ある夜更け。
普段通り自室のベッドで眠りについたはずのミカは、ふと、自身のおかれた状況に、
(ああ、これは夢だな)
と、判断する。
それを自覚したことによって、ベッドで就寝しているはずの体は、屋敷の執務室で机に向かっていた。
次いで、見慣れた部屋を確認し、窓からの風景を明るく感じられたことで、午後の執務であることを理解する。
夢の中での己についての認識はといえば、壮年期と言われる、「人生においてもっとも充実した」年齢であるということ。
そしてそれに違いなく、公私ともに手ごたえのある毎日を送っていることを認める。
侯主としてシュタイン城の重鎮を勤め上げ、屋敷の全権を握り、広大な領土を治めている平穏に身を任せてはいるが。
(こんなものか?)
と、別の視点を持つ自身が問いかけてくる。
世界は、闘争心は、欲望は、こんなものなのか?と、誰かに問われることで、意識は目覚める。
(いや、何かが足りない)
その空虚に気づき、手にしていたペンをトレイに戻す。
何か、屋敷が騒がしい。
執務室の隣に控えている秘書が、様子を見てまいります、と声をかけてくることに対し、いや、と声が出た。
「いや、構わない。通せ」
それは確信。
屋敷が今ざわついているのは、急な来訪者にどう対応するかを判断しかねているのだろう。
それもそうだ。こんな不躾に、侯爵家当主の部屋に直行してくる人間など、王をおいてはいないのだ。
(まったく、人騒がせな奴だ)
だが、かねてより屋敷の人間には言い置いていたはずだ。
彼らの訪いには、何をおいてもまず当主である自分の部屋へ案内せよ、と。
それが徹底されていないのは、この数年の間に何かあったのか。いや、何もなかったから、周知されていないのか。
そんなことを考える。それは創造、あるいは想像。
そうだ、いつだって「彼ら」の急な来訪には、世界の存亡がかかっている。
屋敷の回りくどい手順を踏んで丁重にお迎えしている場合ではない。
今度は何が、と先読みしかけた時、秘書が明けた扉から、体格のいい壮年の男が顔を出す。
「ごめん、なんか大騒ぎになっちまった」
今来ちゃまずかったか?という言葉に、来ておいて言うな、と真顔で返せば。
「それもそうだ」
と、数十年変わらない、人懐っこい笑顔が返ってくる。
そんな無頓着な友人の態度に知らず笑顔になるのは、安堵か、諦念か。
気を効かせ部屋を出ていく秘書に、「あ、お邪魔します」、なんて間抜けな挨拶を一つ。あとは勝手知ったるなんとやら。
四十いくつにもなったのだろうヒロは、適当なソファに腰を下ろした。
自分もそれに倣い、執務机から立ち上がりヒロの対面のソファへと移動する。
「何かあったのか」
と単刀直入なやり方には慣れきっている間柄だ、ヒロは、うん、と一つ頷いて。
「招集がかかった」
と、いたずらを仕掛ける子供のように、期待や喜びを抑えきれない様で身を乗り出す。
それは、足りない何か。
自分自身、どれほどの充実や安定を手に入れても、世界規模の野望やはるか高みを制圧しても、それでも渇望してやまないもの。
それをもたらす招集通知には、どうあっても心が抗えない。
「先週届いた手紙には、それらしいことは何も書いてなかったが」
そう口に出したのは、筆まめな彼女から数十年来、欠かさず、定期的に届く手紙のことだ。
彼女のそのマメな記録こそが、世界に散っていった仲間たちと互いに絆をつなぎ止めあうものではあったが。
いつも大体、個人的な日記に終始しているような内容なので、…ここの所、自分は油断していたのだろうか?
