夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

政治を前へ進める、?やめてくれんかなそういうことは

2012年12月13日 23時24分44秒 | 日記
 民主党のキャッチフレーズ、政治を前へ進める、だって。僕はウソ臭いと思っている。国民にウソをついて政権奪取した挙句に得意満面で手下を大勢引き連れて朝貢諂い外交を演じたり、天皇陛下に指図したり、東シナ海を友愛の海などと言う幼稚で生臭い表現をしたり、日本列島は日本人だけのものではない、などとあきれた発言をしたり、従軍慰安婦問題とかいうものでよその国の連中に混じって日本大使館に向かって吼えた女を大臣にしたり、少なくとも基地を県外に、と言ってそれを強行する度胸もなく、さりとて”この始末をどうするんだ”と詰め寄られてキンタマ縮みあがらせておそるおそる”トラストミー”などとその場しのぎをやったり、約束を反古にする気まずさを”このシャツ似合うでしょ”などと力んでみせる、回りはシラける・・・深窓オ坊ッチャンの精一杯の強がり見え見えだったぜ、・・・ってのが政治を前に進めることか???
 永住外国人とやらに参政権を与えることが、人権擁護方案とかで日本人ではないどなたかの人権を擁護するとか、皇室継承問題に一般大衆”青草人”に口出しさせるとか、言うことが”政治を前に進める”ことか???あなたがたは信用できない。同じ穴のムジナだよ。少なくとも僕はそんなお人よしではない。連座制ってのを知らないのか??君たちは日本の神々に対する前科物なんだよ、わかるか??
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最近不愉快なもの

2012年12月13日 23時02分44秒 | 日記
 街角で、交通機関で、観光地で、日本のありとあらゆる場所で見かける ハングル、中国簡体文字、見て不愉快である。理由を言おう、それらの文字の字面、そこから立ち上るその文字、言語を使う人々の印象、などが日本の繊細な美意識とそれらの文字が使われている場所の美や品位にそぐわない。言ってみれば自分にとってかけがえのない娘を粗野で品のないアンチャン達の中に晒し者にする感じがする。そんなにしてまで彼らの落とすカネが欲しいか?そんなにしてまで経済の活性化が欲しいか?そして実際活性化しているか???
 古代イスラエルのある王は当時の強国であったアッシリアだったかバビロニアだったか、どこかの使者を案内して、諂って自分達の秘宝を全て見せた。神は言った、”それらはみな奪われ持ち去られるであろう”と。それを想起する。聞けば水資源に手を着けられているとか・・・。
 今回の選挙で自民党は”日本を取り戻す”というキャッチフレーズを掲げた。私は言いたい、無論取り戻さなければならないが、同時にアメリカや西欧の真似をすることを以って新しい、進歩と勘違いしたり、川向こうのマゴグのゴグに諂って薄汚いものを韓流などともてはやす”優越感裏返し諂い行動”をやめ、先祖が我々に残してくれた品格と美と感性を『再認識』すべきではないか??それらを大事にすべきではないか?粗野な連中から秘密にしておくべきでないか?彼らには新幹線や秋葉原や六本木、浅草などを見せておけばいい。本当の日本は隠せ!
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すずめ一羽とハルマゲドン

