の苛立ちの発散を子供にぶつける、子供に八つ当たり、怒鳴り散らす、とする・・・。するとその子の基本的人格の一部に”不安”が織り込まれ、長ずるに及んであらゆる事象が不安と不確実に彩られて立ち現れる。
 全てが自分を攻撃してくるような相貌を帯びる。世間に出れば人からアラ探しされたりするのではないか、と、ことさらに防御本能が働く、或いはその逆説として尊大になって人を近付けなくなる。或いはまた貧乏になるのではないかと極端に心配し、爪に火灯すような生活をする、要は縮こまって生きる。子供を持てばその子の破滅を恐れ破滅の種類を考えてしきりに予防線を張る、ビョーキで死にはせぬか、と心配し、その恐怖が現実化して子供は頻繁に病気になる、子供の友達がみんな不良に見える、新興宗教で破滅するんではないか、とか女で身を持ち崩すのではないか、などと疑心暗鬼のオンパレードになる。
 そしてその強い不安は必ず現実化する。ナポレオン・ヒル氏言う通りである。しかし物心つく頃から暖かく幸せでノーテンキな家庭で育った子供は不安とは何か?さえわからない。だからその子の人生に不安の現実化と言うようなものは起こらない。

 何を言いたいかお分かりか??国の借金1000兆円、国民ひとりあたりに直せば数百万円、などとここごとしく不安を煽る、デフレだデフレだ、このまま行けば日本は没落する、だとか・・・要するに国民に不安の種を蒔き、煽り、縮こまらせる”報道”は百害あって一利なし、なのだ。一億国民の心底に同じ思いがあればそれは必ず現象化する。
 笑う門には福来る、と古人は言った。非常に深遠な真理を実に分かり易く言っている。ウソだと思うなら周囲を見てみたまえ、明るく朗らかな人に不幸に生きている人はいない。カネモチ喧嘩せず、と言うではないか。喧嘩しないからカネモチになるのだ。一方、何なに反対、と事あるごとに反対運動をする、デモる人々の顔を穴のあくほど見て見たまえ、辛気臭いから。
 何にしろ”臭い”のはダメだ。オジン臭い、ウソ臭い、辛気臭い、口が臭い、アブラ臭い、ウサン臭い・・・手前味噌でどんなに崇高な主義主張であってもその現れが”臭い”であればそれはこの三次元地上世界の場の力学では否定的に現実となる。