つらねのため息

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

反原発と統一地方選

2011-04-11 22:19:00 | 自治のこと
某ミュージシャンの反原発ソングが話題になっている。この時期にこういった歌を発信するのは大切なことだし、勇気のいることだと思う。素直にすごいことだと思う。

でも内容には異論がある。すくなくとも「ずっとウソだった」わけではないと思う。確かに政府や東京電力は「原発は安全です」と言い続けてきたわけだけれども、「原発は危険だ」という人は少なからずいたわけで、例えば浜岡原発なんて非常に危険だとずっと指摘され続けてきたはずだ。今になって「ずっとウソだった」ということはそういった声に耳を傾けてこなかったこと、政府や東電の言うことに盲従してきたことの裏返しにすぎない。

そう考えると、「何人が被曝すれば気がついてくれるの?この国の政府」という件は象徴的だ。結局のところこの歌の作者は「政府が気がついてくれる」のを待つことしかしないわけだ。換言すれば「私たち」が気付いて「政府」を変えるという可能性をはじめから閉ざしてしまっているのだ。

これだけの事故が起きながら、原発推進派の知事たちが当選した背景にはこういうメンタリティがあるような気がしてならない。結局のところ、この国の有権者は原発が怖いものだということが分かっても、偉い人がそれに気づいてくれるはずだと信じて、それを待つことしかしていないのではないか?それではこの国はいつまでたっても変わらないと思う…。

宇津木村の村民総会は何年間開催されたのか

2010-11-18 22:20:00 | 自治のこと
八丈島の西約7.5 kmのところに八丈小島という面積3.08平方キロメートルという小さな島がある。この島は現在無人島であるが、かつては島の北西部に鳥打、南東部に宇津木という2つの村があった。このうちの一つ宇津木村という村は、日本の地方自治を考えるにあたって、非常に重要な村なのである。

1888年(明治21年)に市制及び町村制が施行され、また、1908年(明治41年)、八丈島の各村に島嶼町村制が施行されたが、東京都八丈支庁の『事業概要』によると、八丈小島の宇津木・鳥打両村には施行されず、名主各1人が置かれた。というのも、この2つの村は人口が非常に少なく、宇津木村の人口は50~60人程度であったためである。

1947年(昭和22年)10月、地方自治法の施行により、宇津木・鳥打両村も普通地方公共団体として執行機関と議決機関を有するようになった。

しかし、宇津木村は地方自治法第94条の規定により、条例で議会を置かず、選挙権を有する者の総会で審議処理したという。すなわち直接民主制が実施されていたわけである。

――参考――
地方自治法 第九十四条

町村は、条例で、第八十九条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる。
――終わり――

この町村総会、第153回国会総務委員会第12号平成13年11月27日(火曜日)における芳山達郎政府参考人(総務省自治行政局長)の発言によると、地方自治法施行後ではこの東京都八丈支庁管内宇津木村が唯一の例であるという。ちなみに同発言によると宇津木村の人口は「六十一人、有権者数三十人ぐらい」とのこと。また、戦前の町村制が施行されていた当時を含めても、他には神奈川県の足柄下郡芦之湯村、現在の箱根町の一部でもうけられていた事例があるだけとのこと。

ところが、この現行地方自治法下では唯一の町村総会である、宇津木村の村民総会、実際にいつからいつまで実施されていたのかは、なかなか難しいのである。

前述のとおり、八丈支庁の『事業概要』には1947年(昭和22年)の「10月、地方自治法の施行により、宇津木・鳥打両村も普通地方公共団体として執行機関と議決機関を有するようになった」とあるので、普通に考えればこの際に議決機関として村民総会がおかれたと考えるのが妥当である。同『事業概要』によると、その後、1955年(昭和30年)の「4月1日、八丈村・大賀郷村・宇津木村が合併し、八丈町となる」とあるので、この間の8年弱、現行法下で唯一の直接民主主義の実験、宇津木村の村民総会は開かれたことになる。

ところが、総務省の第29次地方制度調査会第11回専門小委員会次第によると、「昭和26年4月から町村総会を設けておりましたが、昭和30年4月に八丈町に編入された」という総務省の事務局からの発言がある(ちなみに同発言によると宇津木村の「人口が65人、有権者数が38人」)。

ということは、1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)の4年間は宇津木村にも議会があり、1951年(昭和26年)4月にこの議会を廃止して村民総会を設けたということなのであろうか。

こちらの「誰か昭和を想わざる」というサイトのなかの「青ヶ島SOS」という文章にこんな記述がある。

――以下引用――
なお宇津木村に関しては昭和26年4月1日に村議会を廃止し、4月6日にこの届出が八丈支庁に届いて明らかになった。宇津木村はこの時点では12戸60人、村議改選で誰も出馬せず、地方自治法94条で村議会を廃止としたのだった。これ以降、宇津木村では有権者30人で村民総会を開き、そこでの決定を村議会の代わりとする事にした。
――引用終わり――

