つらねのため息

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

賃取橋

2014-09-04 00:27:00 | 日本のこと
浅学にして知らなかったのだが、日本では、江戸中期、将軍吉宗の頃から「賃取橋」と呼ばれる有料道路があった。財政の厳しい幕府が、有力な町人に命じて橋銭(橋の通行料)を取る「賃取橋」を造らせたものという。

有料道路のあらまし(有料道路研究センター)

明治政府も民間資金で橋をかけることを奨励したようで、明治4年の太政官布告第648号「治水修路架橋運輸ノ便ヲ與ス者ニ入費税金徴收ヲ許ス」に「有志ノ者共自費或ハ會社ヲ結ヒ水行ヲ疏シ嶮路ヲ開キ橋梁ヲ架スル等諸般運輸ノ便利ヲ興シ候者ハ落成ノ上功費ノ多寡二應シ年限ヲ定メ税金取立方被差許候」とある。

治水修路架橋運輸ノ便ヲ與ス者ニ入費税金徴收ヲ許ス

つまり、民間資金で橋を架けさせる代わりに、建設費を回収するために通行料をとることを認めていたのである。賃取橋はほとんどが短命に終わったようだが、静岡県島田市の大井川に架かる蓬萊橋は現存する数少ない賃取橋である。

Wikipediaによると蓬萊橋は明治12年(1879年)1月13日完成。「牧之原台地の開拓農民らの出資により建てられたため、関係者以外からは通行料金をとったことから、現在も賃取橋(有料)である」とのこと。

蓬莱橋 (静岡県) - Wikipedia

島田市のサイトによると、蓬萊橋は「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてイギリスのギネス社に認定されており、同市を代表する観光スポットという。

島田市/蓬萊橋

下記のWikipediaの項目にもあるが、この賃取橋は都内にもあったようなので、もう少し調べてみたいところである。

昌平橋 - Wikipedia

可視化された戦後民主主義

2014-07-03 00:37:00 | 日本のこと
板橋拓己『アデナウアー』(中公新書、2014年)



通勤電車の中でポツポツ読んでいた、中公新書のコンラッド・アデナウアーの伝記を読了した。改めて感じたのはドイツ連邦共和国の「国父」が、保守の立場からとはいえ、はっきりとしたナチスの過去の克服への意思と自由民主主義への確信を持っていたことである。アデナウアーはアデナウアーなりの「自由」や「民主主義」理解を持ち、それを守るためにアメリカやフランスなどとの「西側結合」にまい進した。

翻って先日、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更を閣議決定した日本国の首相はどうであろうか。国の自存や「家族」「平和な暮らしを守る」という言葉はならんでも、「自由」や「民主主義」へのコミットメントは見えてこない(自身が総裁を務める政党の党名にもかかわらず…)。現在の安倍政権について考えるとき、この「自由」や「民主主義」といった価値観への関心の薄さが、最も危うい点であるように思う。彼らが「守る」というこの国は自由もなければ民主主義もない国かもしれないのだ。

だがしかし、そうした政権の姿勢に対して、多くの人が反対の声をあげている。各種の世論調査で「戦争に巻き込まれること」への不安を訴える声が多いのには驚いた。そこに表現されている素朴な一国平和主義は、恐らくは首相が大嫌いな戦後民主主義そのものだ。その当否はさておくとしても、いまだに多くの日本国民は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」しているのだ。

そして、逆説的ながら、政権の一連の策動が続いたおかげで、それに対して、永田町周辺で継続的に行われている抗議行動に参加しているのは、かつてのようなごく一握りの活動家の人たちだけではなくなった。これだけの規模の示威行動が継続的に行われていることは大きな意義を持つのではないだろうか。その理論的支柱にすら「虚妄」と断じられた戦後民主主義の実存が、可視化されつつあるように感じられてならない。

脱原発にヒーローは要らない

2013-09-26 01:02:00 | 日本のこと
最近、脱原発派を目指す人たちから新潟県の泉田裕彦知事を評価する声が聞こえてくる。ぼくはそのことにちょっとした疑問を感じている。

