応援スタイルを考える…

2014年03月12日 | ドラネタ

甲子園、レフスタから


ヤフオクドーム、レフスタから



ハマスタ、レフスタから



東京ドーム、レフスタから



まさに、ナゴヤドーム・ライスタの今年は好むと好まざるとにかかわらず、NPBと中日球団の勝手な決定発表(ドラゴンズ公式HP,2/27付)により「鳴り物」なしどころか応援団方式の応援が出来なくなりました。
3月から本格的にオープン戦が始まり、今日までの試合をTV等で見てますが、ドラファンはとても辛い応援となっており、これではシーズン通して熱い応援を頑張れそうにない様に思います。強いて言えば「拳銃を持った相手に素手で闘う様なものです」。今の応援では喉が潰れてしまいます!手が腫れ上がってしまいます!選手に気持ちが届けられません!統一応援が出来ず、相手チームの鳴り物応援には勝てません!
(何故にドラファンがこんな仕打ちを受けなければいけないんですか…)
何も絶対鳴り物が必要だとは思ってませんが、何せ急すぎる決定事項でとてもドラファンの心の準備も出来ずスタートしてしまいました。頑張って応援声援しようと、たとえばグランド側(ホームベース方向)でないスタンド側を向いて応援声援するだけで、「アウト!」(応援団方式応援にあたる為)これでは周りのファンと応援声援のコミュニケーションすら取れません。自分ブログに前回3回に渡り「カープファンは日本一」で応援の大切さを書かせてもらいましたが、まったくの逆方向(谷繁監督がキャンプ前にスタッフ・選手全体ミーティングの際、史上最短の所信表明をした「誰かが違う方向を向くことなく、みんながしっかり同じ方向を向いてやって行こう、日本一目指して!」)ではないですか?球団自体が違う方向向いててどうするの…
どうか、中日球団の偉い方々何とか開幕までに方向性を示して下さい。今のままでは間違っても観客動員増は無理でしょう。
それどころかドラゴンズのチーム成績にも影響しそうです。homeで勝利出来ることが間違いなく優勝への近道です。(もちろんビジターでも応援団方式応援は出来ません。《神宮球場は除く》)また、マスコミの方々ももっと今の状況を報道して下さい!
ジャイアンツの統一の取れた応援、各選手一人一人に応援歌を作るきめ細やかさ!
タイガースのスタンドを黄色一色に染め上げる圧倒的迫力応援!
カープは応援スタイルの先駆者、たたみかける様な応援スタイル!
ベイスターズは親会社の影響によりファンを楽しますことを知っている応援!
スワローズの東京音頭(ミドリ傘を持っての)からのお祭り騒ぎ応援!
どの球団も素晴らしい応援です。
どうかドラファンの思いが球団の方々に届きますよう!一人のドラファンよりお願いいたします。また楽しい観戦、応援が出来る様皆さんももっと声を上げましょう。


