大いなる友情と信頼の証には、惜しみなく褒賞を。
…関わりあうすべての人間にそうして資金を回していくことで、発展と成熟が望める世界で生きてきた老侯爵は
孫の友人らにもそれをして当然だと考えている。
だが、簡素な服をして精一杯着飾ってきたという認識の彼らに、あまりにも贅沢な品は目の毒になりはしないだろうか。
可愛い孫だ。
彼が初めて「友人」という絆を結んだ存在は、何よりも尊い。
だからこそ、慣例という名のもとに贈る金品でもって彼らの絆を壊してしまうことは、何よりも愚かだと思える。
さりげない装飾品なら良いだろうか。
それとも、物ではなく知識や技術の援助、あるいは地位の確立という方が良いか。
茶会に招いた彼らと談笑をすることで、その人となりを知り、これならば率直に話をしても良いだろうと判断し
老侯爵はさりげなくその旨を告げてみた。
それに対する返答は、実に興味深いものだった。
■ ■ ■
一応、彼らにも受け入れやすいように、「帰りには土産を用意しようと思うが、何がいいかね?」と、軽く尋ねたが
これは老侯爵にとって、孫の反応を窺うための第一声だ。
彼が嫌悪や不快感をにじませるようならば、即座に別の手を打たねばなるまい。
そう考えての事だが、相変わらず彼は、一切の感情を持たない人形のようにその場で静止している。
幼い頃から、そうだった。
彼の内面を知る事は、おそらく、世界の創生を知る事よりも不可能なのに違いない。と、昔から手を焼いていたが。
老侯爵の申し出に驚いていた友人らが、救いを求めるように孫に話しかけだすと、状況は一変した。
「大いなる友情と信頼の証には、惜しみなく褒賞を、…という言葉がある」
と、友人らに老侯爵の意図を説明する姿は、普段の彼と何も変わらないのに。
それをただ黙って見守る事しかできず、胸が締め付けらるような思いにとらわれる。
良くできた孫だ。
この己の跡継ぎとして何の申し分もないほどに、公爵家の教育を素直に受け入れ、運命に従うように成長した。
間違いは一つとしてあってはならない生き方を強いられ、成長していく彼を傍で見ていて、…日ごとに募る不安は
老いていく身のなすすべもない弱みだ、と一蹴していた矢先。彼は暴走した。
あの子はもう自分の意志でここへ戻ってくることはないのかも知れない、と一時は最悪の場合をも考えたが、
律儀に、己の所在と、関わった事態の収拾を報告してくる様子には、逆に憐れみさえも覚えたものだ。
この子は、逃げ出した先でも逃れられない生き方を選択しているのか、と。
早々に連れ戻してやるのがいいか、それとも解放してやればいいのか、答えがでないまま悩み続けていれば、
ある日突然、手元に戻ってきた。
まるで何事もなかったかのように、以前と変わらぬまま接してくる様子には、あれを「なかったこと」にしたいのか、
と勘ぐってもみたのだが、こうして今日のように「友人」を連れてくる、という行為を見てみれば、そうでもないようだ。
とにかく、つかみどころがない。感情をもたない人形の様だ、と思えるところはまるで変わっていない。
友人たちに、貴族社会の慣例を説いているところも、教師に教わったそれをそのまま畳みかけているだけに過ぎない。
それが、この胸の痛むところだ。
だが、一通りの話を聞き終えた友人たちは、一切の迷いもなく晴れ晴れと笑った。
「なるほどなるほど、それがミカちゃんの日常なんだね」
「お茶菓子出す感覚で宝石とか出してくるんだな」
友人に、わけわかんねーなー、と笑い飛ばされても、そうだな、と平然と返している。
「そんなのだったら、そりゃ馬五頭くらい、ぽぽーいって贈っちゃうのへっちゃらだね」
「あー、そういうことなー」
「大いなる友情の証だもん」
「なー」
「なぜ、にやにやする…」
「まーまー、ウイたちは解ってるって」
「馬とか牛とかじゃ全然足りないくらいだってのも解ってるって」
「馬は受け取れなかったけどミカさんの友情は、ちゃんと!ちゃんと受け取ってますから!」
「うるせーなー、もう二度と贈らねえよ」
「解ってる解ってる」
「大丈夫、大丈夫」
「だから、なぜにやにやする」
いや、平然としているようで、何やら様子がおかしいような気がしないでもない。
友人たちとやりあっているときのミカヅキは、とても複雑な感情を持て余しているかのようにぎこちない。
それは、侯爵家の次期当主という体に、17,8の少年の心が上手くかみ合っていないかのような違和感。
それを見ていて、老侯爵は、友人たちが言っていたあることを思い返す。
ミカは冒険者仕様の方が口数が多い、とか、家ではおすましさんだ、とか…。
