少年グループ、決闘罪で逮捕
恥ずかしながら、こんな罪が存在することすら知らなかった。
なんでも明治22年に制定された法律だそうだ。しかし現在まで適用された事例はほとんど無いらしい。
今回、この罪が適用されたのは「同県警によると、『決闘罪はケンカを買った側も罪になる』と話しており、今回はその原則が適用されたことになる」かららしい。喧嘩両成敗ということか? 平等かもしれない。
決闘といえば宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘などが有名だが、戦国時代は決闘は日常的だった。親玉同士があちこちで戦っていたのだから。しかし江戸時代になって戦乱が治まると、幕府は政権維持のため争いごとを禁止した。例外的に認められたのは敵討で、これは武士の本懐だからだろう。忠臣蔵で赤穂浪士の仇討ちが認められなかったのは、浅野内匠頭は吉良上野介に斬り殺された訳ではなく、江戸城内での刃傷沙汰という幕府の禁制を破ったために処罰されたからだ。
ともかく江戸時代までは敵討のための決闘は公認されていたので、この決闘罪は明治になって一切の決闘を禁止するために制定された法律と見て良いだろう。
……にしても、こんな1世紀以上前の法律を適用される事態を起こすとは。
1世紀前の法律とブログに果たし状という現代ならではのミスマッチが非常に好対照な事件だ。
恥ずかしながら、こんな罪が存在することすら知らなかった。
なんでも明治22年に制定された法律だそうだ。しかし現在まで適用された事例はほとんど無いらしい。
今回、この罪が適用されたのは「同県警によると、『決闘罪はケンカを買った側も罪になる』と話しており、今回はその原則が適用されたことになる」かららしい。喧嘩両成敗ということか? 平等かもしれない。
決闘といえば宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘などが有名だが、戦国時代は決闘は日常的だった。親玉同士があちこちで戦っていたのだから。しかし江戸時代になって戦乱が治まると、幕府は政権維持のため争いごとを禁止した。例外的に認められたのは敵討で、これは武士の本懐だからだろう。忠臣蔵で赤穂浪士の仇討ちが認められなかったのは、浅野内匠頭は吉良上野介に斬り殺された訳ではなく、江戸城内での刃傷沙汰という幕府の禁制を破ったために処罰されたからだ。
ともかく江戸時代までは敵討のための決闘は公認されていたので、この決闘罪は明治になって一切の決闘を禁止するために制定された法律と見て良いだろう。
……にしても、こんな1世紀以上前の法律を適用される事態を起こすとは。
1世紀前の法律とブログに果たし状という現代ならではのミスマッチが非常に好対照な事件だ。