ドラファンとして、勉強させてもらいました!その3

2014年03月11日 | 井戸端会議

今回もこの本からの本文を抜粋しました。

「球音」を楽しもう
☆「8.6」は、鳴り物自粛で応援
2013年8月6日。マツダスタジアムであった特別な日は、国旗や球団旗も、半旗として掲げられた。この日だけは、球場の「鳴り物」応援が球団との話し合いで自粛となった。これまで、長年「8.6」には広島で、試合は行われはかった。だが、マツダスタジアムに移り、2011年に初めてプレーボールがかかった。だが、応援団もカープファンも慣れないだけに、ある種の違和感も覚えた。逆に、ボールをバットで捉えた「快音」は、ハッキリ聞こえたように感じた。
☆「鳴り物」見直しの動きも
2000年6月14日東京ドームである試験的な取り組みが行われた。いつものトランペットやカネ、太鼓の「鳴り物」を自粛したのだ。巨人軍の元監督、長嶋茂雄さんによって「球音を楽しむ日」と命名された。選手には好評だったとされるが、ファンからは賛否両論があった。見直しに否定を唱える人が多く、それ以降行われてない。
☆楽天本拠地はトランペット禁止
ロッテの場合、応援団側からの提案で、肉声を使った応援に力点を置きつつある。もちろん、チャンス時には、トランペットを使って応援を盛り上げてる。ヤクルトの本拠地、神宮球場は、太鼓による応援が禁止されている。
現在、12球団のうち、トランペットやカネ、笛の応援を禁止しているのは、東北楽天の本拠地「クリネックススタジアム宮城」だけ。
「カープ私設応援団連盟」会長の新藤さんたちは、観客全員が「鳴り物」応援に賛成しているわけではない。「観客の多くは今の応援に満足しているはず」。
「もし、鳴り物がなくなったら、球場は随分寂しくなる。もしかしたら、入場者数にも影響するかもしれない」と付け加える。
☆「分煙」ならぬ「分援」を
タバコの「分煙」は今や常識、ならば応援の「分援」の概念があってもいいと思う。
マツダスタジアムは、応援するためのパフォーマンスシートが設けられている。たとえば、ずっとスクワット応援をしたい人は、そのパフォーマンスシートに行けばいいし、じっくり野球を見たい人は、内野席から観戦すればいい。ある種のすみ分けだ。バックネット裏からなら、どんな大声援でも、「球音」は聞こえるものだ。
少なくともどんな応援であれ、応援があってのプロスポーツだし、かつて、サッカーの国際試合で、観客を全くスタンドに入れない「ピープル.マッチ」があった。どんなに素晴らしいプレーをしても、その感動は伝わって来なかった。
☆応援団は一つの日本文化
「日本式応援は文化だ」「応援団も一つの文化だ」このような言葉を何度も聞いた。確かに、そう思う。だが、文化とは絶対的なものだはなく、いいものは取り入れ、良くないものは変更すればいい。そして、新しい応援文化をつくり上げればいい。

以上が「球音」を楽しもうからでした。

カープファンから出てきた応援スタイルはトランペット、選手個人応援歌、ジェット風船、メガホン等、最近では、スクワット応援、カープ女子などなど素晴らしいく、それに答えチームは16年ぶりのAクラスからCS進出とファンの期待に応えた。ドラにとっては今年も手強い相手となりそうです。
3/28からの開幕カードがこのカープ戦。試合も応援も負けられません。
ナゴヤドームをドラファンで満員にしてドラ選手を後押ししましょう。

ドラファンとして、勉強させてもらいました!その2

2014年03月09日 | 井戸端会議

今回もこちらの本より学びたいと思います。
ジェット風船物語

☆ジェット風船はカープが最初
「ジェット風船」のルーツも探してみよう。
「どうやら、関西のカープファン応援団が作ったらしい」早々に、その程度の情報は手に入れた。だが、阪神ファンのほとんどは、自分たちが「先駆者」と思っている。ここは「はっきりせねば...」と甲子園球場に向かった。ここでの主人公は、実谷巧さんだ。「大阪河内楠公会」の団員で、「広島東洋カープ近畿後援会」の相談役でもある。
御年64歳、カープファン歴55年のベテラン。カープの応援に、その人生のかなりの部分を捧げてきた。
☆35年前、問屋街で偶然見つけた
ここからは、実谷さんの回顧である。
35年前の1978(昭和53年)5月のある日のことだ。前回で取り上げた「トランペット軍団」が、初めてその音色を市民球場で響かせたのとほぼ同じころ。カープ初優勝の3年後になる。「我らカープも大阪でも少しずつ認知されてきた。もっと有名にするために、何か新しい応援の方法はないだろうか」
実谷さんが外出の際、日課だった大阪市内の問屋街を歩いていた。
その時、たまたま目に止まったのが、「ジェット風船」だった。
早速、一束買って自宅ちかくの公園で飛ばしてみた。すると「何と、空高く飛ぶではないか」と期待以上「これだ」と思った。
甲子園球場に持って、子供たちに配ったら、大きな歓声を上げて何とも楽しいそうである。自信を強くした。
当初はカープ選手がHRを打った時、打ち上げてた。その風船を、守備につていた阪神選手が「何だこれは」と、珍しそうに眺めていた。それが、いつしか「ラッキー7」つまり7回の表のカープ攻撃の前だけになった。「皆が一斉に飛ばすのが盛り上がるしね!」と実谷さん。
「最初は禁止になった紙ふぶきの代わりだった、それが少しずつ広がって、 今思うと、「野球応援に使うジェット風船」として特許でも取っていればね」と語った。
☆阪神は1985年からスタート
ジェット風船=阪神タイガースが発祥と思うファンも多い、なぜか?
伝説のバース.掛布.岡田によるバックスクリーン3連発があった年、つまり阪神が21年ぶりに優勝した1985年から阪神のジェット風船はスタートしたとされている。優勝時の映像と一緒にジェット風船飛ばしの記憶が、人々の脳裏に焼き付けられた。それに、ジェット風船の数では、他球団を圧倒しているのも、「阪神起源説」の要因だろう。