「でも俺たちさー、何をどのくらい貰ったら失礼じゃないのかとか解んねーし」
「そーなんだよね、ミカちゃんはいっつもどーしてるの?」
「別に?出てきたものをそっくりそのままいただいて帰るだけだ」
「うひょー!!ふとっぱらー!!」
「…そういうのも太っ腹っていうか?」
「じゃあアレだよ、大きいつづらと小さいつづらが出てきたらどーすんだよ」
「どっちも頂く」
「その選択はなかった!!」
「いや待て!まだだ!銀の斧ですか?金の斧ですか?って聞かれたら?」
「はあ?銀だろうが金だろうが、頂くが?」
「ぶっぶー!ここは、どっちもいりません!って答えて、金の斧と銀の斧と銅の斧、3本取りを狙うとこなんだぜ!」
「ああ?!なんでだよ!どっから出てきたんだよ、銅の斧!」
「なるほどー、庶民の知恵かー」
「違うだろ、今そんな話はしてねえ!」
「なんでも貰えばいいってもんじゃねえよ?な?」
「な?じゃねえよ、なんで説教始まってんだよ!」
手土産には何がいいかを尋ねただけで、これほど賑やかに楽しめるのだから、確かに口数も多く(言葉遣いも悪く)なるだろう…。
長く屋敷を空けていた孫が戻ってきた、その変貌は、この仲間たちがいなければ知ることはできなかった。
だからこそ、この4人のやり取りをただ黙ってやり過ごす。
ひとしきり騒いでおいて、急に、「しまった!」」という空気になるのも、もう何度目のことか。
それを見ているだけで、いつも彼らといる時はこのようにして賑やかであること、それが「普通」になってしまっていると解る。
ミカヅキが得た、「普通」を、垣間見る。それこそが、この老いた侯爵には、何にも代えがたい「褒賞」であること。
彼らには、知られない方が良いことだ。
「うるさくして、ごめんなさい」
「いやいや、楽しそうで何よりじゃよ」
そう、ミカヅキがとても楽しそうだ。
「はい、ミカちゃんのおかげで楽しいです」
と、素直に笑顔になった少女が、だから、と続ける。
「ウイはお屋敷にこれてとても楽しかったので、宝石はいらないかなー」
「あー、そだなー、宝石とかもらっても困るなー」
「は、はい、私もです」
そう三人の意見が一致していることに、興味を持つ。
その主張が、清貧、という精神に基づくものであるのかどうか、という所が気になったからだが。
「それは、面白い。なぜ宝石は困るかね?」
と尋ねれば、困る、と口にした少年が、あっけらかんと返してくる。
「だって、高価な宝石って維持するのにも、費用かかるじゃないですか」
その費用を捻出する労力が勿体ない、という主張には、思わず絶句する。
「そっちに金かけるくらいだったら、ほかにもっと有効な方に使いたいから、かな」
「ほほう?」
「わ、私も同じです、置くところもないし、身につけてるのはもっと怖いし…」
「宝石は見て、わーすげー、って驚くくらいがいいかな」
「そうですね」
そういわれれば、確かに、その目線で宝飾品などを扱うことを考えたことはなかったな、と考える。
庶民の生活に必要なものではないことは解っていたが、それを本人たちの口からあえて聞くことがなければ
本当に「解る」ということができていただろうか。
そんな事が頭をよぎったのは、何気なく
「なるほど、欲しい、と言うものではないということかのう」
そんな質問を投げかけたからだろう。
「いや、欲しいのは欲しいっす」
と、即答され。
侯爵として所有地を回り、そこにいる人々の暮らしぶりをこの目で見て、彼らの話をこの耳で聞くことが重要である、と
長年それを行ってきた身ではあるが、こうまで率直に庶民の声を拾えていただろうか、と自問に口を閉ざす。
「なんていうか、そのー、清らかな心で、宝石は要らないとか言ってるわけじゃないんですけど…」
と、申し訳なさそうに切り出されて、それを不快ではないという証に、一つ頷いて先を促した。
「正直、お金持ちの人は羨ましいし、裕福な街とかに住んだり、不自由ない生活したりとか、思わないでもないです」
実際、田舎から出てきて大都市の豊かさには、自分の村の境遇を思わない日はなかったという。
自分の力で手に入れられないものは、持っているべきものではないのだ、と親に言い聞かされて育った。
村を出るまではその教えを疑ったこともなかったが、外の世界には理不尽なことばかりがあふれているように思えた。
旅をしながら雇われた先では札束をばらまくような無駄に豪華な生活ぶりを自慢してくる輩にも、妬み嫉みに苦しむこともあったが。
「けど、ミカに会って、色んなことを教えてもらったんで」
