オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

「コミュニケーション」と「縁結び」「縁切り」

2011年01月04日 | Weblog
英語の「コミュニケーション」を日本語で何と表現するかを考えている。

 英和辞典では「連絡」「伝達」「報道」などとなっているが、どうもしっくりとこない。日本本来の言葉の中に同じ様な概念はないのだろうかと考え続けていたが、その候補に挙がるのが「縁」である。「縁」とは、えん、えにし、ゆかりの意味であり「袖振り合うも他生の縁」の意味で、「コミュニケーション」に対する日本語としての深い意味を表すことができると思っている。人と人の関係において「コミュニケーション」と「縁」は概念として非常に同調できるのではないかと思う。

「コミュニケーション」の主体は個人である。

 あくまで「個人」同士が気持ちを通い合わせるための手段が「コミュニケーション」である。個人同士の概念の違いを埋め合わせる行為が「コミュニケーション」と言える。そのためには、個人が個性を主張し合わないと「コミュニケーション」はできない。どこの部分が違ってて、どこの部分が同じであるかを認識することが「コミュニケーション」の前提である。そして、違う部分を認め合う事が「コミュニケーション」とも言える。単なる「連絡」「伝達」「報道」ではないようである。「連絡」「伝達」「報道」はコミュニケーションの最初の部分に過ぎない気がする。

日本語の「縁」とは何だろう。

 「縁」は神が与えた偶然に過ぎない。個人との関係においては「縁」は一方的に与えられるものである。結果的には「コミュニケーション」と「縁」は同じ形と結果を生むかもしれないが、個人が主体的であるか受動的であるかに大きな違いがある。これは、日本人独特の人間関係の考え方の違いのような気がする。やはり和と洋の考え方は人間関係のあり方そのものにも違いがあるようだ。日本人は昔から個人を主張する事よりも集団に従属する事を優先する。そして個人を積極的に主張する人を異端児として排除する傾向がある。集団を言い換える巧妙な手段が「神」であるようだ。「神」と言っても「八百万の神=自然」であって、特定の神ではない。農耕民族である日本人のルーツに因るところであろう。

英語の「コミュニケーション」の扱いに注意しなければならない。

 日本人としては、「縁」の概念で理解しているが、そこにはギャップがある。そのために「コミュニケーション」が別の意味で誤解され猛威を放っている。個人の主張のない「コミュニケーション」が跋扈しているのである。そしてそれを神の啓示のごとく「縁」として受け取っている気がする。昔のように偶然の巡り合わせであるくらいならそれほど影響はないが、毎日のように繰り返し誤解された「コミュニケーション」が大量に押し寄せるとパニックに陥ってしまう。そして、昔であると「縁結び」と「縁切り」という選択肢があったけれども、「コミュニケーション」にこの概念はない。その選択は個人の意思にかかっているが、今の日本の「コミュニケーション」は一方的に垂れ流すのみで垂れ流す側の個人の存在を認識できないで、個人は一方的に受容するしかない環境の中にある。

「縁結び」「縁切り」の考え方を大事にしたい。。

 日本本来の「縁」の考え方に因れば、神から与えられた「縁」とは言え、個人が主体的に「縁結び」「縁切り」ができるのである。大いに「縁結び」「縁切り」の利点を活用したいものである。特に、自分に害を及ぼすものはどんどん「縁切り」すればいい。その取捨選択が個人のアイデンティティーを形成することとなるのである。民主主義も日本古来の封建主義も根本の部分では共通項がある。是非日本古来の文化に根付いた日本独自の「民主主義」を貫いてもらいたいものである。端的な違いは、最初から個人が取捨選択するのとまずは全てを受け入れてその後に個人が取捨選択することであろう。日本的な考えは後者であり、前者よりも優れていると思うのは私だけであろうか・・・。

「縁結び」は結構なことである。。

 結びつく事によって新たな発展があるが、常に良い結果を生むとは限らない。結果において悪いものは「縁切り」しなければならない。ところが日本の文化として「縁結び」は大いに奨励されているが「縁切り」は陰で秘密裏に行われていた歴史がある。現代社会においては、この「縁切り」に「縁結び」と同等の価値を与えて大いに堂々と公開の場で「縁切り」をしなければならないのではないかと思う。「縁切り」できない日本が現在の閉塞状態を体現しているし、日本の国としてのアイデンティティーを表明できない中途半端な訳の判らない状態を呈しているのではないかと思う。



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