☆メガホンの起源は「しゃもじ」
応援に欠かせないアイテムの一つが、メガホンである。このメガホンは形、大きさも年々変化している。大きさな声を出すために作られた、いわゆるメガホンだった。それが、先が膨らんだ「バットタイプ」にそれから次第に細くなり「ダブルバット」や「サムライスティック」と呼ばれる新型に。持ち運びが便利で女性向きのバットが鎖でつながった「カンフーツインタイプ」
1975年当時、カープファンはスタンドでしゃもじを打ち鳴らして応援していた。もちろん、しゃもじは宮島の名産品。「勝ちを召し取る」、打ち鳴らした時の「カチカチ(勝ち勝ち)」という音から、ゲン担ぎとして使われた。これに目をつけたあるメーカーが、それぞれのチームカラーのメガホンを売り出したら飛ぶように売れたというのだ。
ジェット風船に話を戻すと応援する立場からすれば、気分を高めてくれる最高のアイテムとして、欠かすことが出来ないものだと思う。「今年こそは日シリのマツダスタジアムで赤いジェット風船を飛ばすぞ。何せカープが先駆者なんじゃけぇ」改めて、そう誓わずにいられなかった。

以上が、ジェット風船物語からでした。

僕らドラファンもこんな素晴らしいカープファンには負けてはおれませんね!

開幕まで今日入れて残り20日となり、応援団なしの応援がどの様に行われるか不安でもあり楽しみでもあり本当に待ちきれない毎日です。
自分は開幕スタートダッシュの3連戦と次カードの3連戦はライスタから気合いを入れたいと準備万端です。



ドラファンとして、勉強させてもらいました!

2014年03月08日 | 井戸端会議

プロ野球の応援スタイルの原点がこの本にありました。
先日、ラジオで書評家で大のドラファンでもある大矢博子さんが紹介しておりました。
気になる内容満載であった為、ついつい購入してしまいました。
以下、本文より抜粋内容です。