金を大量に持つことの、重み。
金貨一枚にのしかかっている責任は、人ひとりが背負いきるものではないという事。
その価値に見合うだけの働きができない者は、自滅するしかない。
自滅しないまでも、持たざる者からの怨嗟は幾重にもその者を取り囲み、呪詛を集め続けることは想像に容易い。かつて自分がそうだったように。
だから。
そんな輩の事は放っておけ、と、ミカヅキが言うことで、考えが変わった、と彼は言う。
「宝石の事もそうだけど、それをキチンと管理できて錆びたり盗まれたりしないように維持することもできる人が持つべきだって思える」
資産も技術も伝統も、その潤沢な資金で保護し、後々の世界にまで遺すことができる者たちの役目。
そうして、世界は守られているのだ。
清く正しいばかりではなくとも、上に立つ者にはそれだけ背負うものも大きい。
そのことを、計り知れない重責を負っているミカヅキという人物と旅をすることで気づくことができた。
「じゃあ、俺の役目は何かな、って考えたら、やっぱりミカを支えていくことだな、って解ったんで」
下にいる自分には、自分にしかできないことがある。世界は、人と言う組織によって成長する一つの生き物だと、感じた。
自分には、自分の役目がある。そう思えるだけで、どれほど自分の価値が高まっていくことか。
「妬み嫉みに煩わされてる場合じゃないってだけです」
自分は清貧ではない、と告白して、人のもつ醜い部分を認めながら、それを払拭してくれたのはミカヅキだ、と言う。
確かにそこに至るまでの話は、侯爵家の帝王学に通じるものがある。
それをミカヅキの言動によって、この少年が開眼したということなら、ミカヅキの中に侯爵家は生きている。
逃れられない運命に縛られながら、決してそれを捨てることができない孫を憐れに思ったこともあった。だが。
今、その迷いを希望に変えられることが、この目の前にいる子らによってもたらされた奇跡だと思う。
「私は、昔から弱虫で村でいつもいじめられてました」
そう話してくれるのは、おとなしく、なるほど気弱そうな少女だったが。
「そのことで、いつも父に言われていたことがありまして」
人からもらった悪いものは、その場で捨ててしまいなさい。
人からもらった良いものは、何十年先までもお返ししなさい。
他人からもたらされる悪い感情を自分の内にため込まないように、という父の教えだったことが、今、別の意味を帯びている、という。
「ミカさんに、世界中のどこにでも連れていく、って言ってもらったことがあります」
その言葉で、初めて、世界を意識し、世界を意識することで自分が強くならなければ世界へ出ていくことができないと思った。
誰かに任せるのではなく、自分が行うことの意義を知った。
「そして強くなるために、私に足りないことも、できることも、ミカさんが教えてくれたんです」
それは、私にとってどんな宝石よりも、欲しくてたまらないものだったんです。
そういった彼女の気持ちは、痛いほど解る。
大きすぎる資産に囲まれ、人も領地も宝石も栄誉もあまりある地位にいながら、この老侯爵の欲しかったものは、たった一つ。
ただ一人の孫の、未来だ。
「だから、あの、それのお返しに精一杯尽くしたいので、宝石をもらってしまうのは、困るん、です…」
ごめんなさい、と小さく頭を下げる様子に、勿論怒ってなどいないから謝らなくとも良いよ、と答えてやれば安心したように
他のみんなと顔を合わせる。
それが合図であったかのように、もう一人の少女が、そうだね、と口を開いた。
「じゃあ皆がお土産に欲しいものは、一つだよね」
仲間との絆、それが間違いなくつながっている証に、一つ、という言葉に三人が頷く。
それを代表するように、少女は続けた。
「ミカちゃんと一生友達でいることを、いいよ、って言ってもらえることです」
それが欲しい、と言われ、老侯爵は晴れやかに笑った。
「否応もない」
そんなことか、などとは言わない。
それが、彼らにとってどれほどの価値ある宝であるのかは、もう明白だ。
「では儂からも頼もう。一生、ミカヅキを傍で支えてやってくだされ」
孫の行く末を見ることのできないこの身の代わりに。
輝かしい未来をもたらしてくれた、希望を見る。
ただ黙ってこの成り行きに身を任せている己の後継者に、向き合う。
「ミカヅキ。良い友を得たな」
多くは語るまい。ただその一言に、これまでの彼の奔走を称えた。
「はい」
変わらず、感情のない平坦な声が返ってきたが。
屋敷を飛び出したあの日から、初めて、孫は笑顔を見せた。
石は堅物、ミカのコト