夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

主婦・主婦業・老親介護

2012年12月23日 06時39分55秒 | 日記
 若い頃、”誰かの犠牲に安穏と乗ってはならない”と言う記事を見た。以来、僕は出来る限り家事を手伝うようになった。好きなわけでも妻に諂うわけでもない。妻の犠牲的活動によって楽チンに生きる、その在り様を卑怯だと思うのである。世の中には”これは妻の仕事、これは女の仕事、これは長男の嫁の仕事”などと硬直的な観念を持つ人が結構多いように見える。しかしその下心は”怠慢にして怠惰、かつは横着”である。
 何事も”誰がしなければならない”と言う決まりはない。”出来るものがすればいい”のである。先日テレビで乳がんになりにくい生活とか言う番組があった。そこに兼業農家の奥さんの一日が映し出されていたがコマネズミのように早朝から夜中まで仕事に追われていた。バーサン、ジーサン、引退したかどうか知らないが見れば元気そうじゃないか、何故昼メシぐらい用意してやらんのかね、何故洗濯ものを干してやらんのかね、と思った。
 私は女性がしたり顔に卒原発だの従軍慰安婦がドーテロコーテロと言うのを好かない・・・深謀遠慮百年先地表全域洞察なし、感情発言に偏るのが女性の特徴だからね・・・、が、だからと言って彼女を”人格のない機械”のように扱うのも好かない。”お茶、フロ、寝る”しか言わない亭主も居るらしいが・・・祖母のボヤキを思い出す、・・・”こげなバカ子を生んだおっかさんの面を見ろごたっ!”バカな男を作ったのはバカな母親である、と言えばそれはそうだが。
で、お前さんは具体的に何してるんだ、と言う人もあろうがそこまで内輪の事を言う必要もないし言うのは品位にも欠ける。まあ、我が家の神さんがおいでになる処とかお出ましになるところは基本的に男の守備範囲であろう。余計な事を一つ書く。公の年賀は家主である男の仕事である。それを妻女に書かせるバカヤローが居る。出世しないよ、そんな男。
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