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沖縄復帰50周年記念式典 | 沖縄復帰50周年 | 内閣府
沖縄の復帰50周年を記念し、国民全体として、復帰の歴史的意義を想起し、沖縄の歴史に思いを致すとともに、沖縄の一層の発展を祈念して、政府と沖縄県の共催により、天皇皇...
沖縄復帰50周年 | 内閣府
沖縄の復帰50周年を記念し、国民全体として、復帰の歴史的意義を想起し、沖縄の歴史に思いを致すとともに、沖縄の一層の発展を祈念して、政府と沖縄県の共催により、天皇皇后両陛下のオンラインでのご臨席のもと、記念式典を挙行します。
開催概要
日時 令和4年5月15日(日曜日)14時〜15時(予定)
会場 東京都(グランドプリンスホテル新高輪)
沖縄県宜野湾市(沖縄コンベンションセンター)
招待状のない方は入場できません。
沖縄復帰50周年記念式典式次第
天皇皇后両陛下御臨席
開式
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)西銘 恒三郎
国歌独唱
新垣 勉
式辞
内閣総理大臣 岸田 文雄
沖縄県知事 玉城 デニー
天皇陛下おことば
挨拶
衆議院議長 細田 博之
参議院議長 山東 昭子
最高裁判所長官 大谷 直人
駐日米国特命全権大使 ラーム・エマニュエル
全国知事会会長(鳥取県知事) 平井 伸治
沖縄県民代表 髙良 政勝
沖縄県民若者代表 普天間 真也/平敷 雅
合唱
沖縄県立那覇高等学校合唱部
閉式
沖縄県議会議長赤嶺 昇
天皇皇后両陛下御退席
司会 荒木 さくら
😐 御所に居るのにマスク。オンライン出席ならマスクを外しても良いと思うのだが…。
他の宮家の方々は地方公務を再開されているのに東京会場にお出ましになれない確たる理由も聞かせていただきたいですね。
御言葉とは裏腹に陛下が沖縄に寄せる思いの軽さを知らされたような気がします。
天皇陛下、式典で初めて沖縄の「課題」に言及 識者「真摯な姿勢」
毎日新聞 2022/05/15 15:02
天皇、皇后両陛下は15日、沖縄復帰50周年記念式典に皇居・御所からオンラインで出席され、天皇陛下はおことばで「沖縄には、今なおさまざまな課題が残されています」との認識を示した。
陛下は「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」と述べ、戦争が終わった後の沖縄の置かれた厳しい状況について触れた。
その上で、具体的な内容を示さなかったものの、沖縄の現状には「課題」があると指摘。「若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています」と期待をかけた。
天皇が沖縄復帰に関する式典でおことばを述べるのは、復帰式典(1972年)での昭和天皇、復帰20周年式典(92年)に出席された上皇さまに続き3回目だが、沖縄の現状の課題について言及するのは初めてとなる。
近現代史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは、陛下が指摘した「課題」とは「米軍基地問題などを指している」とみる。「沖縄には本土復帰から50年たってもなお解決されない課題が残っているという認識を示したことは、真摯(しんし)に沖縄と向き合っていこうとする姿勢が感じられる」と強調する。ただ、「具体的に述べると政治的な発言と受け取られかねず、『課題』と表現するしかなかったのだろう」と話す。【高島博之】
😐 目にする限り全員が保坂氏のように「御言葉中の『課題』とは基地問題だろう」と解説しているが、これも陛下お得意の玉虫発言でしょう。何かを言っているようで何も言ってない。
「言質を取られてはいけない。」という志向をベースに紡ぎ出された言葉に聞く者の心を打つ力が備わる筈がない。
1972年5月15日沖縄復帰記念式典 於武道館
😐 昭和天皇が式典で述べられた御言葉を探したが、ネットでは見つけられなかった。
宮内庁HPには上皇上皇后天皇皇后の御言葉が掲載されているが、戦後象徴天皇となられてからの昭和天皇の御言葉も残して置いて欲しい。
今は掲載されている上皇上皇后の御言葉もそのうち見ることができなくなるのか。
昭和天皇が沖縄に対して語った御言葉をネットから拾ってみる。
沖縄訪問を熱望された昭和天皇
晩年の昭和天皇の地方ご訪問を語るのに、この前年、87年10月の沖縄国体のことは欠かせない。昭和天皇の最後の願いは、太平洋戦争でわが国唯一の地上戦となって日本側18万8000人余の戦死者を出し、全国巡幸で唯一残された沖縄訪問だった。国体1巡目の最後となる沖縄国体出席で、その機会をようやく得た。これまでの国体開催県での滞在より長い4泊5日の日程が組まれていた。
