オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

効率化・合理化の原点は「ケチ」である。

2007年12月29日 | Weblog

散歩の途中、缶入り飲料が自動販売機で売られている。

 通りがかりの人が気軽に買って行く。何てことないいつもの風景である。しかし、同じ飲料をスーパーで買うと量こそ多くなるが格段に安く買える。下手をすると缶入り飲料の価格にちょっと足せばたっぷりの大瓶のものが買える。同じ缶入り飲料でもスーパーで買うと3~4割引きで買える。これは一体何だろう。自動販売機の良さは便利さだけである。自動販売機を使う人はこの便利さだけにこれだけの無駄なお金を使っているのだろうか。人里離れた山中や海辺でこのサービスはありがたいが、自動販売機はほとんど繁華街に集中して収益をあげているようである。確かに一人で手軽に飲むのは適量で、わざわざ店に出向いて商品を捜したりレジに並ぶ必要もなく便利といえば便利だが何かおかしい。

缶入り飲料の製造原価の細部が気になるところだ。

 中身がいくらで、缶代がいくらで、流通経費がいくらで、自動販売機のコストがいくらで、儲けがいくらで、としっかりと説明してもらえないものだろうか。その情報がないばかりに価格が高いのか安いのか、妥当なのか消費者に判断できない。ある人に言わせると、缶入り飲料の中身の実質の値段は微々たるもので、ほとんどが缶代であるという。しかも、その缶が環境問題になっている。直ちに捨てる要らない缶をわざわざ買わされて、しかもゴミとして処分するのに頭を悩ましている。何ともおかしな話である。

おかしな話がまかり通っているのは情報の不足からである。

 缶入り飲料に関する徹底した情報が得られれば、消費者の判断も変わってくるであろう。だが、メーカーは自ら売り上げを減らすような情報をあえて流すわけがない。下手をすると缶入り飲料の売り上げに大きく影響する。しかし、消費者が要求すれば状況の許す範囲で必要な情報は提供しなければならない。これこそまさに「情報公開」であろう。何の説明もなしに一方的に商品とサービスだけを提供し、消費者が買ってくれるからそれでいいというのはあまりにも不条理である。消費者も黙っていてはいけないと思う。

このようなケースは他にもたくさんある。

 このような情報公開をすれば、消費者の正当な判断を促し、不必要な包装や瓶、缶、ペットボトル、使い捨て製品などが大局的に見るといかに無駄であるか明らかになり、環境問題も大いに軽減されるのではないか。特に、昨今の不況である。庶民は一生懸命節約を心がけている。少しでも安く実質的なものを求めているはずである。不必要なゴミ対策費も画期的に節約でき一挙両得ではないか。無駄なものに無駄な金をつぎ込むのは消費拡大ではない。

1年使える千円の使い捨て製品を買うのと、

 10年使える1万円のしっかりした製品を買うのとどっちが徳か。10年間のトータル金額は1万円で同じだが、答えは後者である。なぜならば、10倍優秀な物を10年間使えるのである。これを可能にするには、長期的な視野をもって良い物を選ぶことと、物を大切にする心である。まめに手入れをする。壊れても修理する。亡くしたり捨てたりなんてもってのほかである。いずれも今の時代に欠けている要素ではないか。お客は後者を求めており、製造メーカーは後者のような製品を目指すべきである。また、壊れても修理できるサービス体制を整備しなければならない。

缶入り飲料の普及は、自動販売機の普及と密接に関係している。

 缶入り飲料は自動販売機で最も売りやすい形態をとっている。しかし、缶入り飲料しか買えない自動販売機の普及は消費者の望むところではなく、売る側の一方的な都合である。そうであれば、自動販売機そのものの存在も疑わしくなる。これはどえらいことだ。全国津々浦々に行き渡っている自動販売機をどうしよう。何でこうなってしまったのだろう。これも情報の不足からくるおかしな現象かもしれない。消費者は知らない間に高いものを買わされている。自動販売機がこれほど普及している国もめずらしい。別に混乱をさせるつもりはないし、即刻改善せよとは言わないが、考え直してみる価値はあるのではないか。消費者も何が得なのかをよ~く考えてみよう。

JRの快速と特急も不可解である。

 時間的にはあまり変わらないのに、特急は別に特急料金を払わなければならない。そのために乗客が少なく、ガラガラの空車両を運行している。運賃が所用時間と居住空間で決まるのであれば快速も特急も所要時間にはあまり変わりなく、居住空間の差はグリーン車にすればいい。そうすれば特急電車のガラガラの空き車両が快速電車として有効利用され効率的で利益も上がるのではないかといつも感じている。

私の住む千葉には成田・総武線があり、

 成田空港と東京間を利用する外国人を見かけるが、実質を重んじるのか普通の快速を愛用している人が多いようだ。もっと速いという成田エクスプレスは特別料金の全席指定であるが、特に平日はガラガラである。私は未だに一度も乗ったことがない。果たして乗車率はいかほどで採算は取れているのであろうか。もし乗車率が低いのであれば、一般の快速電車の混雑解消のため有効利用することを検討してみてはどうだろう。

我々は金のことに固執することをあまり好まない。

 「ケチ」は嫌われる。しかし、効率化・合理化の原点は「ケチ」である。「消費は美徳」の時代はとっくに終わっている。環境問題も「ケチ」で解決できる。会社のリストラも「ケチ」で乗り越えられる。国の予算も「ケチ」で画期的な改善が可能である。「ケチ」では消費拡大は望めないというのは誤解である。「ケチ」で節約した人・物・金・時間・空間・情報は他のことに有効に活用でき、全体の経済活動はより活性化する。「ケチ」から発する判断は本質的な真実をとらえている。「ケチ」の判断には無駄がない。「ケチ」は資源を有効活用する。「ケチ」の判断基準は明確である。

世の中の判断基準は、善悪、真偽、美醜などがあるが、

 コスト管理も重要な判断基準である。物事を金に換算し、この金額を判断基準により効率的なものを追求することになる。善悪、真偽、美醜は計数的に測れないが、金は勘定できる。ただし、目先の儲けだけを追求するコスト管理はいただけない。理想は長期的な将来を見越した地球レベルのコスト管理であり、これにより日本経済の健全性も取り戻せ、国際競争力も得られ、環境問題さえも解決可能である。

訳の解らないしがらみや、

 自己中心の利害得失、既得権益、感情論、近視眼的なその場限りの対策などは害を及ぼすばかりだ。大局的見地からの金勘定で議論したほうがよっぽどましだ。将来を見通しても採算が取れないと判断されたものは断固として止めなければならないのである。無駄なものは英断をもって改善しなければならないのである。


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