夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

自民党に期待すること

2012年12月20日 12時37分58秒 | 日記
 どこの国にも保守と言われる勢力と革新或いはリベラルと色分けされる勢力がある。しかし世界中でただ一国、日本だけは、私個人はそのように分類しない。
 太平洋戦争終結後の社会の様相を宇宙から眺めていると、保守はあるが革新は革新でなく亡国である。日本人は常に、知らずして日本を滅ぼそうとする勢力の手足組織と戦って来た。もし60年安保闘争で政府が負けていたら今の日本はもう既にない。日教組の目論見に良識ある先生方が抗しなかったらやはり今の日本はない。60年安保の延長線上に生えた連合赤軍事件などは国家転覆の運動に見える。
 そして巧妙な仕掛け、騙しのオブラートに包まれて最後の手段として投げられたのが民主政権ではなかったかと考えている。炭酸ガス排出量25%削減だとか、東シナ海を友愛の海だとか、沖縄米軍基地を国外へ、とか、少なくも県外へ、とか、永住外国人参政権方案とか、人権擁護方案とか、女性宮家創設とか、コンクリートから人へ、とか、実行していたら日本の経済、国の形はずたずたぼろぼろになって居た、なりつつあったはずである。国の神のこの政権への怒りは大きかったと思う。東日本大災害と原発事故はその怒りの表明だろうと思う。 
 世界には二種類の勢力が居る。宇宙の秤とそれによって測定される勢力である。人間はそのどちらかの言わば傀儡である。測定されて”不足”とされる方はその傀儡を使って秤を代行する傀儡を抹殺したい、或いははぐらかしたい。その為に日本人を恫喝したり難癖つけたり、或いは甘言を弄して抱き込もうとする。考えてもみよ、戦後の日本はひたすら他国に奉仕するばかりでそこから搾取などの野心は全くなかった。にもかかわらず70年経った今でも道理を弁えぬゴロツキが居る、何かおかしくないか?何かが糸引いていると思わないか?
  
 心眼をしっかり保って見える世界情勢を背後で動かしている見えない勢力を賢く洞察されんことを。恫喝のわな、難癖のわな、甘言のわな、に落ちないよう細心注意されんことを願う。
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組織の中で仕事をする上での心の持ちよう

2012年12月20日 11時45分42秒 | 日記
 清少納言・・・現代で言えばさしずめ女子アナお天気お姉さん相当才色兼備丁々発止の若き女性かな?・・も言っている、『すまじきものは宮仕え』と。まあ、彼女の場合は女社会だから我々男の組織とは様相は違う。我が愛妻にして賢妻、且つは良妻また恐妻、ところ変われば”センセーダーイスキ、センセ独身?”などときゃぴきゃぴ女子高生から言われている人の話を聞いていると逃げ出したくなる、そんな社会だ。・・・また話が逸れた、男の組織の中での心の持ちようだった。
 ”オーイ君、済まんが2,3日どこそこまで出張してこれこれを片着けてくれんかね”。典型的なB型人間の僕は”また俺のところに持ってきやがった、あいつが暇なんだからあいつにさせればいいじゃないか”、・・”大体いつも俺を便利屋扱いするのが癪に障る”、という風にかんしゃくが沸騰してくる。さりとて”何故いつも俺に命令するんですか、あいつが遊んでるじゃないですか”と言うと気まずい空気になりそうだ、とジレンマに悩む。挙句の三八、”一方的に便利屋扱いされて断れもせず怒り心頭、心の中はグチャグチャドロドロ、ああ因果な商売だ、俺は何て分が悪いんだろう”なんて頭の中は真っ白になる。
 しかし同じ状況を別の解釈の仕方がある。”ソーカやはり、だね、あいつじゃ無理と思ってるんだね、さもありなんよ、しっかり男を上げさせてもらいまっせ!、いつかここを俺が牛耳ってやろう”と考えることも出来る。牛耳らないまでも転がっている仕事を拾うことによって確実に君のオーラは強くなり始める。十年たって見たまえ、二十年たってみたまえ、退職の時期になってみたまえ、写真を較べて見たまえ、ひよっこ、雛鳥、若鷲、荒鷲、の違い一目瞭然。
・・・常に貸し方超過で行きたまえ。
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許さない人は許されない攻撃する人は攻撃される頑張る人は頑張らなければならない

2012年12月20日 11時03分33秒 | 日記
 他人に厳しかったり、過去の恨みを根に持っていつまでもネチネチと悪態をつく人や国がある。しかしその矛先は常に、心外な事に自分に向かう。宇宙の原理はそうなっている。常に自分から出たものは残念ながら自分に返る。これをイエスさんは”蒔いたものは自分で刈り取る”と言った。明るい人はなぜか明るい世界に住む。辛気臭い人はなぜか辛気臭い世界に住まざるを得ない・・・観察しているとそのようだ・・・好きなんだね、実は、そういうのが。
 この宇宙の原理とはどういうものか、と言えば、例えば”他人に厳しい”を例に挙げればそういう人は”厳しい”なる”概念の世界”に住んでいる。だからそこでは全てが”厳しい”に彩られて立ち現れる。たったこれだけのことだ。但し、よく注意しなければならないことがある。”自分は優しい、許しの人だ”と一所懸命に”努力”している、あたかもそのように振る舞う、にも拘わらず、その人を裸にしてみると、”いるじゃないか、天上天下唯我独尊居士”が、・・・となる場合がある。よろしく汝の密作用を知るべし!
 以上を別の表現にすると、人は多くの人々に立ち混じって社会生活をしているように思い込んでいるが実際は見えないカプセルの中で一人で生きている、そして、そのカプセルを通して外界を眺めて、自分なりに解釈する、その解釈された映像がカプセルに投影される、それを見て泣いたり笑ったり怒ったりの一人芝居をしている。
 ”人生とは果敢に切り開くものだ、受身で生きる無気力な人生なぞ笑止千万!”との観念を”しっかり握っている”人は、懸命に頑張らされる状況が展開して来る、頑張って切り開く、ドーダ、こうしなくっちゃいかんのだ、と胸を張る。するとさらに頑張るには、とガン細胞などを養殖するようになるかもしれない。
 一方消極的受身の人もいる。ハナッから自分は能力がないと思い込んでいる。そのような概念さえもない場合が多い。テレビドラマを見て泣いたり笑ったりするように自分の前に展開してくる人生に泣いてみたり笑ってみたり、全然ガンバロウとしない。
 実はどっちも同じだ。持っている人生の台本が違うだけだ。頑張る人の場合が”ここで超頑張る”とト書キがあるだけだ。そこで人生の極意とは、・・・犬や猫のように生きることである。イエスさんはちゃんと言ってるぜ、”明日のことを思い煩うなかれ”って。仏教の誰やら菩薩も言ってるよ、”何事も放てば満つる有り難さ”・・・と、”よろずの些細放下すれば月は照るなり魂祭り”とは民謡”こきりこ”の一節だっけ。
 牧師先生、こういうことを信者さんに教えなくてどうする、教えていればお隣さんも日本に向けて吐いた唾を自ら世界各地で浴びなくて済むものを。二言目には神様が神様がと言うわりには何にも解ってないんではないの??
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