夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

TPPと尖閣

2012年12月22日 16時53分42秒 | 日記
 遥かな遠い昔、今のイラクのあるところに栄華を誇っていた新バビロニア、その王ネブカドネザルが見た巨大な人間の像の夢とヘブライ人ダニエルの解釈、即ち地上人間社会の覇権勢力の推移交代が、まさにその解釈の通りになっていることを見れば、私としては聖書の記述と現代を引き比べずには居れない。
 人類史の一つの段階の終末になって”北の王が南の王を実質的に倒し、間を置かず、北と東からの知らせに驚いて出て行き・・・海の中の島々に壮大な天幕を張る”、つまりこれが私はTPPだと考えている。”飾りの地も免れない”から、日本も否応無くそれに組み込まれるだろうと考えている。さらに、
 ”北の王は倒れる、誰も助けるものは居ない”、とは多分アメリカが無力になってしまう・・・有り得る、野獣、つまり政治が娼婦、つまり資本主義経済を荒廃させる、との記述からアメリカが経済力を失うことは考えられる。・・・その時、
 マゴグのゴグが蠢く、”彼らはあそこは無防備であるからこれを攻め取ろう”と日本にやって来る、つまり中国人ではないぜ、中国共産党が、国内の自らに対する攻撃をはぐらかす為に、日本に上陸作戦を敢行する。聖書は言う、
 ”その時我が怒り我が面に現れる、彼らは互いに討ちあって倒れる・・・”或いは”その時大いなる君ミカエルが立ち上がる”という。
 考えられる。人類史の早い時期に人間は”実質的な力とその行使能力を持つ神”なる存在を”忘却し信用しないように”操作されて来たがその問題が一回限りに完全な姿で解決され、世界中が驚愕し、恐れおののく事態が起こる。
 これらのまあ、よく言えば洞察、貶せば邪推、と今回の民主政権ならびにその私生児勢力の衰退は同調しているように思える。TPPには参加せざるを得ず、中国共産党は日本に実力行使の矛先を向けてやってくる、しかも日米安保が形骸化する時を狙って、と僕は考えている。

為政者に考えて欲しいこと

2012年12月22日 12時16分20秒 | 日記
 学生時代のコンパでよく歌った歌、デカンショ節に”酒はのめのめ茶釜で沸かせ、お神酒上がらぬ神はない”と言う一節があった。政治家諸兄、日本にあまたある神社の祭礼を見たまえ、笛、太鼓で賑々しく山海の産物を供え、舞を舞い、踊りを踊り、神輿を担いで駆け回る走り回る、駆け下る駆け上がる、五色の旗をたなびかせる、酒が出る、芝居をやる、人々は晴れ着を着て集まる、餅をばら撒く・・・・。
 つまり神霊は”にぎやかで明るいことが好き”なのだ。事業仕分けだの年金問題だのネチネチ追及するような、脱原発だの卒原発だの、工事中止だの、ケンヤクケンヤク出し惜しみ小兵力逐次投入などというしみったれた小心翼翼上目遣いに首出してキョロキョロ、びっくりしてカメの頭を引っ込める、そんなのが嫌いなんですよ。
 じゃあ野放図にやってもいいのか?と言えば、ちゃんと祭礼も今日限り、明日からまた働け、と言うのではありませんか?節度はちゃんとあるじゃないですか。

信仰と天国

2012年12月22日 11時45分40秒 | 日記
 イエスさんは言っている、”この世代は何事も証拠を求める”と。証拠が出ている事柄を信じるのは信仰、信じて仰ぐことではない。
 そしてその信仰なる超えがたいものを超えて初めて結果を見る。ペリシテ人の大軍の中に居た巨人戦士ゴリアテの挑戦に羊飼いの少年ダビデは”私は私の神によって戦う”と言って羊飼いの投石道具で石を投げた。石はゴリアテの眉間を割った。ここに暗示されている事は、”人知や人為が無意味な世界”が存在する、と言うことだろう。しかしそこに全身を投げ出すことは不可能に近い。だからエバはヘビの誘惑につい乗ってしまったのだ。ヘビは今でも我々一人一人に囁き続けている、”知恵が必要なんだ”と。
 しかしその知恵なるものが実は人が天国、つまり大安心の境地、に入ることを邪魔するわけだ。だから”誰もこの子供達のようでなければ天国に入れない”とイエスさんは言ったのだ。この天国なる境地を東洋の覚者は”無一物中無尽蔵”と言った。

”ありがとう”の意味

2012年12月22日 11時32分16秒 | 日記
 ”ありがとう”とは幸せを掴む魔法の言葉、と誰かが言っていた。その説明を自分なりにさせてもらおう。
その言葉が発せられると空気が振動して聞く人の鼓膜、次いで脳に、さらに心に伝わる。それが普通に察せられる効果である。しかし実はその言葉を発する際に沸きあがった想念もまた波動であってそれは想念の世界に伝わる。すると我々が日常考える”ありがとう”の意味とは少し違う”まじない”になる。これが所謂”言霊”である。その言霊があなたの運を開く。故に、なるべく頻繁にこの言葉を発する機会を探すことが肝要である。特に古来、日本は”言霊のさきはう国”と言われて来た、つまり日本語とはその呪文的効用が強い言葉であろう。イエスさんもちゃんと言っている、”あなたの口に入るものではなく口から出るものに注意しなさい”と。
 但し上っ面の発言ではだめだろうな。

政治家とオーラ

2012年12月22日 11時02分05秒 | 日記
 日本海海戦の際、東郷平八郎氏を艦隊提督とした時の海軍大臣山本権兵衛氏に誰かが聞いた、”彼は飛びぬけた才がある様子もなく功績も目立たない、何故彼を選んだのか?”と。山本大臣答えるに”あいつは運のいい奴だからね”。すばらしい眼力、洞察力、動物的カン、だと思う。流石幕末の騒乱を潜り抜けた人々、現代の頭でっかち舌先三寸の近目と違う。
 小泉純一郎氏が大人気だったのもその政策ではない、彼が放っていた超明るいオーラであった。一方で民主政権の人々を想起してみたまえ、しちめんどくさい理屈をこね回して辛気臭い、役人の不首尾を挙げつらって攻撃する、事業仕分けとか称して一円二円を惜しむ、そのしみったれ根性が日本の”運”を突き放したのだ。
 此度、輝くようなオーラを放っていたのは麻生氏だった。三年前の夏とは全く違っていた。何故だろう?他党の人々は失礼ながらオーラがくすんでいたり濁っていたり弱かったりした。これで勝敗は決まり、と思った。