境界となる値である。この値を境に上下で意味や条件や判定などが異なる値のことである。
プログラミングで条件分岐などに使われるが、もともとは生物学や生理学などで、ある現象や反応などが誘起される最低限の量などを示す概念である。私は建物の入口にある横木の敷居のことだと思っていたが、ま…んんざら間違いではなかったようである。今回はプログラミングではなく、生物学や生理学の閾値である。専門的には「いきち」と読んで区別しているようである。
閾値は人間の体の中にもある。
問題は、この閾値が思った以上に高いことである。しかもこの閾値は経験に基づいて変化する。通常は深刻で重大な状況で緊急警報を出す必要がある時に閾値を超えて痛みとして生起する。しかし、この時は通常は手遅れの場合が多い。かと言って、体がしょっちゅう警告の痛みを発していたのではたまらない。生物の体の仕組みはうまくできているのである。
痛みを感じたときにはすでに病状は悪化している。
そして、痛みを感じた以降は体の閾値が下がって、ほんのちょっとしたことでも痛みを感じて我慢できなくなる。脳や感覚器官が異常に反応し始めるのである。そのために医者は対処療法の痛み止めを処方するが、問題はこれで終わらせてはいけないことである。体が警告を発した根本の原因を取り除かなければならない。痛みがなくなったから治ったわけではないのである。
痛みはそのまま放置していると徐々になくなってゆく。
脳や感覚器官が学習して、また閾値をもとに戻して痛みを感じなくするのである。しかし、大本の病状はそのままである。そうやって病状をますます悪化させて取り返しの付かないことになる。最初の体の痛みの警告を無視しないで大切にしなければならないのである。確かに人間の体は無理が効くようになっているが、無理を続けると壊れてしまう。
本来であれば、痛みが生ずる前に対処すべきなのである。
自分の体である、自分で体に聞いてみるのである。痛みではなくても、違和感だったり、不快感であったり、シクシクモヤモヤした感覚だったり、機能的におかしかったり、手で圧迫すると痛みがあったり、腫れていたり、赤くなったりなどなどである。このぐらいの時に治療すれば重症化する前の状態で軽症で済んでしまうし体の負担も少ない。
お医者さんは病状が発症してからしか治療しない。
本当はその時点では遅すぎるのであるが、予防医療は遅々として進まない。はっきりいうと効率が悪くて金儲けにつながらないのである。食事に気をつけましょう、運動しましょう、睡眠を十分取りましょう、ストレスを軽減しましょう、生活習慣を改善しましょうといくら言っても治療費はもらえないのである。検査したり投薬したり手術したりでないと医療費は請求できない。
そんな事を考えながら、
我々ができることは、痛みが生じる前の予防を自分でやるしかない。自分で体の異常を感じたら、積極的に通院して診断することである。自分の体は自分にしか解らないのである。自分の体のことを一番良く知っているのは自分自身である。そして、痛みが生じたら我慢しないで徹底的に原因究明して正常な状態に復元することである。これは医者にまかせるしかない。
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