日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

夢のように

2017-09-24 02:34:48 | 日記
「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、『アバ、父よ』と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。」ガラテヤ4:6



たまには夢の様に花を撮ってみたいですが、秋の花は地味ですね。それなりに美しいですが、腕が落ちてしまったのか。。。この花は昔から切花にした気がします。母がよく植えていました。またどこの家にも植わっていましたね。



うす紫は好きで少女雑誌の挿絵の少女の気がします。近所のMちゃんと雑誌を交換して夢中で読みましたっけ。その頃はロマンチストでいつも夢を描いていました。



雑誌の少女の絵に憧れ、眼を飛び切り大きく可愛く描いて喜んでいました。そんな絵を描いて想像の中で遊んでいた少女の頃がありました。

ブログに掲載した拙い写真ばかりですが、ホームページの別館に少しづつ更新が出来ました。風景2に「八幡堀」「夏の志賀高原」、宇治田原3に「シャガの咲く頃」です。良かったら見て下さい。眼が悪くても何とか更新出来感謝です。

上の言葉
 あなたも、私も、神様の「子」であると言われます。なんと驚くべきことでしょうか。私たちのどこを取っても神様の子らしいところは全くありません。しかし、どんな状態にあっても、ただ聖霊が宿ってくださるゆえに神様の子であり、その実証が「祈り」です。あなたも「アバ、父よ」と、子になりきって、神様を呼びましょう。(KE)

せせらぎ

2017-09-23 01:39:30 | 日記
「人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことはないからである。」詩篇49:16-17



植物公園は人工的に造られたものではありますが、唯一山の中の自然では?と思わす所があります。和庭園の
池から水が草木の間をぬって、急な傾斜を流れていくのです。草木の中は山野草が生え、静かな空気の中を水が音を立て流れ落ちて行きます。ここは深い山の中では、と思わすのです。自然と山野草が好きな私は最も気にいってるところです。





小さな流れで側には苔や綺麗な草が生え1日中でも佇んでいたい衝動にかられます。



小さな滝のようになった箇所があります。この花も可愛いものです。



最後滝のように落ち、池になります。地下を漕ぐって、最も低い場所が蓮池ですが、ここへ溜まるようです。

上の言葉
人は富や財産を自分の所有としますが、それらはこの世にある間、使わせてもらっている借り物にすぎません。地上の生活が終わると、全てをここに置いて出て行くほかないのです。私たちが生きている間、楽しむようにと神様が備えてくださったものですから、残そうと考えず、感謝して喜び楽しんだらいいのです。(KE)

夏のなごり

2017-09-22 09:24:40 | 日記
「事の終りはその初めよりも良い。耐え忍ぶ心は、おごり高ぶる心にまさる。」伝道7:8





今日はすっかり涼しくて、やっと快適な季節が来たでしょうか。いえいえまだ台風の季節。今日は市民検診。毎日医者通い?間もなく眼の注射であります。気持ちの良い注射であります!?それまで体調を整えなくてはなりません。



植物公園には水連、といっても鉢植えですが、まだ咲いていますが葉は汚くなって来ました。今はもう秋~♪そんな季節になりましたね。



彼岸花が小学校の土手にも咲いていますが、今はいけなくて、宇治田原の遅い彼岸花に行けたらいいのですが。早朝の彼岸花に会いたいものです。



寺田の田んぼの蓮はハチスで一杯でしょう。

上の言葉
世間でも「終わりよければすべて良し」と言います。それは結果を見て言えることです。しかし、常にこの先は今より悪くなると考えがちです。昨今の世界情勢を見聞きすると、悪くなる一方としか思われませんが、神様のご支配を信じる時、必ずや「終りは初めよりも良い」と期待することができます。神様は悪いことではなく、良いことをされるからです。神様を信じて耐え忍ぶとき、あなたの人生の終りは今よりも良いものになります。(KE)


秋色」

2017-09-21 08:31:55 | 日記
いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。(ルカの福音書6章21節)



間もなく信州はこんな風景でしょうか。宇治地方は昼間は27度でまだまだ暑さを覚えます。この画像は2年前のもので懐かしんでいます。信州の秋は早いですね。志賀高原では9月末が紅葉ですから。



宇治の紅葉は11月末から12月初旬ですから同じ日本ですがえらい違いです。
今日は夫の検診で付き添いで行きます。どうやら一人では心細いらしい。やはり名前が大きなものですから誰でもそうなるでしょう。その代わり私の眼の注射には着いて来てくれるので、年と共に持ちつもたれつでしょうかね。平均月に2度づつが医者通いか?私は内科で薬を頂き、眼科です。月々の医療費の多いこと!



以前は年2度は何処かへ写真旅行に行ったものですが、今年の秋は近場に良いとこがあるのでした。近場が一番ですね。宇治田原に自分で運転してよく行きましたが目の為ちょっと怖い。
宇治なら一人で行けるし、電車にのれば京都へ行けるのでした。灯台元暗しであります。

上の言葉
人間平等に苦楽があります。自分だけが苦労では決してない。人生の初めか、中間、老後。必ず穏やかな時が来るものです。神様がそうしておられます。今泣いていても、必ずその涙を拭われる時が来るのです。

つれづれに

2017-09-20 12:13:30 | 日記
「ペテロは、『にわとりが二度鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われたイエスの言葉を思い出し、そして思いかえして泣きつづけた。」マルコ14:72b




息子の家族の軽い風邪がうつった様です。寒暖の差が大きくて気をつけないといけないですね。



ペテロはイエスが十字架にかかれば、自分も死にます!と宣言しましたが。いざとなれば、裏切り、予言通りでした。でもイエス様は、「あなたが立ち直れば多くの人に教えなさい。」とペテロに愛を持って、その生涯に希望を与える言葉をいただいていた事を思い出し、ペテロは激しく泣いたのです。イエスがどれほど自分の事を思って下さっていたかを。



われわれも宣言とか、誓いの実行はなかなか難しいもの。ましてこんなに大きな重大な事では、ペテロは自分の弱さを深く氣着ついた事でしょう。



イスラエルに鶏鳴教会があり、イエスとペテロのこの場面の様子を描いた絵画がありました。如何に人間には弱さがあるかを表現しています。



でもまたイエスの愛と励ましの大きさも同時に思い知らされます。

上の言葉
この事はペテロの生涯において最も痛恨事であったろうと思います。死をも、牢獄をもいとわない覚悟であったのですが、厳しい現実に会う時、自分の弱さがすぐ出ます。泣きつづけるペテロの心情を察するとき、同情を禁じえません。しかし、主は意志薄弱な者を造り変えて、栄光の生涯へ入れてくださったのですから、私達も大いに希望を持つことができます。(KE)