憂国の花束

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玉串奉奠考(2)愛子さまの玉串奉奠&悠仁殿下の玉串奉奠 補足有り

2022-04-30 23:28:50 | 愛子さま
😃 愛子さまが初めて昭和天皇陵を参拝された折、玉串奉奠をされたのか、お出来にならなかったのか、どちらでしょうか。
私は、愛子さまは玉串奉奠をされたと見ています。

コメント欄で頂きましたコメントが、様々なところで書かれている「愛子さまはできなかった」を上手く集約されているので再掲させて頂きます。


「皇太子ご一家が昭和天皇陵を参拝」の動画は以前、話題になっていました。
この動画ではそのシーンがカットされていますが、愛子さまは玉串奉奠をしていません。神官が代わりにしています。
愛子様の前に立った神官が代わりに玉串を捧げた後、神官本来の位置に戻っています。
その後3人が揃ってお辞儀をしているのです。

神官が代わりに行った場面はどういう訳かどの報道番組でも流れていませんでした。その後ある番組で流れてしまい、それがネット上で拡散されてしまいました。それで愛子様は玉串奉奠ができないということになったのでしょう。

😊 ネットで「愛子様は玉串奉奠をしていない。」と指摘されている動画『皇太子ご一家が昭和天皇陵を参拝』はこちらです。

皇太子ご一家が昭和天皇陵を参拝 愛子さまは初めて(14/07/15)

0:35あたり、皇太子、雅子さま、愛子さま、3人揃って玉串を身体の前に捧げて拝礼に入られる前のカットでは愛子さまの肘の上あたりに榊の小枝が見えます。続いて三人揃って拝礼。愛子さまが玉串を捧げたまま礼をされています。
0:45あたり 三人、礼から身体を起こす。続いて向かって左側に居た神官歩き始める。この時玉串案に玉串無し。
0:47あたり 神官三人の後ろを通りすぎる。この時、玉串案に皇太子と雅子さまの玉串が立てられ、愛子さまの玉串は台の上。
0:50あたり 右側の定位置に付いた神官、礼。三人、礼。

😇 0:45から0:47の間で映像がカットしてあると、見ます。
カットしてある映像に何が映っていたのか。
左側にいた神官が皇太子御夫妻の玉串を玉串案に立て、愛子さまの玉串を台の上に置く場面があった筈です。
でないと、神官歩き始めた時に空だった玉串案が三人の後ろを通り過ぎる時には玉串が立っている説明がつきません。歩き始めたら玉串がいきなり飛び上がって玉串立てに入った?ありえません。皇太子と雅子さまが自分で立てた?ありえません。天皇皇后皇太子皇太子妃が自分で玉串立てに玉串を立てることはないからです。別の神官がささっと?2秒では無理でしょう。

もう一つ、皇太子ご一家が神武天皇陵に参拝する動画を見てみましょう。
昭和天皇陵ご参拝の2年後です。愛子さまの所作も少しだけ進歩しています。

皇太子ご一家が神武天皇陵に 愛子さまは初の参拝(16/07/21)

0:30 あたり、玉串案に玉串が立っていますので、皇太子御夫妻は既に拝礼を終えられて起立されていることがわかります。
そこへ愛子さまが階を上って来られます。
神官が手早く何かして、礼して下がると、台の上に玉串が置かれています。

(玉串は神官が手渡しする作法と台の上に置く作法とあるようです。ネットに出回っている「昭和天皇陵へ参拝したとき、神主が愛子さまの前に玉串奉奠した。」という話は、神主が愛子さま用に玉串を台の上に置く所作を見誤ったののではないか、と。上の昭和天皇陵初参拝動画にはその場面が無いので推測ですが。)

