つらねのため息

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「たちあがれ日本」について

2010-04-11 23:10:00 | 日本のこと
こういうよくわからない政党ができてしまうということが、自民党政治の終焉を物語っているのだと思う。結局のところ、自民党の凝集力というのは政権党であることにあったということなのだろう。政権から落ちてしまえば、あとはてんでバラバラになってしまうというのはどうしようもないことなのかもしれない。

しかし、バラバラになってしまうにしてもなりかたというのがある。

思想的にいえば自民党には大きく言えば三つくらいの潮流があるように思っていて、(1)タカ派的思想保守(福田派など)、(2)自由主義(かつての三木派など)、(3)そしてその間にある旧田中派的利権保守位に分類できるのではないだろうか。このうち(3)の田中派的な人々は何よりも政権党であることに意義を見出す人たちだから、政権党でなくなった以上、徐々に勢力を失っていく(小沢一郎のように民主党に行ったりすると言えるかもしれない)。だから有権者からしてみれば(1)タカ派保守自民党と(2)リベラル自民党に分かれてくれた方がわかりやすく投票しやすい。みんなの党は(今のところ)成功した後者の一派生と言えるかも知れない。

平沼新党もタカ派保守新党になっていればもう少しわかりやすかっただろうし、もうちょっと支持を受けやすかったのではないだろうか。

では、なぜこうわかりにくいことになったのだろうか。

リベラルっぽい与謝野、園田両氏から、タカ派の平沼氏まで、よくいえば間口の広い、悪く言えばバラバラの新党ができてしまった。

これは自民党の政治家が、いまだに政権交代という事実を理解していないということなのではないだろうか。というのも、恐らく彼らは自民党が分裂すれば民主党も分裂すると思っているのだ。つまり、彼らは政界再編を目指しているのだろう。その時、ガラガラポンで二大政党ができたとき、右寄りの党にはかつての自民党くらいの思想的幅の広さ(つまり平沼氏から与謝野氏まで)があっても確かにおかしくはない。

多くの有権者が感じている(至極常識的な)違和感を当事者が(強弁にしろ)まったく感じていないというのは、そういうことができると彼らが夢想しているからだと思う。

というのも自民党の中では派閥領袖クラスの彼らのような政治家がついてくれば、子分が付いてくるのは当たり前だったからだ。彼らは「実力者」である自分たちが新党を結成すれば自民党からも民主党からも一定程度の人たちが集まってきて、政界再編の核になりうるという幻想を抱いているのだ。

けど、言うまでもなく、そんなことは今の状況下ですぐできることではないし、何よりもあの老人たちについて行ってそれを成し遂げようという人はいないだろう。

つまり、何か合理的な行動と言うよりも、政治の新しい動きについていけなくなった、自民党的常識しか持ち合わせていない人たちの、哀れな末路という気がしてならない。

policy-orientedな政界再編なんて、完全比例代表制にでもしないとまず無理なんだろうなあ…。

ところで、Y武さんに「『フォルツァ・イタリアかよ!』というツッコミが日本中の欧州政治学者の間で飛び交っていると思う」と言わしめた党名については、twitterか何かで見た「首都大学東京」、「新銀行東京」に続いての固有名詞を後に持ってくるという都知事のワンパターンぶりは、文学者としてどうなのかというつっこみが一番面白いと思っている。

老人党」をなだいなださんにとられたのも痛かったのかな(笑)。

それにしてもA級戦犯の孫と反戦歌人の孫だからねえ(苦笑)。

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