時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

アキバ事件の献花台泥棒

2008年07月14日 13時14分02秒 | 社会・経済
今日のテレビ朝日は秋葉原通り魔事件の献花台泥棒に異様に力を注ぎ、『スーパーモーニング』と『ワイドスクランブル』の両ワイドショーで長時間に渡って放送していた。

ワイドMCの大和田獏は、
「こんなことをする人は心が貧しいですね」
とコメントしていたが、そうか?と思う。
心が貧しいのではなく、経済的に貧しいのではないか?

「誰も見ていなかったら、献花台に備えられたジュースを飲むか?」と質問されれば「絶対に飲まない」と答える。
それは、万が一の異物混入等の心配もあるが、極論すれば「プライド」だろう。決して「倫理観」のブレーキでは無い気がする。
「たかだか120円のジュースを献花台から盗んで飲むほど、落ちぶれちゃいない」というプライドが行為を抑止していると思う。これが、もしも100万円の札束が置かれていて、本当に誰も見ていないなら自重する自信はない(笑)。だから「倫理観のブレーキ」ではないと言い切れる(笑)。

筆者の幼少期は、ちょうど戦後の焼野原から復興し、やがて高度経済成長期に入る前夜の時期。この頃、よく墓に備えられた饅頭を食う乞食がいた。「乞食」は注意用語らしいが、過去のことだから大目に見てくれ(笑)。
彼らの行為は大して問題にならなかった。備えた人も、寺も黙認していた感じ。どうせ腐ってしまう物ならば、それが生きている人間の糧になるほうが役立つ――みたいな考え方があったように思う。仏教って、こういう懐の広さが結構好き。

現実に話を戻す。アキバの献花台に置かれた食物や飲料。あれをあとで食べたり飲んだりすることはないと思う。前述のような安全性の疑問もあるし、正式に処理するなら所有権とかそういう面倒くさい問題が生じる。
ならば今、喉の渇きをそれで潤す人間のことなど放っておいて良いと感じる。
「献花台に備えた人の気持ち」なんてことを大袈裟に騒ぐ問題ではない。「心が貧しいですね」なんてコメントの前に、キャスターならば「そんな行為をする人間を生んでいる社会状況」のほうを斬るべきではないだろうか?

願うのは、この報道が成されたことによって、異物混入した飲料を故意に供えたりする新たな馬鹿者が現れないことだ。そういう狂った輩が次から次へと出てくるほど現代は病んでいるから。

1980年代ころならば、こうした行為をする人間はほとんどいなかったように感じる。それは、ほとんどの人間が、こうした浅ましい行動を抑止できる「プライドのブレーキ」を持てていたからだろう。「格差社会」とあっさり分析するのは陳腐だが、確かに人間は二分されてきている。幸いにも戦争は起きなかったが、今の時代は戦後のあの時期に似てきている。


車に映画のステッカーでガソリン5円引き

2008年07月14日 07時38分00秒 | 音楽・芸能
車に映画のステッカーでガソリン5円引き

うまいこと考えたなと感心する。記事でも、「ステッカーを張った車が走ることで東映には映画宣伝となり、宇佐美グループは客足増加を望め、ドライバーは低価格で給油できる。3者が得をするという画期的なキャンペーンとして話題になりそうだ」三方一両得に触れているが、さらに言えばガソリンを大量に消費して多くの割引を受けられるドライバーは、それだけクルマで走り回っていることになり、ステッカーが他人の目に触れる機会が多い。つまり宣伝効果に比例して宣伝料(割引額)が増えるわけだ。

インターネットのアフィリエイト広告も同様の仕組。広告主にとってはリンクを辿ってWebを訪れてもらい商品を購入してもらうのがベストだが、単に貼られたバナーを見てもらうだけでも宣伝にはなる。そしてアフィリエイト料が多いHPは閲覧者も多いHPだろうからバナーが目に触れる機会も多いだろうし、逆に閲覧者が少ないHPはクリック数も少ないだろうからアフィリエイト料をほとんど払う必要がない。きちんと宣伝効果に見合う宣伝料が払われるシステムになっている。
民間の知恵は抜け目なく合理的だ。


【追記】
7月15日に同系統の経済ニュースが。
広告付き新車購入で6万円贈呈
ガソリン高騰で自動車の販売台数が落ちてるってことだからメーカーも色々と考えるんだね。
なんだかエコーはがきみたいだけど(笑)。