月並みな挨拶は好きではないけれども、やはりお正月はこれですね。
元旦早々、ウォーキングをしてきた。風が強くて、砂埃も舞っていたが、田圃道のいつものコースは快適だった。野鳥観察をしながら歩くのは楽しいものです。途中で神社に初詣をして、焚火で温まって、あったかい甘酒をごちそうになって、お賽銭と初祈願をして、おみくじを引いて、恒例のルーチンです。おみくじは大吉で、することなすことうまくいって、心配事なく嬉しい運だそうである。今年もいい年になりそうである。
今年は2022年で2の数字の多い年である。
「2」は私のラッキーナンバーである。1番よりも2番が好きで、いつも2番手を追求していた人生であったようである。2番手は気楽でいい。後についていけばいいし、ほぼ1番と同じご利益がある。何でもかんでも1番を目指す人は大変である。ご愁傷様と言いたい。何でもかんでも先頭を走る人もあまり尊敬できない。様子を見ながら頃合いを図って2番手を追いかける方が楽して無駄もないし、間違ってしまうこともない。メディアで最先端を煽っているけれども私はそんな扇動に乗ることはない。ほとんどが泡沫のごとく消え去ってゆく。
今年は、腰を落ち着けて冷静に過ごしたいと思っている。
少なくとも10年後を見据えて生活したいものである。10年後の自分はどうなっているのだろう。周りに諸先輩方がいて、10年後の自分を想像するお手本になるが、自分は自分である。それでも若々しくて健康で常に何かに挑戦している気概は見習いたいと思っている。よぼよぼの見るからに老いさらばえた老人にはなりたくない。そのために何をなすべきか、今日から考えていかなければならない。まずはこれまでの延長線上であり、これに何かをつけ足してゆくのだろう。何がつけ足されるのか楽しみでもある。
決めつけることは害が多い。
常に流動的で微修正しながら10年計画を実行してゆきたい。固定的であっては、進展性も創造性もなくなってしまう。毎日がほんのちょっとした冒険に満ち満ちている生活を送りたい。その冒険の中に新しいものを見つけることができるのだろう。反対に冒険しなければ新しいものには出逢えない。世の中の最先端である必要はないが、自分の中で新しいものを取り入れてゆくのである。それは昔からのものかも知れないし、世の中にないものかも知れない。何も世の中に迎合する必要はないのである。
決めてしまうとそれだけで安心してしまう。
そして、今までやっていたことまでも決めたことの中に包含してしまう。気が付いてみると、何も変わっていない自分がいる。世の中もそのような雰囲気に包まれている。結局何も変わらない施策の連続である。掛け声だけで中身がないし、具体的な実行策は遅々として進まない。そして、それを阻止する旧態依然とした壁が存在している。問題はその壁をなくすことなのだが、なかなかその壁はなくならない。そのままでいた方が楽なのである。しかし、これをずっと繰り返していたらいずれかは自滅してしまう。大いに反省しなければならない。
定年後の生活はとっても気楽である。
精神的にこれまでにないほど余裕があるし、何物にも囚われないで自由な思考ができるようになっている。半面、独りよがりになる傾向にあるが、これは、適度な周囲との人間関係を構築することにより防止することができるようである。人間関係はお金にも増して重要なものである。また、これを維持し、拡大してゆくことも心掛けてゆかなければならないだろう。ただでさえ、人間関係が疎遠になるこの頃である。大いに心掛けていかなければならないだろう。
この頃、先輩や同世代の訃報が届く。
考えてみると、先輩や同世代とはいずれかはお別れしなければならない運命にある。そうであれば、もっと自分より若い人との交流を図る必要がある。この前、かかりつけのお医者さんを探したが、これからお世話になるには、自分より少なくとも10歳は若い人でないと最後まで面倒を見てもらえないことに気付いた。人間関係も同じである。大いにもっと若い人との交流を図るべきである。老人同士で傷口を舐め合っていても仕方ないようである。まぁ、それも心地良いのかもしれないが…。
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