0:35 愛子さまが軽く一礼して前へ進まれるところで映像は終わっていますが、この後玉串を型どおり捧げられたのでしょう。


😇 昭和天皇陵を参拝された時、親子三人横並びで一斉に拝礼をされていましたが、本来はひとりずつが基本です。しかし、「神社祭式行事作法」に二人以上で拝礼する作法が定められているように、平成の天皇皇后が御夫妻並んで拝礼されている映像も残っていますので、戦後の皇室の作法にも二人以上の作法はあるのでしょう。
昭和天皇陵では親子三人で拝礼された愛子さまも、2年後にはちゃんと一人でできるようになられました。

私は、昭和天皇陵で愛子さまは玉串奉奠されたと見ているのですが、どうでしょうか?
私、けっこう自信もっているのですが、根拠を明らかにした反論は受け付けますのでよろしくお願いいたします。

補足 5月1日
😊 現在は削除されたという動画の「愛子さまが玉串奉奠をされていない」部分をコメント欄にいただきましたので再掲します。
私は、これを読んで間違い無く愛子さまは玉串奉奠をされたと確信しました。
青字がコメント、赤字が私の解説

① 3人揃って玉串を身体の前に捧げて拝礼、確かに愛子様も持っていました。その時神官は愛子様の横にいました。←0:35

② 皇太子ご夫妻(当時)が玉串を捧げた。
←0:36~0:38 この時愛子さま玉串を持って両親と同時に礼をされています。

③ 神官が愛子様に近寄り、玉串を愛子様に渡さず、自ら台の上に置いた。
←神官が愛子さまから玉串を受け取って台の上に置いた。
拝礼後、自分で玉串を台の上に置く作法と神官が受け取って台の上に置く作法の両方があります。

これは静止画があったので確かなことです。←静止画は受け取った後の場面。

その時は皇太子御夫妻(当時)の玉串は既に玉串案に立っていた。
三人揃って礼をした後、まず皇太子から玉串を受け取って玉串案に立てる、次に皇太子妃から玉串を受け取って立てる、次に愛子さまから受け取って台の上に置く。
②と③の間にあったこの部分がカットされて、③神官が愛子さまから受け取った場面となった。
④そして愛子様が神官に対してお辞儀をし、神官は左側に移動した。
そのあとはこの動画ですね。
でも、そうだとしたら愛子さまが持っていた玉串はどうなったんでしょうね、拝礼の後、神官に渡したとか? 
←その通り。神官が受け取った。(^^)

😇 ということで、愛子さまは確かに玉串奉奠をされています。
愛子さまを頭から馬鹿にしていると、そこに有るものも有ると見えず、そこに無いものが見える。
悠仁殿下を頭から馬鹿にしていると、そこに有るものも有ると見えず、そこに無いものがみえる。
なんだかなー。難しいですね。


😊 何度みても良い御姿です。

上皇は、榊が頭の上からチラリと見えるくらい、美智子さまは殆ど見えない。
今上と雅子さまも、チラ。
頭の上に高く掲げるのが皇嗣家風?大ぶりな枝に赤い紙垂 がハッキリと見えるのが華やかでよろしいですね。


補足:悠仁殿下の初参拝
😱 何ということでしょう。
ネットでは「2013年悠仁殿下が玉串を一般的な作法で捧げたので、その後2014年に参拝した愛子さまが間違ったとされてしまった。」という記事が出回っている。
しかも、ご丁寧に「皇太子家と一宮家にすぎない秋篠宮では玉串奉奠の作法が違う。」と秋篠宮家を蔑む材料にしている。なんということを!怒
 (確かに、皇太子と親王では玉串奉奠の後の玉串の扱いかたに違いがあるが、奉奠の作法は同じです。)

0:16 あたり、向かって一番左、やや解りにくいですが悠仁殿下が置かれた玉串が本を手前に縦に置かれているのが見えます。
秋篠宮殿下、紀子さまの玉串も同様に置かれています。
(一般の作法では玉串の本を神前に向けてお供えします。)

秋篠宮家の長男・悠仁さまが武蔵野陵を初参拝(13/03/15)