2012年12月13日 09時03分26秒 | 日記
 ・・・とイエスさんは言った。我々が体感しているこの世界は別名を神と言う宇宙の思念が三次元世界に映像として現象化したものである、と言えばその意味するところは判る。すずめもまたその思念の微細なゴミのような揺らぎの現象化映像である。
 何を喰らい何を飲まんと思い煩うなかれ、天の父はあなたがたがこのようなものを必要としていることを知っておられる・・と言うのもまた判る。ローマ時代のイスラエル民族の知識学識階級はこのような”この世界の奥義”を人々に教えるべきだった。しかし彼らは衣の房を長くしてみたり言葉の枝葉末節を論じたりして人々の目を開けることをしなかった。だから盲人が盲人を手引きする、と言われたわけである。イエスさんが手を替え品を替え、口を酸っぱくして”打ち捨てられた羊のような人々”に解らせようとしたのはこの宇宙の原理であった。この同じことを”色即是空 空即是色 色不異空 空不異色・・・”と言ったものがある。
 しかし宇宙と三次元世界の秘密を人間共に知られては自らの生存に極めて不都合な存在がある。故にローマの総督ポンテオ・ピラトが”私はこの人に何の罪科も認めない、私はかかわりあいになりたくない”と言ったに拘わらずイスラエルの指導者達はイエスさんを・・・無論そそのかされて、まさしく悪魔の囁きによって、殺してしまった。こうして人々は宇宙の秘密を知りそこなった。
 十字架につけられてこの三次元世界での船を失ったイエスさんはその後2回ほど人々の前に姿を現した。弟子のペテロが迫害を逃れようと道を歩いている時、出会った。”quo vadis!(師よ何処へ?)”に対して”あなたが逃げて来たローマへ”。この言葉にペテロは思いなおしてローマに戻りイエスさんと同じ事を人々に教え、殺された。
 ここにサウロと言う人物が居た。元々はイエスさんを殺せ殺せと狂う者共の仲間であった。それがガザなるところで”強烈な光”を浴びてしばらく盲目になった。彼の”何の故に”との疑問にイエスさんが答えたことになっている。ここからパウロと改名した彼の活動が始まる。その有様は新約聖書の中の多くの書簡に見られる。・・・・・?何故イエスさんはペテロには姿を見せてサウロには姿を見せずに目潰しをくれた”の???・・・まずそこが怪しい。聖書を通読してみると浮き彫りになるがこのパウロなる人物の書簡だけが極めて晦渋、ひねりにひねってミーチャンハーチャンバカアホ一般大衆にはチンプンカンプンなシロモノである。ここが二番目に怪しい。そしてその晦渋な文面を読み解こうと”神学”なるものが発生、難しい話がさらに難しくなる。こうして壮大なるキリスト教体系大伽藍などが構築された。そして多くの人々がこの壮大な体系の魔法にかかって、自らを”思想、宗教界、知識学問開明文化の王にしてあらゆる後進愚劣民族思想宗教慣習を矯める尺度の保持者”を自認するようになった。さても傲慢無知な。
 キリスト教というと何を想起するか?と一般大衆に問えば、多分”原罪”とか”処女懐胎”とか”道徳”とか言うものであろう。つまり、思うに新約聖書のパウロの書簡はイエスさんの、本質”色即是空 空即是色 色不異空 空不異色・・・”の教えを”つかみ所のない道徳律”にすり替えてしまっている。これは宇宙の思念とその現象化世界の奥義、原理を人間共に悟られては困る存在にとっては”してやったり”であろう。そのキリスト教から宗教改革を経てプロテスタントなる教団が派生し、その道徳律に”勤勉は徳なり”の思想が生じ、その思想から資本主義、共産主義が派生して今や世界は混沌混乱の渦中にある。イエスさんはこんなことを考えただろうか?
 ところでそのキリスト教と無縁の人々が居た。江戸時代の日本人である。この時代の人々は日本に来たキリスト教圏の人々の目には”全く異質ではあるが侮りがたい別種類の規律に沿って生きている”と映った。特定の有効な規律のない国々人々はやがてキリスト教に組み込まれてしまったか或いは混沌の中に放置されたのであろうがキリスト教は日本人を変えることが出来なかった。思うに、キリスト教が何故日本人を変えることが出来なかったか?出来ないか?の秘密は”神道”の存在にあると考えている。且つその神道はどうやらイエスさんが育った古代のイスラエルの伝統と源を同じくしているようだ。誰だって既に持っている優れたものを捨ててより劣るものに替えようとは思わない。
 イスラエル王国滅びて後、他国につれて行かれて生きていたイザヤなる人に神は言った・・・つまり宇宙の思念は暗示した、・・”東の方、海の中の島々にて我を敬え”。このように考えて来ると”北の王”が倒れて”人間による政治経済機構”が崩壊する時、立ち上がる全く別種の人間社会とは、もしかして・・・??!!
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