疑問を感じる第一は、泉田知事がどちらかと言えば保守的、経済界寄りの人だからである。泉田知事は元々通産・経産官僚であり、彼が新潟県知事となった2004年の選挙の際には、自民・公明の推薦を受け、民主・社民両党の推薦を受けた候補を破っての当選だった。柏崎・刈羽原発を抱える新潟県知事という立場が彼の現在の立ち位置を形づくっていることを否定はしないが、根っからの脱原発派ではない人物に過度な期待を抱くのはどうかと思う。

第二に、例えば首都圏のような県外に住む市民が新潟県知事の政治姿勢を云々するということの構造的な問題である。柏崎・刈羽原発の再稼働を阻止するために首都圏に住む人間が新潟県知事に期待するというのは、原発を福島と新潟という圏外の地に押し付けてきたことの裏返しのように見えてしまう。新潟県知事は新潟県民の代表であり、新潟県民により選ばれ、新潟県民のために行動するはずだ。私たちは脱原発すら「地方」に押しつけてしまうのだろうか。

第三に問題を特定の政治家にゆだねてしまうことの是非だ。原発の問題は首長の意見ではなく、私たち市民一人ひとりの熟議を積み重ねていくことによってこそ、決めることのできる問題だ。もちろん、それぞれの地域で議論が深まることはとても良いことだが、特定の政治家や首長の判断や決定がよいものであっても、その人の立場や意見が変わってしまっては元の木阿弥になる。ひとりの良心的に見える人を持ち上げるのではなく、彼らを後押しする世論を熟議の中でつくりだしていくことが重要だ。政治家は私たちを導くリーダーではなく、代表なのだから。脱原発にヒーローは要らない。

「一本化」考

2013-07-15 20:41:00 | 日本のこと
先日、大河原雅子さんの街頭演説を見る機会があり、改めて今回の民主党の参議院選挙、東京都選挙区の候補者「一本化」について考えた。

そもそも語の定義として片方の候補にのみ公認を与え、もう一方の候補には無所属出馬を許すというのは候補の「一本化」というのだろうか?一本化というからには一方の候補が出馬を断念し、出馬する候補を応援するという形にならなければならないのではないか。結局、片方の候補が無所属で出馬してしまうというのであれば、「一本」になっていない以上、本来の狙いであったはずの民主党の支持者の票を一方に集めるという効果は望みえないように思えてならない。すでに記事が削除されてしまっているので確認できないが、テレビ朝日は「参議院選挙東京選挙区 民主、候補者一本化に失敗」という見出しを出していたと記憶しており、こちらの方が事態を的確に表しているといえる。

東京都-H25東京都議会議員選挙投開票速報

今回の候補者一本化は直前に行われた東京都議会議員選挙の結果を受けて行われたと言われている。ところが興味深いことに民主党はこの都議選の5人区で全敗している。つまり候補を2人立てようと、1人に絞ろうと結局は同じことになるのかもしれない。ある意味民主党執行部は最後の言い訳すら手放してしまったと言えないこともない。

ところでいくつかの記事によると今回の候補者一本化は党独自の「情勢調査も行った上で決めた」と言われる。

【参院選2013 東京】民主、東京公認を一本化 大河原氏反発 分裂選挙へ - MSN産経ニュース

たとえば上記記事には「候補者一本化の必要性を痛感した執行部は、週末に参院東京選挙区の世論調査を実施。その結果、大河原氏はやや劣勢だった。だが、この調査を根拠に公認を剥奪されることに大河原氏が納得するはずはない。これまでの調査では鈴木氏が劣勢だったこともあるからだ。しかも、6年前の参院選で大河原氏はトップ当選。鈴木氏は3位だ」とある。

