あの日、車を停めて「お墓の墓」を眺めていたら、せっかくここまで来たのやから「白毫寺」に行ってみようと思うようになった。
「白毫寺」は天智天皇の第七皇子である志貴皇子の山荘の跡に建てられたと伝えられている。
平安遷都にともない寺も寂れたようであるが、鎌倉時代になり西大寺中興の祖である叡尊によって再興されたという。
その後、叡尊の弟子であった道照が中国から持ち帰った「宋版一切経」を経蔵に収め、法要をあげて以来、この寺は「一切経寺」とも呼ばれるようになり、多くの人々から親しまれるようになったようだ。
室町時代には兵火により全山焼失したが、現存の仏像はその兵火から守られ焼失を免れたといわれている。
なお、寺名になっている「白毫」というのは仏の眉間にあって光明を発したとされる白い毛のことを指すらしい。
寒い2月、萩と椿で有名な「関西花の寺 第18番札所」に花のない季節である。
きっと観光客のいない静かな空間があると思って拝観料400円を払い入山したんやったんやけど・・・
「写真;白毫寺受付」
「白毫寺」は天智天皇の第七皇子である志貴皇子の山荘の跡に建てられたと伝えられている。
平安遷都にともない寺も寂れたようであるが、鎌倉時代になり西大寺中興の祖である叡尊によって再興されたという。
その後、叡尊の弟子であった道照が中国から持ち帰った「宋版一切経」を経蔵に収め、法要をあげて以来、この寺は「一切経寺」とも呼ばれるようになり、多くの人々から親しまれるようになったようだ。
室町時代には兵火により全山焼失したが、現存の仏像はその兵火から守られ焼失を免れたといわれている。
なお、寺名になっている「白毫」というのは仏の眉間にあって光明を発したとされる白い毛のことを指すらしい。
寒い2月、萩と椿で有名な「関西花の寺 第18番札所」に花のない季節である。
きっと観光客のいない静かな空間があると思って拝観料400円を払い入山したんやったんやけど・・・
「写真;白毫寺受付」
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