つらねのため息

写真や少し長い文章を掲載していく予定。

国会の機能について思う

2010-07-06 12:51:00 | 日本のこと
消費税論議がかまびすしい。重要な問題なので、できるだけ時間をかけて議論をして欲しいと思う。

ところで、この問題で不思議なのは、なぜか「国民に信を問え」という論調が多いことだ。

民主党も消費税増税は次期総選挙後と言い、野党も消費税を増税するのであれば衆議院を解散して国民に信を問えという。

無論、重要な争点を総選挙で問うということは重要である。しかし、総選挙で信任を得ればそれでOKというのはいくつかの問題があるような気がする。

ひとつは過半数を占めている民主党と、野党第一党の自民党がともに消費税増税に賛成しているという状況下で、総選挙の結果が「消費税増税が国民の信任を得られなかった」というものになると言う事態は考えがたいことである。いわば「信を得られることが当然」なわけで、そのようなことに何の意味があるのだろうか。

第二に、上記の点とも関係するが総選挙は国民投票ではない。次期総選挙がどうなるかわからないが、消費税増税だけが唯一の争点ではない(だからこそ賛成派の民主・自民両党でかなりの議席を占めるわけだが)。単一争点選挙の愚かしさは、郵政選挙の結果を見れば明らかではないだろうか。

第三に、最も重要なのはこの種の争点は単にその時点での多数派の意思によって実現してよいと言う類のものではないはずだ。政権が変わるたびに税率がころころ変わるようでは、やはり困る。むしろ与野党間でよく議論をした上で、それぞれが政策を実現する上での共通の土台となるように制度を構築してもらいたい。

問題なのは国会がそのような「討議の場」としての機能を完全に喪失していることだ。国会での議論は単なるショーと化し、選挙で多数をとった党がやりたいことを実現するための場でしかなくなっている。そのような状況下で討議・熟議民主主義は望むべくもない。選挙で多数派を得るかどうかではなく、選挙の結果生じた議会配置のなかで、どのようにコンセンサスを得ていくのか。特に税のような重要な問題では、そのような国会の役割が問われてしかるべきだ。

増税の前に国民に信を問う。当たり前のようであるが、しかしそれは、上記のような国会の役割を放棄することではないだろうか。それは主権者の代表を選び、その討議のなかで国の意思決定をしていくという、間接民主主義の原理の放棄に他ならない。無論、主権者たる国民の意思を尊重することは大切だ。しかし、その上でいかに討議を重ね、よりよい政策を導き出していけるか。この国の民主主義の質を、もう少し深く考えるべきではないだろうか。

毎日ボートマッチ

2010-06-26 18:10:00 | 日本のこと
選挙の度にお世話になっている毎日ボートマッチを今回もやってみた

社民党が一致度トップで、続いて共産党という毎度の結果になったわけだが、民主党との一致度が48%と5割を割ってしまった。民主党が政権党になって、現実的になったということだろうか。

政党政治のありかた(二大政党制か多党制か)についての問いがあったことで、相対的に小党との一致度が上がったという点はあるのかもしれないが、それにしても自民党との一致度がもっとも低くなってしまったのには、我ながら少し笑える。

ところで、女性党って結構左っぽい政策なんですね。

民主主義の危機だ

2010-05-28 22:54:00 | 日本のこと
【毎日jp】普天間問題:辺野古へ移設、閣議決定…福島消費者相を罷免(2010年5月28日)

普天間問題は、結局、辺野古への移設という案が閣議決定されたそうで。

何よりもまず、どのような経緯を経ているにせよ、この解決策は沖縄にとって、そして先の総選挙において民主党に投票した少なくない人にとって、「解決策」ではないことをはっきりと言わねばなるまい。「少なくとも県外」という言葉は結局何だったのか、そのことは問われねばならないだろう。

そして、あいまいな妥協に逃げず、筋を通した福島大臣と社民党には「よく頑張った」と言いたい。少なくとも現状において、もっともわかりやすく、正しい対応をとられたように思う。

ところで、この問題が意味していることは、単なる外交・安全保障の問題を超えたところにあることを指摘したい。

ぼくは、鳩山首相のこの問題に対する「思い」において、疑うものではない。恐らく、総理はこの問題を本当に解決したいと思い、「少なくとも県外」という自己の言葉に忠実に、今日まで努力されてきたのだと思う。

問題は、総理がこの問題にしっかり取り組まなかったことではなく、しっかり取り組んだにもかかわらず、その所期の目的を達成できなかったというところにある。一国の総理大臣が、最重要問題の一つと位置付けかなりの情熱と精力を注いだにもかかわらず、この問題は、総理の望んだ方向にはほとんど進まなかった。

恐らくはアメリカの抵抗、そして(少なくとも結果的に)その意を呈した防衛官僚、外務官僚の抵抗を排除することはかなわなかったわけである。

先の総選挙で民主党に大勝をもたらしたのは、そういったよくわからないところで動く政治に飽き飽きし、自分たちの意思で政治を動かしたい、自らの一票で政治を動かしたいという有権者の意志ではなかったか。

その有権者の負託を受けて成立した鳩山政権が、自らの欲することを何らかの抵抗により達成できなかったという事実は非常に重い。これはこの国の民主主義の危機なのである。鳩山政権は自ら呼号した「政権交代」の意味を、自ら否定するような結果をもたらしてしまったのである。

