何故、国民に対する要請だけが政策なんだろう。
防疫の基本は「隔離、淘汰、消毒」、らしい。今国が行っている対策は、消毒に関することがほとんどである。要は消毒のための対策である。三密を避けるのも、マスクをするのも、うがい・アルコール消毒をするのも消毒のためである。何故消毒だけの対策しかないのだろう。しかも積極的な消毒でもなく、具体的な国や地方自治体の対策ではなく、国民に対する要望になっているのだろう。なんかおかしい気がする。貴重な予算の使い方にも疑問が生じる。
隔離と淘汰はどうなっているのだろう。
隔離するためには、感染者の特定をする必要がある。そして、特定された人は確実に隔離する必要がある。そのための対策は果たしてなされているのだろうか。どう見てもそうは思えない。特定する努力もしてないし、特定した人を隔離する対策もなされていないような気がする。市中に感染した人が自由に横行しているから感染者が増加するのである。無症状の感染者は別にして、感染者は確実に隔離しなければならない。
無症状の感染者がいることは対策できないことの言い訳にはならない。
症状のある人の隔離を確実にすることを徹底しなければならない。少なくても、発熱症状のある人は、識別して、それなりの検査をしてそれなりの対策をする必要があると思う。そのための例えば、体温測定する機器を導入するための補助金を国や地方自治体が支援する政策を展開したらどうだろう。額での体温計や温度センサーによる画像診断などであろう。検査してそのままやりっぱなしではいけない。その結果を感染者の検査診断に確実につなげるのである。報告義務も徹底しなければならない。
新型ウィルスの感染者を世の中からなくす努力をしなければならない。
それなのに、全く関係ない不特定多数の人たちに向かって、感染しないように防衛するための対策を要請するだけでは片手落ちである気がする。効率も悪い。一人の感染者を隔離するだけで感染の確率は劇的に変化するはずである。感染による伝播はネズミ算的に増大するのは当然の事実である。感染者を隔離することは、自由を束縛することでもあるが、そのことに対する対策も考えなければならない。営業時間短縮の休業補償の前に、隔離された人の休業補償も必要であろう。
感染者が闇に葬られている。
誰でも感染する可能性はあるのである。感染したから悪いわけでもないし、他人から非難され村八分にされハラスメントされる必要もない。その部分も国や地方自治体が対策してやる必要がある。感染しても安心して治療できる環境を整備しなければならないと思う。そんな対策が全くないために、感染者であって自覚症状があっても検査を拒否する人が多くなっている。感染者になると生活ができなくなるし、極端に自由が束縛され、不自由な生活を強いられるのである。健康な人以外は誰も検査しないし、たとえ検査で陽性が判明しても報告義務はない。おかしなことである。
だいたいが、感染者数は不確定である。
検査数を増やせば感染者数は増大する。そのために曜日ごとに感染者が増減するのを一喜一憂するのは意味がない。少なくとも統計が正確であれば、確定しているのは重症患者と死者数である。しかしこれも正確ではない。新型コロナに罹患しているのかどうかは明確ではない(ウィルスの検出と罹患は別である)し、新型コロナで死亡したかどうかも明確ではない。基礎疾患がある人はたとえ新型コロナに罹患してなくてもその他の原因で新型コロナの症状があり、新型コロナ以外の原因で死亡する。それでも、今のところ確かな統計の数字は重症患者数と死亡者数である。感染者数だけではいかに意味がないかが理解できると思う。
新型コロナは果たして淘汰できるのだろうか。
淘汰するためには、新型コロナについて徹底的に研究・分析する必要がある。ところが、もう一年経とうとしているのに、その成果が見えてこない。新型コロナによる罹患症状の細部についても正確な情報が伝わってこない。一患者の経験談で、味覚や臭覚に異常があったとか、発熱は当然として、空咳、倦怠感、頭痛、皮膚の発疹などであるが、これほど患者がいるのにその症状を特定できていない。また、治療段階でどのような経過をたどっているのかも見えてこない。罹患しても命の危険があるのかそれ程でもないのかも一般の人にはわからない。
淘汰するためには、感染経路の確定が不可欠である。
しかし、今現在、ほとんどが感染経路が不明の症例ばかりである。これでは淘汰するための対策とは程遠い。スマホによる「ココア」なるアプリもあるが、はっきり言って役に立たない。もっと本腰を入れて(予算を投入して)対策すべきである。厳格に感染者を登録し、感染者の発覚前の動向を明確にして、新たな感染者の候補を発見できる機能を持たせなければならないだろう。そして、濃厚接触者は自己申告ではなくて、強制的に検査するぐらいの仕組みにしないと意味がない。
だいたいが、淘汰に至らないのは、
最初の新型コロナ発生時点での対策が不十分だったからである。この部分も今後の反省として大いに教訓事項を整備しなければならない。その部分の調査予算も必要なんだろう。パンデミックは新型コロナだけではない。将来はいろいろなパンデミックが起こるだろう。With Corona どころではない。With Pandemic なのである。今回はそのための絶好のケーススタディーだと思わなければならない。そして、社会を With Pandemic に対応できるように変えていかなければならないのである。その絶好の機会でもある。間違っても元に戻すことで満足してはいけない。
