ナオミさんから携帯に
昨日お亡くなりになりました
62才でした。
今日ぞうのオリの前にお花をあげることが出来るそうです!
というメールがきたので、
仕事の帰りに小田原城に寄ってきました。昨日ではなく、今朝旅立ったそう。
1950年(昭和25年)の小田原動物園開園以来、59年の永きにわたり皆様に愛され続けてきましたインドゾウの「ウメ子」が、平成21年9月17日未明に永眠いたしました。
永年の皆様のご愛顧に感謝するとともに、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。
と書かれたパネルが、いつもウメ子の歩き回っていた運動場の前にありました。
写真と、献花台と、記帳台も。
ここまでやるんだ、すごいなーと思いながら、
わたしも子どもたちとよく「ウメコさーん!」と叫びに(?)来ていたので、ピンクの花を置きました。
この花は、お城近くの花屋さんが
「うーん、ウメ子ちゃんは女の子だから」
と選んでくれたのです。
8月の終わり、久しぶりに子どもたちをつれて行き、
弟家族と一緒に「ウメ子さーん」と呼んだのが最後でした。
ちらっとこっちを見て
ジャガイモをより分けて口に運んでいました。
「昨日までは元気だったんですよ…本当に、眠るように…今朝職員が見たら横になったままで…」
と献花台の前にいる職員さんは説明してくれます。
「わたしの子どもたちも、小さいときはよく見に来て」と言うと、
「我々だってそうですよ!本当に、自分も子どものときから…」と言ってしゅんとうつむくのでした。
泣かれちゃうのかと思った。
梅子の小さな運動場の脇では、臨時の記者会見がパイプ椅子をならべて開かれており
「…それでは、昨日の餌は無くなっていたんですか」
「普段から獣医は定期的に診ていたんですか」
「暴れたようすは」など矢継ぎばやに質問がとんでいました。
三人の職員さんは立って答えていましたが
「本当に突然で…。全く予想できなくて…」とやっぱりちょっと呆然としたようすでした。
みんなにすごく愛されてたんだな。
小田原越してきて、初めて見たときは、せまくてちょっと気の毒だなと思ってたけど。
うなだれる職員さん、
記帳されたたくさんの名前、
死んじゃったのーと子どもの手を引いてやってくるお母さん、
みんなウメ子がすきだったのね。
昨日お亡くなりになりました
62才でした。
今日ぞうのオリの前にお花をあげることが出来るそうです!
というメールがきたので、
仕事の帰りに小田原城に寄ってきました。昨日ではなく、今朝旅立ったそう。
1950年(昭和25年)の小田原動物園開園以来、59年の永きにわたり皆様に愛され続けてきましたインドゾウの「ウメ子」が、平成21年9月17日未明に永眠いたしました。
永年の皆様のご愛顧に感謝するとともに、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。
と書かれたパネルが、いつもウメ子の歩き回っていた運動場の前にありました。
写真と、献花台と、記帳台も。
ここまでやるんだ、すごいなーと思いながら、
わたしも子どもたちとよく「ウメコさーん!」と叫びに(?)来ていたので、ピンクの花を置きました。
この花は、お城近くの花屋さんが
「うーん、ウメ子ちゃんは女の子だから」
と選んでくれたのです。
8月の終わり、久しぶりに子どもたちをつれて行き、
弟家族と一緒に「ウメ子さーん」と呼んだのが最後でした。
ちらっとこっちを見て
ジャガイモをより分けて口に運んでいました。
「昨日までは元気だったんですよ…本当に、眠るように…今朝職員が見たら横になったままで…」
と献花台の前にいる職員さんは説明してくれます。
「わたしの子どもたちも、小さいときはよく見に来て」と言うと、
「我々だってそうですよ!本当に、自分も子どものときから…」と言ってしゅんとうつむくのでした。
泣かれちゃうのかと思った。
梅子の小さな運動場の脇では、臨時の記者会見がパイプ椅子をならべて開かれており
「…それでは、昨日の餌は無くなっていたんですか」
「普段から獣医は定期的に診ていたんですか」
「暴れたようすは」など矢継ぎばやに質問がとんでいました。
三人の職員さんは立って答えていましたが
「本当に突然で…。全く予想できなくて…」とやっぱりちょっと呆然としたようすでした。
みんなにすごく愛されてたんだな。
小田原越してきて、初めて見たときは、せまくてちょっと気の毒だなと思ってたけど。
うなだれる職員さん、
記帳されたたくさんの名前、
死んじゃったのーと子どもの手を引いてやってくるお母さん、
みんなウメ子がすきだったのね。