総理会見を見ていたが「せざるを得ない」という言葉が何度出てきただろうか。この国の総理大臣と言うのはかくも無力だったのだろうか。さまざまな抵抗を排し「市民が主役」の政治を推し進めてほしい。

普天間問題について思う

2010-05-17 14:38:00 | 日本のこと
普天間問題はいよいよ行き詰っているようで。

鳩山政権のやり方を見ているともう少しやりようがあるよなあという気はしてならない。

鳩山総理が「少なくとも県外」と言った自分の言葉を何とか実現しようとして何か努力をしているのだろうなあと言うことはわかる。

しかし、「勉強した結果抑止力と言うのも大切だと言うことがわかりました」というのではちょっと言葉足らずというか、乱暴に過ぎる。

確かに、防衛と言う問題はなんでもオープンにできることでもないだろうけれども、「五月末までに県外移設を目指してやっていきましたが、政府として検討した結果、これこれこういう観点から、この程度は沖縄に残さざるを得ないと言う結論に至りました。残りはできるだけ県外に分散していきたいので、国民の皆さんの間でもよくご議論いただきたい」見たいな事くらいは言えないのだろうか?

自民党政権みたいに利権をぶら下げて徳之島の人を丸め込むみたいな芸当はまずできないのだから、正直に正面からここまでやったこと、これからやりたいことを示していくしかないだろう。

沖縄県の負担は重過ぎると考え、「少なくとも県外」という総理の思いを共有する国民は少なくないはずだ。いまや、自民党ですら県内移設に疑問を呈しているのだから。一国の総理大臣が望み、また国民の多くが望んでいることを実現できないと言うのは、民主主義国としていかがなことかと思う。

「たちあがれ日本」について

2010-04-11 23:10:00 | 日本のこと
こういうよくわからない政党ができてしまうということが、自民党政治の終焉を物語っているのだと思う。結局のところ、自民党の凝集力というのは政権党であることにあったということなのだろう。政権から落ちてしまえば、あとはてんでバラバラになってしまうというのはどうしようもないことなのかもしれない。

しかし、バラバラになってしまうにしてもなりかたというのがある。

思想的にいえば自民党には大きく言えば三つくらいの潮流があるように思っていて、(1)タカ派的思想保守(福田派など)、(2)自由主義(かつての三木派など)、(3)そしてその間にある旧田中派的利権保守位に分類できるのではないだろうか。このうち(3)の田中派的な人々は何よりも政権党であることに意義を見出す人たちだから、政権党でなくなった以上、徐々に勢力を失っていく(小沢一郎のように民主党に行ったりすると言えるかもしれない)。だから有権者からしてみれば(1)タカ派保守自民党と(2)リベラル自民党に分かれてくれた方がわかりやすく投票しやすい。みんなの党は(今のところ)成功した後者の一派生と言えるかも知れない。

平沼新党もタカ派保守新党になっていればもう少しわかりやすかっただろうし、もうちょっと支持を受けやすかったのではないだろうか。

では、なぜこうわかりにくいことになったのだろうか。

リベラルっぽい与謝野、園田両氏から、タカ派の平沼氏まで、よくいえば間口の広い、悪く言えばバラバラの新党ができてしまった。

これは自民党の政治家が、いまだに政権交代という事実を理解していないということなのではないだろうか。というのも、恐らく彼らは自民党が分裂すれば民主党も分裂すると思っているのだ。つまり、彼らは政界再編を目指しているのだろう。その時、ガラガラポンで二大政党ができたとき、右寄りの党にはかつての自民党くらいの思想的幅の広さ(つまり平沼氏から与謝野氏まで)があっても確かにおかしくはない。

多くの有権者が感じている(至極常識的な)違和感を当事者が(強弁にしろ)まったく感じていないというのは、そういうことができると彼らが夢想しているからだと思う。

というのも自民党の中では派閥領袖クラスの彼らのような政治家がついてくれば、子分が付いてくるのは当たり前だったからだ。彼らは「実力者」である自分たちが新党を結成すれば自民党からも民主党からも一定程度の人たちが集まってきて、政界再編の核になりうるという幻想を抱いているのだ。

けど、言うまでもなく、そんなことは今の状況下ですぐできることではないし、何よりもあの老人たちについて行ってそれを成し遂げようという人はいないだろう。

つまり、何か合理的な行動と言うよりも、政治の新しい動きについていけなくなった、自民党的常識しか持ち合わせていない人たちの、哀れな末路という気がしてならない。

policy-orientedな政界再編なんて、完全比例代表制にでもしないとまず無理なんだろうなあ…。

ところで、Y武さんに「『フォルツァ・イタリアかよ!』というツッコミが日本中の欧州政治学者の間で飛び交っていると思う」と言わしめた党名については、twitterか何かで見た「首都大学東京」、「新銀行東京」に続いての固有名詞を後に持ってくるという都知事のワンパターンぶりは、文学者としてどうなのかというつっこみが一番面白いと思っている。

老人党」をなだいなださんにとられたのも痛かったのかな(笑)。

それにしてもA級戦犯の孫と反戦歌人の孫だからねえ(苦笑)。