うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

ありがとウメコ

2009-09-17 | Weblog
ナオミさんから携帯に

昨日お亡くなりになりました
62才でした。
今日ぞうのオリの前にお花をあげることが出来るそうです!


というメールがきたので、
仕事の帰りに小田原城に寄ってきました。昨日ではなく、今朝旅立ったそう。



1950年(昭和25年)の小田原動物園開園以来、59年の永きにわたり皆様に愛され続けてきましたインドゾウの「ウメ子」が、平成21年9月17日未明に永眠いたしました。
永年の皆様のご愛顧に感謝するとともに、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。


と書かれたパネルが、いつもウメ子の歩き回っていた運動場の前にありました。
写真と、献花台と、記帳台も。



ここまでやるんだ、すごいなーと思いながら、
わたしも子どもたちとよく「ウメコさーん!」と叫びに(?)来ていたので、ピンクの花を置きました。

この花は、お城近くの花屋さんが
「うーん、ウメ子ちゃんは女の子だから」
と選んでくれたのです。




8月の終わり、久しぶりに子どもたちをつれて行き、
弟家族と一緒に「ウメ子さーん」と呼んだのが最後でした。


ちらっとこっちを見て
ジャガイモをより分けて口に運んでいました。





「昨日までは元気だったんですよ…本当に、眠るように…今朝職員が見たら横になったままで…」
と献花台の前にいる職員さんは説明してくれます。


「わたしの子どもたちも、小さいときはよく見に来て」と言うと、


「我々だってそうですよ!本当に、自分も子どものときから…」と言ってしゅんとうつむくのでした。


泣かれちゃうのかと思った。







梅子の小さな運動場の脇では、臨時の記者会見がパイプ椅子をならべて開かれており

「…それでは、昨日の餌は無くなっていたんですか」

「普段から獣医は定期的に診ていたんですか」

「暴れたようすは」など矢継ぎばやに質問がとんでいました。



三人の職員さんは立って答えていましたが

「本当に突然で…。全く予想できなくて…」とやっぱりちょっと呆然としたようすでした。



みんなにすごく愛されてたんだな。
小田原越してきて、初めて見たときは、せまくてちょっと気の毒だなと思ってたけど。



うなだれる職員さん、
記帳されたたくさんの名前、
死んじゃったのーと子どもの手を引いてやってくるお母さん、

みんなウメ子がすきだったのね。







しょうけい館

2009-09-17 | Weblog
きのうは、友だち4人と、九段下のしょうけい館に行ってきました。


説明文です。

「当館は、戦傷病者とそのご家族等が戦中・戦後に体験したさまざまな労苦についての証言・歴史的資料・書籍・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する国立の施設です。
平成18年3月に開館し、財団法人日本傷痍軍人会が厚生労働省から委託を受け、その運営にあたっています。」



九段下の駅で6番出口から出るとすぐです。
カフェの奥、ビルの谷間みたいなところにあるから、看板が頼りですが
「こんなところに?」ってところにあるんです。


左にずっとのぼっていくと、昭和館、その先が靖国神社です。


しょうけい館で今月27日まで
「療養所の戦後  箱根療養所でくらした戦傷病者の労苦」という企画展を開催中で、
箱根病院に行った事のあるわたしや友人は、ぜったいいかなきゃね!と前からたのしみにしていたのでした。




1階が企画展で、2階が常設展なのですが
なんと入場無料です。りっぱできれいな施設なのにびっくり。
わたしたちのほかにはお客さんは1~2人でした。




当時の入所者を映した映像をシアターで見ることが出来ます。
わたしが取材に行ったときよりも、もっともっと若くて元気なときの浅木さんのインタビューがみられました。


(日本のものだったのに)朝鮮、台湾、樺太なんかが、戦後もぎとられた。けしからん!
みたいなことを話していました。


ああ、やっぱり。浅木さん、ずっとそう思ってくらしてきたんだね。




「50年たった今でも死にたいとおもっている」
「何のために戦ったのかとおもう」


と心情を語る他の入所者のことばもあちこちに見られるなかで



疑いも持たずに浅木さんは、ずっと兵隊さんだったんだ。




展示は「陸軍大臣」と彫られた、鷲だか鷹だかをかたどった杖や
車椅子、義手、義足、
収入を得るために作った竹細工の作品、
パラリンピックの当時のポスターや、画家が病院の様子をえがいた油彩、
皇太子殿下夫妻(今の天皇、皇后)の慰問の写真などなど、


箱根病院の貴重な歴史資料が豊富にありました。

これはどこかで、もちろん小田原ででも、なにかの形で常設展示できないのかなあ。





機会があれば、みなさんも訪れることをおすすめします。
企画展はもうすぐおわってしまいますが
2階の常設展示も見ごたえあります。


野戦病院のジオラマは、子ども達はねむれなくなるかも、と思うほどの出来でした。
これが戦場なんだ、とショックを受けるのも、もしかしたら大事な学びかもしれません。

戦争がまるで天災のようにあらわされているのには、もどかしい気持ちもありますが、
それでも戦争体験者が少なくなっていく中で、
これからは戦跡や資料に触れることがこれからの子どもたちには必要だなーと思います。





しょうけい館を出たのは3時間後、そのあと武道館へ続くワカモノたちの行列のあいだを縫って、
靖国神社へ、


境内やみやげ物屋さんや遊就館の無料のエリアや書店などをぶらぶら歩いて



夜は川崎でホルモン食べて、マッコリ何本も飲んで
またねーと別れました。