トランペット応援、誕生秘話

☆「初代」トランペット応援はカープ
今や、12球団のすべてで、トランペットによる応援が定番になっている。応援団の規模、曲調はそれぞれ異なるが、もしトランペットがなかったらまったく違った応援の形になっていただろう。
そのトランペット応援は「どうやら、カープがその発祥」だと、聞いたことがあった。
それでは、この応援スタイルは、一体いつから始まったのだろうか?
何かきっかけがあったのだろうか?
できれば、その当事者に話を聞いてみたいと、いろいろと調べてみた。
やっとその「主」に会うために、東広島市に出かけた。場所は新しく建設されたばかりの市役所庁舎。現在1期目の市会議員の平岡毅さん、57歳だ。
「ずいぶん前のことなのですからね。やはり、私の青春時代の大切な一コマです」
☆「最初の日」は1978年だった
トランペット軍団による応援の「最初の日」とは、1978年4/22、広島市民球場の広島対巨人戦。
当時、平岡さんは、広島経済大学の4年だった。もともと熱狂的カープファンでたびたび球場に来ていた。一人持参したトランペットでファンファーレを吹いていた。「最初の日」の前日も、右中間スタンドで当時主力だったギャレットやライトルのため、アメリカ国歌を奏でていた。
その日に観戦に来ていたある男性は、その時の思い出を後になって、自身のブログにこう記している。
「背後から、トランペットが聞こえてびっくりした。何事かと思ったら、一人のお兄さんがトランペットを吹いていた。周りの人たちも驚いた様子。でも、一番驚いたのは、センターを守ってた巨人の柴田選手が思わず拍手をしましてね.,」
そこに「山本浩二ファンクラブ」の会長だった内田さんが、訪ねてきて「一緒に応援をやらないか」と声をかけた。最初は断った。しばらくして内田さんが再び訪れ平岡さんは合流することに。
即興でコンバットマーチを演奏した。
「かっとばせ、浩二!」
☆後輩に声かけて「軍団」結成
翌日、大学の後輩2人とコンバットマーチを吹いた。
「山本浩二ファンクラブ」法被を着た「トランペット軍団」の誕生だ。
この時のことは、「全国広島東洋カープ私設応援団連盟」会長の新藤さんも鮮明に覚えてる。
コンバットマーチは言わずと知れた早稲田大学の応援歌だ。そのトランペットに合わせて「讀賣、倒せよ」と内田さんたちカープファンは叫んだ。音楽に乗せて、球場に巻き起こった初めての「讀賣、倒せよ」の大合唱だったかもしれない。
☆入浴中に生まれた山本浩二のテーマ
では、あの山本浩二選手のテーマ曲は、どのようにして生まれたのか?
当初は、コンバットマーチに合わせて「かっとばせ、浩二!」とエールを送っていた。だが、ファンから「浩二さんのテーマソングが欲しい」と要望が出た。
ある日、平岡さんは自宅のお風呂で、あの音楽が頭に浮かんで来た。「一度聴いたら忘れられない音楽では...」と感じた。とても浩二さんにお似合いの曲と思った。「球場全体が盛り上がる」と確信した。当時、浩二さんが言ってた、「「コウジマーチ」とかっ飛ばせコールで小音がかき消され、打席に集中出来た」と。こうして、トランペットによる選手の応援歌という伝統の応援形式が出来上がった。
「当時、カープが強かったからこそ、トランペットによる応援が、ほかの球団に広がったのでは。もし弱かったら、カープだけでとどまっていたかも」と平岡さん。
☆脈々と続くトランペット応援
議員になって、マツダスタジアムのパフォーマンスシートにも、久しぶりに出かけ、昔、高橋慶彦の応援歌を吹いていた旧友に出会った。「たまには、トランペットを持って来て下さいよ」と声をかけられた。そのパフォーマンスシートでは、平岡さんが引退した後に生まれた若いメンバーが、トランペット軍団の中心になっている。女性団員もいた。
当時とは比べようもないほど、応援歌の曲も増え、曲全体も「進化」している。だが、カープを愛する心、選手に届けたい思いは、昔も今も変わらない。平岡さんがまいたトランペットによる「応援」という「種」は、旧市民球場からマツダスタジアムへと、場所を変えながらも、確実に立派な「花」を咲かせている。

以上がトランペット応援、誕生秘話からでした。

そこで、今年はそのトランペット応援どころか鳴り物応援を奪われた僕らドラファンですが、今後新しいドラゴンズの応援スタイルを考える良い機会となればと思います。どの球団も羨む様な、またカープの様に今後代々語り継がれる様な応援スタイルを期待したいです。そしてドラゴンズの選手が応援によりダイヤモンドを駆け回り優勝する、これこそがファンと選手との一体感!目指せ日本一!