これだけでは確かなことは言えないが、「1947年(昭和22年)から1951年(昭和26年)の4年間は宇津木村にも議会があり、1951年(昭和26年)4月にこの議会を廃止して村民総会を設けた」という推測にはかなり現実味がある様な気がする。

今後も機会があれば、さらに詳しく調べてみたい。

多治見市市民投票条例についてのメモ

2010-01-24 15:39:00 | 自治のこと
昨年の12月、岐阜県多治見市で市民投票条例が成立。ここに書こうと思っていながら忘れていたのだが、当時の記事はグーグルのキャッシュの中にしか残っていなかった。そこで備忘録的に論点メモ(元記事は中日新聞の記事@グーグルキャッシュ)。

成立したのは常設型の住民投票条例。

原案は、住民投票が行われるためには「有権者の4分の1の署名」「議会の議決」「市長の決定」のいずれかが必要で、投票資格者は「18歳以上の市民と市選挙管理委員会に届け出た永住外国人」とした。

これに対し、4日の総務委では永住外国人の投票資格を定めた条項を削除。18歳以上の日本国籍を持つ市民に限った。
また「市長の決定」を定めた条文について、「議会の議決を経なければならない」と加えた。

原案のまま成立したらよかったなあとは思いますが、さすが多治見市。

「中選挙区制」の難しさ(都議選の結果に思う2)

2009-07-17 11:26:00 | 自治のこと
「都議選の結果に思う1」はこちら

都議選の結果については東京都選挙管理委員会のホームページを参照。

今回の都議選では民主党が「圧勝」し、共産党や東京・生活者ネットワークは「政権交代」をめぐる2大政党の争いの中で「埋没」したという論調が大勢である。

しかし、本当にそうなのか。

というのも民主党がひとり多く候補を擁立したために共産党の現職が落選するという事例が中野区、練馬区、江戸川区などである。
また、南多摩選挙区に民主党が擁立したために生活者ネットの現職が落選したのも同様の事例である。
ようするに他の野党から民主党へ議席が移っただけという選挙区がいくつかあるのである。
これは民主党の勝利に結びつくとはいえ、自公の極小化には結びついていない。
事実、共産党は得票率でいえば12.56%と公明党の13.19%に近い数字になっているにもかかわらず、議席数でいえばそれぞれ8議席と23議席と倍以上の差がついている。つまり実際の票が議席差には正確に反映されていないのだ。

これは政党の側というよりも有権者の側の問題かもしれないが、都議選のようないわゆる「中選挙区制」の場合、より上手に戦略投票を行い自らの意思を反映した都議会を作る工夫が必要なのではないだろうか。

山は動いたのか?(都議選の結果に思う)

2009-07-17 10:56:00 | 自治のこと
既報の通り、東京都議会議員選挙では民主党が「圧勝」した。しかし本当にそうなのか?この点を少し考えてみたい。

都議選の結果については東京都選挙管理委員会のホームページを参照。

以下の論旨を一言で言うならば、
民主党の「勝利」とは言えないということだ。
上記、都選挙管理委員会ホームページによると、
自民党の獲得議席数は38
公明党の獲得議席数は23
「自公」を足せば獲得議席数は合計61である。
これに対し、
民主党の獲得議席数は54
「友党」東京・生活者ネットワークが2
昭島市で両党が推薦した無所属候補が1
「民主党系」の獲得議席数は合計57となる。

無論これに共産党の8議席、無所属の1議席を足せば
66となり過半数を超える。

しかし、単純に考えれば「自公」を足せば
「民主系」を上回っていることにならないか?

ちょっと無理があるが、この議席数で
国会において首班指名選挙を行うことを考えてみよう。

「麻生太郎」61、
「鳩山由紀夫」58(無所属の1票を加算)、
「志位和夫」8
となるだろう。

上位2人の決選投票で共産党が鳩山さんに入れれば鳩山首班
欠席すれば、麻生首班となる。

つまり、この状況では「政権交代」が起きるとは確実にはいえないのである。

本来、政党というものは政権を目指して相争うものである。
しかし、55年体制下、日本の野党は万年野党に甘んじてきた。
そのような体制を当然視し、
自民党の議席が減るだけで野党勝利という
「勝利」の意味を履き違えた論理がまかり通ってきた。

この都議選の「勝利」も
「自公の過半数割れ」とハードルこそあがったものの
いまだ「野党」としての勝利に過ぎない。

「政権交代を実現する」という意味ではまだ道半ばではないだろうか。
(つづく)