そういえばヒロが、思わず、というように軽く吹き出し、まああれは近況ってよりは日記だよなあ、と続ける。
「ミオちゃんは今俺の村に籠ってるから、情報が遅いかもな」
でもまあすぐ届くでしょ、と言ったヒロが一枚の用紙を取り出して、机に置く。
「多分、俺が一番目」
宿に戻ったら置いてあった、という事だから、おそらく本人が訪ねてきたのだろう。
そうして、他の仲間を順次、訪ねているのは想像にたやすい。だから自分は真っ先にここに来てみた、というヒロ。
「俺らは自由がきくけど、ミカはどうかと思って」
今、王城は忙しいのかと聞かれて、いいや、と首を振る。
数年前から行われている貴族たちの代替わり、その権力抗争も、かの従弟殿とうまく挟み撃ちにできている。
城を空けることには、何の問題もないだろう。
「家は?いいのか?」
と、机を指され、そこにある書類の山に視線を向ける。
そうだな、あれも問題ない。自分は、あの書類の山を確認していただけに過ぎない。
「大丈夫だ、執務はほぼ代行できるようになっている」
その言葉に、大げさに身をのけぞらせるヒロ。
「えっ、もう?!早くねえ?あいつ、まだ成人の祝いしてねえよな?」
えーと、18?9?と、確認してくるヒロ。
その「あいつ」に対する世話の焼きっぷりといえば、お前は乳母か?と突っ込みたくなるほどの、子煩悩さだった。
半分は俺が育てた、と今でも豪語するほど(そしてもう半分を主張するのはここにいないやかまし屋の彼女だが)。
今年で19だ、と返せば、
「ええー?俺らの19っていったら、まだまだ目的もなくその辺遊びまわってたよな?」
と、大げさにお手上げ状態、を両手を広げて表現してくるヒロに、不敵な笑みを返す。
「ま、俺の息子だからな」
優秀すぎてこの程度の執務なら軽く持て余すくらいだ、と言ってやれば、それにはヒロも乗ってくる。
「あー、あいつミカ以上に頭固いからな、謀反起こされないように気を付けろよ?」
家空けて帰ってきたら居場所ねえかもだぞ?などという軽口には、鼻で笑ってやる。
「10,20のガキに謀反起こされるほど老いてねえよ」
まだまだ片腕一本でやりあっても負ける気がしねえ、と言えば、とんだ暴力おやじだよ、と苦笑され。
「お前の所はどうなんだよ」
まだ子供も幼いのに家を空けて心配じゃないのか、と訝しむミカに、今度はヒロが鼻息を飛ばす。
「もう6歳だ、腕っぷしは強えし、いっぱしの口きくし、もう押し売り撃退とか余裕だぜ?」
その下は子供を武器にした接客が得意だし、その下は数字にめっぽう強くて大人を負かせる程だし。
「商人三兄弟っつって、隊商では有名どころでさ、あちこちから目をかけてもらってるから心配ねーし」
うちの息子たちは俺がいなくても将来有望だよ、だって俺の息子だもん、などと、ふざけた面に一発。
「親ばか」
「なんだよ、ミカほどじゃねえよ」
「俺は親ばかじゃねえよ、事実を客観的に述べてるだけだ」
「いやいやいや、鏡見ろ鏡!息子自慢ですんげーにやけてっから」
「にやけてるお前に言われても説得力がねえな!」
互いにつかみかからん勢いでくだらない悪口の応酬に、一呼吸。
「それほどの大事なんだろうな」
と問えば。
「神の復活祭だ」
と、ヒロが不敵な笑みを見せる。
それに怯むことなく、笑みを返す。
そうでなくては。そんな思いが誰かからもたらされたと同時に、天使が窓を叩く。
ヒロと二人、そちらへ目を向ければ、変わらない少女のままの姿がそこにある。
隣で、ヒロが愉快そうに笑って何かを言った気がする。
その言葉がなんであったのかを気にすることもなく、ミカは立ち上がり、その窓を開けるために手を伸ばす。
自分にとっての天使像とは、己と、外の世界とをつなぐものだ。
そして、旅とは、それを開く鍵。
誰も開くことのできない、大切なものを詰め込んだ箱。足りないものは全てこの中にある。
きっと、その時まで自分はそれを守って生きていくのだろう。
そんな思いも、垣間見た見た未来も、夢のはざまに落ちていく。
夜明けとともに、現実(ひかり)になる。
ちょっとここの所取り込んでおりましたが、ぼちぼち活動再開したい具合です!