防疫の基本は「隔離、淘汰、消毒」、らしい。今国が行っている対策は、消毒に関することがほとんどである。要は消毒のための対策である。三密を避けるのも、マスクをするのも、うがい・アルコール消毒をするのも消毒のためである。何故消毒だけの対策しかないのだろう。しかも積極的な消毒でもなく、具体的な国や地方自治体の対策ではなく、国民に対する要望になっているのだろう。なんかおかしい気がする。貴重な予算の使い方にも疑問が生じる。
隔離と淘汰はどうなっているのだろう。
隔離するためには、感染者の特定をする必要がある。そして、特定された人は確実に隔離する必要がある。そのための対策は果たしてなされているのだろうか。どう見てもそうは思えない。特定する努力もしてないし、特定した人を隔離する対策もなされていないような気がする。市中に感染した人が自由に横行しているから感染者が増加するのである。無症状の感染者は別にして、感染者は確実に隔離しなければならない。
無症状の感染者がいることは対策できないことの言い訳にはならない。
症状のある人の隔離を確実にすることを徹底しなければならない。少なくても、発熱症状のある人は、識別して、それなりの検査をしてそれなりの対策をする必要があると思う。そのための例えば、体温測定する機器を導入するための補助金を国や地方自治体が支援する政策を展開したらどうだろう。額での体温計や温度センサーによる画像診断などであろう。検査してそのままやりっぱなしではいけない。その結果を感染者の検査診断に確実につなげるのである。報告義務も徹底しなければならない。
新型ウィルスの感染者を世の中からなくす努力をしなければならない。
それなのに、全く関係ない不特定多数の人たちに向かって、感染しないように防衛するための対策を要請するだけでは片手落ちである気がする。効率も悪い。一人の感染者を隔離するだけで感染の確率は劇的に変化するはずである。感染による伝播はネズミ算的に増大するのは当然の事実である。感染者を隔離することは、自由を束縛することでもあるが、そのことに対する対策も考えなければならない。営業時間短縮の休業補償の前に、隔離された人の休業補償も必要であろう。
感染者が闇に葬られている。
誰でも感染する可能性はあるのである。感染したから悪いわけでもないし、他人から非難され村八分にされハラスメントされる必要もない。その部分も国や地方自治体が対策してやる必要がある。感染しても安心して治療できる環境を整備しなければならないと思う。そんな対策が全くないために、感染者であって自覚症状があっても検査を拒否する人が多くなっている。感染者になると生活ができなくなるし、極端に自由が束縛され、不自由な生活を強いられるのである。健康な人以外は誰も検査しないし、たとえ検査で陽性が判明しても報告義務はない。おかしなことである。
だいたいが、感染者数は不確定である。
検査数を増やせば感染者数は増大する。そのために曜日ごとに感染者が増減するのを一喜一憂するのは意味がない。少なくとも統計が正確であれば、確定しているのは重症患者と死者数である。しかしこれも正確ではない。新型コロナに罹患しているのかどうかは明確ではない(ウィルスの検出と罹患は別である)し、新型コロナで死亡したかどうかも明確ではない。基礎疾患がある人はたとえ新型コロナに罹患してなくてもその他の原因で新型コロナの症状があり、新型コロナ以外の原因で死亡する。それでも、今のところ確かな統計の数字は重症患者数と死亡者数である。感染者数だけではいかに意味がないかが理解できると思う。
新型コロナは果たして淘汰できるのだろうか。
淘汰するためには、新型コロナについて徹底的に研究・分析する必要がある。ところが、もう一年経とうとしているのに、その成果が見えてこない。新型コロナによる罹患症状の細部についても正確な情報が伝わってこない。一患者の経験談で、味覚や臭覚に異常があったとか、発熱は当然として、空咳、倦怠感、頭痛、皮膚の発疹などであるが、これほど患者がいるのにその症状を特定できていない。また、治療段階でどのような経過をたどっているのかも見えてこない。罹患しても命の危険があるのかそれ程でもないのかも一般の人にはわからない。
淘汰するためには、感染経路の確定が不可欠である。
しかし、今現在、ほとんどが感染経路が不明の症例ばかりである。これでは淘汰するための対策とは程遠い。スマホによる「ココア」なるアプリもあるが、はっきり言って役に立たない。もっと本腰を入れて(予算を投入して)対策すべきである。厳格に感染者を登録し、感染者の発覚前の動向を明確にして、新たな感染者の候補を発見できる機能を持たせなければならないだろう。そして、濃厚接触者は自己申告ではなくて、強制的に検査するぐらいの仕組みにしないと意味がない。
だいたいが、淘汰に至らないのは、
最初の新型コロナ発生時点での対策が不十分だったからである。この部分も今後の反省として大いに教訓事項を整備しなければならない。その部分の調査予算も必要なんだろう。パンデミックは新型コロナだけではない。将来はいろいろなパンデミックが起こるだろう。With Corona どころではない。With Pandemic なのである。今回はそのための絶好のケーススタディーだと思わなければならない。そして、社会を With Pandemic に対応できるように変えていかなければならないのである。その絶好の機会でもある。間違っても元に戻すことで満足してはいけない。
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