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4 コメント

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Unknown (warata)
2022-05-01 11:29:41
こんにちは!
玉串奉奠の件で、私は決して愛子様のことをあげつらって言っている訳ではないことを分かっていただきたいと思います。
如意さんのおっしゃる通りにこの動画は結構編集してありますね。
以前、フジテレビの「皇室ご一家」という番組で流れたのですが、その動画が削除されてしまったらしく、見つかりません。
でも、この動画には途中の部分がありました。
① 3人揃って玉串を身体の前に捧げて拝礼、確かに愛子様も持っていました。その時神官は愛子様の横にいました。
② 皇太子ご夫妻(当時)が玉串を捧げた。
③ 神官が愛子様に近寄り、玉串を愛子様に渡さず、自ら台の上に置いた。これは静止画があったので確かなことです。
その時は皇太子御夫妻(当時)の玉串は既に玉串案に立っていた。
④そして愛子様が神官に対してお辞儀をし、神官は左側に移動した。
そのあとはこの動画ですね。
でも、そうだとしたら愛子さまが持っていた玉串はどうなったんでしょうね、拝礼の後、神官に渡したとか?
他の人のブログ記事を貼るわけにはいかないのですが、当時多くの人がこのことについて書かれていました。動画、gif動画、静止画もありました。

でも、考えてみるとこんな過去のことはどうでもいいことですよね。今の愛子様がご立派に参拝できればそれでいいのですから。
返信する
Unknown (如意)
2022-05-01 23:32:04
warataさん

今では見られなくなった動画の詳細を書いていただき、ありがとうございます。
それで、ますます、愛子さまは玉串奉奠をされたと確信を持ちました。
詳しくは、記事のほうに書きます。
記事に①~③を転載することをお許しください。
返信する
Unknown (ニリンソウ)
2022-05-02 11:39:12
如意さん、こんにちは。

玉串奉奠考面白いですね。捧げ方もいろいろあるんですね。うちは神道なのですが、一般人の玉串の扱いと違っていて興味深かったです。あと今回動画を見ていて思ったのですが、皇族の方々は二礼二拍手一礼をされたりしないのですね。

武蔵野陵と神武天皇陵での愛子様の玉串奉奠ですが、微妙なラインだと思いました。
当時の皇太子ご夫妻と愛子様が参拝される場合、皇太子ご夫妻の玉串は祭壇に供えられることが如意さんの考察で分かりました。多分、それよりお立場下の方々の玉串は案に供えるのでしょう。祭壇に供えるのは神官の仕事ですが、案については一般的には自分で供えるのではないでしょうか?私が検索したところ、玉串拝礼された後、案にご自身でおかれていないケースは愛子様だけのように思います。

神武天皇陵の時の神官の動きは、愛子様から受け取った玉串を備えているのだと思います。
置かれてある玉串を自分で持ち上げるという所作は見たことがありません(一般でもそうですし、皇族方のを可能な範囲で見ましたが渡されている映像しか確認できませんでした)。一瞬の映像なので断定はできませんが、置かれた玉串は神武天皇側に向いているように見えます。もし自分で持ち上げる所作があったとしても、玉串は自分側もしくは横向きにおかれてあると思います。

ただこのことは”できない”と同義でない気もします。祭壇の手前に案を設置するのが難しかったからかもしれません。
祭壇に拝礼した玉串を立てて捧げるのは天皇皇后、皇太子(皇嗣)ご夫妻だけだとすると、一緒に参拝にこられた方々の中で玉串の捧げ方が異なるケースというのはあまりないので、決まったやり方があるわけではない気もしました。
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Unknown (如意)
2022-05-03 00:59:47
ニリンソウさん
こんばんは。
玉串奉奠考はこれで終わりではなくて、
ニリンソウさんにご指摘いただいた拝礼後の玉串の取り扱いについてもまだ書きたいことがあるのですよ。
他の記事の合間に続けますので、読んでくださいね。
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