お母さん・・・
3年忌のご縁をいただきお寺にお参りをいただきました。
私方に位牌を預かっている為、その法名をご覧になりながら母を呼ばれました、呟くように・・・
親を呼ぶ声に温かいものを感じたことです。
「お母さん・・・」そう呟きながらどのような自分の日常が見えてくるのでしょう・・・
「忘れていてごめんね・・・」
位牌から視線を上げると優しく立ち向かわれる阿弥陀さま。
大丈夫、ず~っと一緒におるからと微笑まれて喚び通し・・・
嬉しいような恥かしいような・・・
ここに出遇えて本当によかった・・・
「ナンマンダブ・・・」
浄土真宗では位牌ではなく過去帳を用います。
しかし、私方では昔から過去帳を用いず位牌をお飾りなされる御門徒が大半であります。
決して位牌を奨励している訳ではないのですが・・・
ま~、なんと立派な御位牌があるもんだとしんどくさえ思うご縁もあります。
位牌に執着なされ御仏飯まで御供えなされている御門徒も多くあることです。
それはお浄土のお飾りということではなく、亡き方にご飯を御水を・・・というお心なのでしょう。
否、ひょとしたら腹を空かし喉が渇く自分と重ねるのでしょうか・・・
住職の指導させていただく力のなさなのです・・・
これいりません、あれいりません・・・強く言って納得されればそれに越したことはありません。
がしかし、要らないと言われるその位牌を抱きしめながら死を見つめていかれるのです。
最初から仏さまの方が大事なんておっしゃる方が何人おられるでしょう・・・
言ってすぐに気付く人もおれば長く時間が掛かる人もおられることでしょう・・・
その僧侶の態度で仏さまへの思いも失われては申し訳ないことです。
それぞれの寺院での御指導方法もあるのだと思うのですが、私の場合は徐々に・・・
位牌から仏さまに向きを向けることが出来るように一緒に考えさせていただいています。
でも、なかなか位牌から過去帳に移行されることは難しい・・・
そんななかでも決して0ではなく徐々に過去帳を用いて下さる方もおられることです。
あ~、そうだったんだ。位牌を拝むのではなく阿弥陀さまを拝ませていただきながら、今、そのおはたらきのまん真ん中におらせていただいたことを喜ばせていただくんですねって・・・
愛するあなたもそのおはたらきのまん真ん中にあればこそお浄土に往き生まれさせていただいたのですね・・・
そして、今ここに・・・
あっ、この家の御位牌飯(そんな言葉・お荘厳はないのですが・・・)・御水無くなったよな~っていうご縁もあります。
昔は立っていた御線香も寝かされてお荘厳されるようになってきたよな~・・・
徐々に、焦らず・・・
大切なことをお味わいしつつ、一つ一つ一緒に考えさせていただこうと思います。