森友学園、加計学園で政治が揺れている。
その中で野党やメディアや評論家が「真相究明」と騒いでいる。この場合の「真相」とはすでに自分達の出した結論に行きつくことである。それ以外の真相はあり得ないと思い込んでいるようである。反対に自分達の思い込んでいる真相に行きつかない限り、誰が何と言おうと納得しない。強制的にでも自白させようという意気込みさえ感じる。冷静さを欠いているし、科学的な思考から乖離して感情的な思い込みに終始している。だから、水掛け論だし、進展しないし、どこが問題点なのかさえ解らない。上からの圧力がかかったかかからなかったかの吟味をしているだけである。
真相が解らないのも真相である。
決定的な証拠なり証言がない限り真相は明確にはならない。そして、決定的な証拠は通常は公文書に残される。単なる報告書や資料では決定的な証拠にはなり得ない。そして最終的に獣医学部の新設を決定するのは文部科学省であり、すべての責任は文部科学省に帰結する。誰が何を言おうと参考意見にしか過ぎず、決定を下した文部科学省が責任を取るべきである。その時に当たって、不当な圧力や介入があったと決定の後で弁解しても責任逃れにはならない。そして、この決定は組織でなされたものであり、特定の個人が決定したものでもない。喧々諤々の議論はあっただろうが、出された結論は文部科学省の結論であり、この結論については自ら説明責任がある。
説明責任を果たせないまま結論を出したのは文部科学省の不備である。
それなのに、文部科学省以外に責任を転嫁するのはおかしな話である。不当な圧力や介入があったのなら、毅然として撥ね退けなければならない。まさか、結論に至った理由として「○○の圧力や介入があったのでこのような結論となりました」と説明できるとでも思っているのだろうか?そして、今になって犯人探しをしても、組織でやった仕事に犯人も何もない。強いて犯人と言えば、文部科学省そのものである。そして、前事務次官がくしくもこのことを今になって一生懸命証明しようとしてている。おかしなことである。
野党が最初に提示した証拠の文書は正式の公文書ではない。
単なる担当者が作成した報告書である。しかも、その報告書は文部科学省内の報告資料に過ぎない。その一部を引用して、不当な圧力や介入があったと言うのは無理がある。あくまで疑惑があると考える最初のきっかけの文書に過ぎない。これで疑惑を決定づけるのはおかしな話である。そして、このような文書が外部に漏出したこと自体も不可解である。反対に誰がどこからどのような経緯で入手したのかをつぶさに調査する必要がある。そうでないと、この文書の信ぴょう性は疑わしいことになる。犯人捜しのきっかけにするのなら、このきっかけとなった文書の信ぴょう性を調査するのは最初にやらなければならないことである。
この様な冷静さを欠いた状況でメディアが大騒ぎを始めた。
この状況は危険でさえある。この手法を使えば、どんなことでも事件にでっちあげることができるし、正式の公文書でないものをあちこちで見つけ出したり、個人の言動を監視したりして部分的な間違いを根拠に記事にすることが可能であり、世論を感情的に扇動することも可能である。まさに今そのことが常態化している。メディアに好都合な映像や画像や音声を証拠として見つけたら、面白おかしくメディアで大々的に報道して個人攻撃している。反対にそのようなネタがない限り、自ら調査して体制批判をするような姿勢はあまり見られない。とある女性議員が録音音声を証拠にパワハラと称してやり玉に挙がっているが、この議員はずっと以前から問題を起こしていたにも拘らず、これを指摘するメディアもなかったし、国会の自浄作用もなかった。何よりもこの議員を選出したのは我々国民なのである。大いに大反省すべきである。
政府の対応がまずいのは明確である。
メディアに対抗できる対処方法を心得ていないし、すべてが後手後手に回っている。報道が過熱する前に事実を明確にし、納得できる説明でもって大衆を、メディアを懇切丁寧に説得しなければならない。逃げれば逃げるほど追っかけ回されるし、不信感が増大して、取り返しのつかない事態になる。「人の噂も75日」の時代は終わって、75日分の影響力が瞬間に怒涛のように押し寄せるのが現在の特性でもある。あることないこと瞬間に情報は世界を駆けまわる。その大本のところで初動で的確に対処しないと、甚大な被害を招くことになる。放っておけばいつかはほとぼりが冷めるだろうという考えは昔の話である。
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