(写真は心合寺山古墳向かいの役所関係の建物玄関左に植えられた松。
近年、芝能の舞台のために植えられたように感じた。)
第2回 しおんじやま芝能
11月3日。
大坂八尾の心合寺山古墳前で
仕舞 『井筒』
『土蜘蛛 』
能楽 『弱法師』(よろぼし) 作者 観世十郎元雅
を楽しむ。
心合寺山古墳あたりは高安といい、高安発祥の流派である『高安流』というのがあるらしいが、能楽初心者のわたしにはわからない。
当日は、『弱法師』のワキと 大鼓が高安流派の方だったらしい旨、いただいた説明に記されていた。
能楽 『弱法師』も高安の里に関係する曲らしく、聴いていると地名が出てきた。
帰宅後『観世流百番集』でにわかに調べ楽しむ。
能楽で見聞きした情景と能楽を楽しんだ後に訪れた二、三の古墳のようすが高安のイメージを深く,そして広げる。
美しく心に響いた部分は
松の木間より眺むれば 月落ちかかる 淡路島山と 眺めしは月影の 詠めしは月影の
今は入日や落ちかかるらん 日想観なれば曇りも波の 淡路絵島 須磨明石 紀の海までも 見えたり見えたり
満目青山は 心にあり おう 見るぞとよ見るぞとよ
シテの盲目でよろよろとした足取り。
見えたり見えたり
見るぞとよ見るぞとよ
は、感動を覚えた。
だが、その後
明けぬ前にと誘いて 高安の里に帰りけり 高安の里に帰りけり
で、幕を閉じる。
(『観世流百番集』P、86参考 一部仮名変更)
古墳近くで見る芝能は初めてだけに今までとはまた違った味わいがあった。
観客は地域の方が多かったようす。
お話させていただいた方の中にも、初めて能楽を見ると言う方が何人かいらっしゃった。
素晴らしい事だと思う。
中には金髪のご夫婦が静かに横で楽しんでおられ、地域にとけ込見つつある能楽の望ましい姿だと感じた。
終演後まもなくの拍手も大きい。
皆で雑談している大人の姿、子供たちの声が楽しそうだった。
能楽真っ最中の住民の布団をたたく音、バイクエンジンを止めずに能楽ようすを見る人。
これらすべての思い出が高安の地域に密着した芝能と言う感じを受け、微笑ましく好感を持った。
これも能楽のあり方の一つだと感心する。
仕舞 井筒 塩谷恵 ○
土蜘蛛 山中雅志
國枝良雄
能楽 弱法師
シテ(俊徳丸) 生一知哉 ○
ワキ(高安通俊) 原 大 高安流
笛 貞光訓義 ○
小鼓 荒木建作
大鼓 高野彰 高安流
(○は重要無形文化財綜合指定保持者)
心合寺山古墳 もけいの広場
近鉄大阪線「河内山本駅」よりバス瓢箪山行き「大竹停留所」下車徒歩5分
近鉄信貴線「服部川駅」より、徒歩20分
『弱法師』 あらすじ
河内国 高安の里の左衛門尉通俊(みちとし)は、さる人の讒言を信じ、その子俊徳丸を追放。
しかし、すぐにそれが偽りであることがわかって、不憫に思い、彼の二世安楽を祈って天王寺で施行を行う。
一方、俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、今は弱法師と呼ばれる乞食となる。
彼は杖を頼りに天王寺にやって来て、施行を受ける。
春の彼岸の中日に、弱法師の袖に梅の花が散りかかる。
弱法師は仏の慈悲をたたえ、仏法最初の天王寺建立の縁起を物語る。
まさしく我が子。
だが、通俊は人目をはばかって、夜になって名乗る。
そして日想観を拝むようにと勧める。
天王寺の西門は、極楽の東門の方向。
弱法師は入り日を拝む。
難波の美しい風景を心に思い浮かべ、心眼に映える光景に恍惚となり、興奮のあまり狂う。
往来の人に行き当たり、盲目に気づく。
物を見るのは心で見るのだから不自由はない。
だが・・・現実の生活は盲目。
やがて夜も更け、人影もとだえる。
父は名乗る。
親と知った俊徳丸は我が身を恥じて逃げようとする。
父はその手を取り、連れ立って高安の里に帰える・・・。
なんと切ない話なのでしょう。
『弱法師』をもう一度心にしみ込ませながら聴いてきたいものです。
その時は初心者の私にも言葉がわかりやすいように、是非『百番集』も持参したいと思います。
次回はまた違った感じ方で記録しているかも知れません。
これも 初心者であるがゆえの楽しみ方の一つです(笑み)
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/81e84292a9819e09ff8db8ad43cdb275(乱鳥による 心合寺山古墳の桐の記録)
最後のなりましたが、わたしは能楽鑑賞の初心者です。
お気づきの点や間違いがありましたら、お教えいただけましたら嬉しいです。
関係者のみなさま、楽しい時間を過ごさせていただきました事を、心より感謝申し上げます。
能楽の曲『高安』の再現を心待ちに致しております。
ありがとうございました。
乱鳥合掌