この記事にあるように「大河原氏はやや劣勢」という程度の差で決めてしまったというのもどうかと思うが、そもそもの問題は情勢調査だけで「勝てる候補」に一本化しようとしたところにあるに思う。本当に一本化するのであれば、どちらの候補であろうと民主党の支持者の票を全て集められるはずなのだからさすがに当選することはできるであろう。であれば、その候補が何を訴え、何を参議院議員としてなしたいかをもとに決めるべきではなかったのか。つまり候補者一本化の作業には首都東京で民主党が何を訴えたいのかという議論が完全に欠落していた。ここに民主党の構造的な問題があるように思う。大勝した2009年の総選挙でも「政権交代」がスローガンだったように、民主党は選挙に勝つということを何よりもの大義名分にしていたように思う。それが一定の意味をもったことは否定しないが、その後の民主党政権の動向や昨年の総選挙での下野が意味しているのは、「選挙に勝利」した後に何をするかというビジョンがないままに「政権交代のある民主主義」を掲げて突っ走ってきたこの党の中心の不在とでもいえる状況ではないだろうか。それはイデオロギーというと少し大げさかもしれないが党が掲げる基本理念や目指す社会像のようなものだ(そういえば激論の末にできた民主党の綱領も何とも中途半端なものと言われている)。

それにしても中選挙区制というか、単記非移譲式の選挙は実にめんどくさいものだ。有権者の支持の多寡よりも政党の戦略次第で、当選者が変わり得るというのはわかりにくいしある意味、非民主的だといえる。比例代表とか移譲式の選挙制度に早く変わらないものだろうか。

追記:この記事を書いていて思ったのだが、意外と新聞記事などでも「東京選挙区」としているものがあるのだが、正式にはやはり「東京都選挙区」ですよね?

総選挙雑感

2012-12-17 20:06:00 | 日本のこと
ふーむ、自公圧勝ですか。3分の2を超えて再可決もできるわけで、ねじれ国会も気にしなくていいといえば気にしなくていいのだろうけれど、党内をまとめて公明党の賛同も得てというのは結構高いハードルのような気がする。
そして、公明党はどこまで安倍自民党についていけるのか。この間のこの党の行動原理は権力に擦り寄ることだけだったように思うのだが、全体が右傾化する中でどこまで、それをやれるのか(「人間的社会主義はどこへいった」とまでは言わないけれども)。

それにしても、郵政選挙以来のこの間の結果で、いい加減、小選挙区制がいかにひどいかがよくわかったのではないだろうか。毎回の選挙でがらっと議席は変動するが、そこで生み出される「チルドレン」達。小泉チルドレンや小沢チルドレンより今回当選した新人議員が有能であるとはちょっと思えない。ましてや「第3極」の新人議員なんてもっとひどいだろう。私たちは小選挙区制の下、「何か変わるかもしれない」という希望を持って政権を選択してきたけれども、いまだに政策を選択したことがないように思う。いい加減この選挙制度を何とかしないといけないというのが分かってきてもよさそうなものだが…。

結局、公明党に下駄をはかせてもらっている状態の自民党に小選挙区で勝つには、非自公を糾合しないといけないということで、前回それをやって見せたのが小沢さんだったということなのだろう。そして今回、小沢さんが身をもってそれを示してくれたということになる。
そもそも小沢一郎が脱原発なんてチャンチャラおかしいわけだが、あの党に期待した人たちはそれが何をもたらすのか、「こんなはずではなかった」ということを、これからつくづく思い知らされることになる。ベストではなかったにしてもよりましな政権とは何だったのか、脱原発を主張する人たちこそ思い知るだろう。すくなくとも新政権は民主党政権のように迷ったり悩んだりする姿をさらけ出しながら政権運営をしていくことはないのだから。

それにしても自民党というのはなんとしぶとい政党だろう。利権でつながっている「与党である」ことに意味がある自民党は、予算編成に数年タッチできなければ自ずと瓦解するという知人の見立てに何となく賛同していたのだが、この3回の予算編成を乗り切った自民党は本当にタフだなあと思う。

そして、参議院と併せて残った民主党はどこへ向かうのだろうか。残った人の顔ぶれをみると、そこそこの人が残ったようにも見えるが、同時に雑多な人が残ったようにも思う。「市民が主役の民主党」の時に少しはつくられつつあった党のアイデンティティは「政権交代」を至上命題にし、烏合の衆となっていく中で消えてしまった。
そういう意味でこの党が「社会党」や「社会民主党」を名乗れなかったのは、中道左派のアイデンティティをつくれなかったという意味でちょっとした悲劇なのかもしれない。
ポスト鳩菅の民主党がどういう方向性を示すのか注目したい。