『社会運動』No.419(2015年7月)の辻元清美インタビュー「この危機に立ち向かうには」を読む。一言で感想を言えば、この人は市民運動の強さとその限界を知り、市民運動が権力の中に入っていくことの意義と苦しみを理解していると強く思った。
辻元のテーマであるという「権力の市民化はできるのか」という問いは深く、悩ましい。辻元がドイツ緑の党を引き合いに語るように、市民運動を基盤とした政党が政権党になった際に、あくまでも自らの要求を貫こうとする市民運動と、調整の場である政治の中で責任を負わなければならない政権党の立場との間で相克が生じるのはやむを得ない。しかし、その相克を乗り越えることができるように、この国の市民社会は成熟していかなければいけないのだろう。
そうした成熟した市民社会を草の根からつくりあげていくことが安倍政治的なものに対抗するうえでも有効なことは論を俟たない。
そういう問題意識を持つ政治家がいることはこの国の市民社会の希望だ。日本にもヨシカ・フィッシャーはいるのだ。
辻元のテーマであるという「権力の市民化はできるのか」という問いは深く、悩ましい。辻元がドイツ緑の党を引き合いに語るように、市民運動を基盤とした政党が政権党になった際に、あくまでも自らの要求を貫こうとする市民運動と、調整の場である政治の中で責任を負わなければならない政権党の立場との間で相克が生じるのはやむを得ない。しかし、その相克を乗り越えることができるように、この国の市民社会は成熟していかなければいけないのだろう。
そうした成熟した市民社会を草の根からつくりあげていくことが安倍政治的なものに対抗するうえでも有効なことは論を俟たない。
そういう問題意識を持つ政治家がいることはこの国の市民社会の希望だ。日本にもヨシカ・フィッシャーはいるのだ。
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