同年4月の86歳の誕生日を前にした記者会見で、昭和天皇は「(昭和20年代に)地方を巡幸した時も、沖縄に行くことができればいいと常に思ってきました。念願の訪問が実現すれば、戦没者の霊を慰め、長年、県民が味わってきた苦労をねぎらいたいと思っています」と述べられた。
しかし、運悪く、沖縄訪問の1カ月前に腸を手術することになった。沖縄ご訪問中止を伝える当時の富田朝彦宮内庁長官に、昭和天皇は「いつになったら果せるかな」とポツリとつぶやかれた。
「思はざる病となりぬ 沖縄をたづねて 果さむつとめありしを」
政府発行の復帰記念メダル。昭和天皇は時計に付けて終生肌身離さずおられたという。最後のご病床に臥されても枕元にメダルを付けた時計を置かれていたと。
「念願の訪問が実現すれば、戦没者の霊を慰め、長年、県民が味わってきた苦労ををねぎらいたい」という昭和天皇の御気持ちに呼応するかのような屋良知事の日記。
沖縄県民にとって、復帰は強い願望であり、正しい要求でありました。また、復帰とは、沖縄県民にとってみずからの運命を開拓し、歴史を創造する世紀の大事業でもあります。
その意味におきまして、私ども自体が先ず自主主体性を堅持してこれらの問題の解決に対処し、一方においては、沖縄がその歴史上、常に手段として利用されてきたことを排除して県民福祉の確立を至上の目的とし、平和で、いまより豊かでより安定した、希望のもてる新しい県づくりに全力をあげる決意であります。
1972年武道館 沖縄復帰記念式典で万歳をする昭和天皇、香淳皇后。
昭和天皇の万歳は腕がすっと延ばされた模範的万歳。美しい。
香淳皇后が万歳されている御姿は珍しい。これが女性が万歳する場合の所作だったのか。たしかに両腕を真っ直ぐに伸ばすより淑やかに見えます。
😐 1972年当時の沖縄県民の複雑な心情に言及する琉球新報。
祝賀ムード抑えた1972年の復帰式典…複雑な県民感情を意識 「新生沖縄県」前面に
2022/05/15 10:41 琉球新報
沖縄が日本に復帰した1972年5月15日、那覇市寄宮の那覇市民会館で政府主催の沖縄復帰記念式典が午前10時に開かれた。引き続き午後2時からは、県主催の「新沖縄県発足式典」が、執り行われた。「新生沖縄県」のイメージが演出に盛り込まれ、複雑な県民感情を踏まえ、祝賀ムードを抑えることが意識された。プロの演出家などに依頼せず、県庁職員の手作りで構成された。 午後0時40分からは、琉球芸能鑑賞会が開かれ、琉球古典舞踊や雑踊りが披露された。当時30代で「浜千鳥」を踊った宮城幸子さんは、沖縄コンベンションセンターで15日に開催される沖縄復帰50周年式典で、人間国宝として再び舞台に立つ。 50年前の式典では、首里高生のブラスバンドが、スペイン国王の圧政に苦しむオランダの独立運動などを描くベートーベンの「エグモント序曲」を奏でた。初披露となった「沖縄県民の歌」は、那覇高混声合唱団の歌声で紹介された。 今回、復帰50周年記念式典の演出に携わる平田大一さんは、72年の式典を意識し、レセプションに那覇高合唱部を起用した。平田さんは「50年前の歴史の節目に高校生が出たことに強いメッセージを感じる。教育者であった屋良知事の若い人に歴史の証人になってほしいという意図があったのではないか」と話す。 50周年記念式典では「新たなスタートライン」をメ ッセージとしている。平田さんは「復帰という一つのゴールは果たせたが、求めた形にはなっていない。当時の人たちがなし得なかった課題を、私たちがどう克服すべきか考える新たなスタートラインだ」と話した。 (中村優希)
1992年5月15日 沖縄復帰20周年記念式典 於永田町憲政記念館
平成の天皇、即位後3年目。
😐 小さな画像しか見つからなかった。
右から二人目 宮沢喜一首相 左はしクエーレ米副大統領。
1992年5月15日の報道
沖縄復帰20周年記念式典
米クエール副大統領「アジア安保貢献に感謝」
😐 昭和天皇はご心情を率直に語り、平成の天皇は政治的発言も辞さない。
しかして、今上は…。
😇 今上は御言葉を述べられた時はマスクを外されたようです。
が、雅子さまはマスクを外さない。
マスク無しで御言葉を読み上げる天皇から感染するのを心配しておられるのでしょうか。
😐 沖縄復帰記念式典は1972年以降も開かれたようですが、昭和天皇も平成の天皇も式典に出席されたのはこの限りです。
平成の天皇も即位後3年目、令和の天皇も即位後3年目。
令和の天皇も今回かぎりでしょう。雅子さま、マスクくらい外されても…。