日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

9月の花に思う

2017-09-19 08:24:26 | 日記
「彼らは神を知っていると、口では言うが、行いではそれを否定している。」テトス1:16a



台風が過ぎて涼しくなるかと思ってましたが、暑い!時にエアコンを入れます。しかし花はしっかり秋の花です。春はもうそんなに咲かなくても、と言いたい位多くの華やかな花が咲きます。9月の花は彼岸花やダリアは華やかですね。



公園の彼岸花は木の下で、重なり合って植えていて余り美しくないです。やはり彼岸花は土手や田んぼが似合います。風景とマッチした場所に咲くのがいいですね。夏の花の少ない時期からようやく華やかさが戻って来たので元気の出る花でもあります。



白っぽい彼岸花が近年多くなりましたが、田んぼではありません。彼岸花はやはり赤のものでしょうか。



夏の花は「夏枯れ」といって、庭には何もなく紫陽花位です。夏は高い山の山野草ですね。なかなか簡単に行けないですから、夏はそっけないものです。近年ハーブを多く植えられ、香りがいいです。ハーブはケーキや料理に用いられ、なかなかグッドです。9月には家々の庭によく見られます。

上の言葉
 「本音と建前」、「裏と表」など、二面的なあり方を表しますが、信仰の上でも同じことが起ります。口で言うことと、実際の行いとが食い違っている。そのような人をこのみ言葉に続いて「忌まわしい者」、「不従順な者」、「失格者」と言っています。確かに、そうありたいと願いつつも、実際になると何もできない現実があります。しかし、なんとか言行一致させようと努めなければ、信仰の恵みを知ることができません。(KE)




まなざし

2017-09-18 09:41:24 | 日記
「わたしはいにしえの日を思い出し、あなたが行われたすべての事を考え、あなたのみ手のわざを思います。」詩篇143:5



台風もこの京都南部では3時間程風雨が強かっただけで通過してくれました。西日本では1度は台風災害の経験がある人が多いと思います。私も大変な目にあった事があります。今日は台風通過の後の快晴です。



昨日は台風前の礼拝でした。ヨハネの13章からです。ペテロはイエスが「私は間もなく十字架で処刑されます。」と言えば「あなたが処刑されたら私も一緒に召されます。」と言ってました。しかしいざイエスが捕えられ、その高官の館で女中たちに「あなたもイエスと共にいた人では?」と言われ、「私はあの人を知りません。」と告げます。イエスがペテロに「あなたは私を知らないといい、その時、鶏が鳴きます。」これが3度あるとイエスが予言されていたのが、そっくりそのままになりました。そこでペテロは激しく泣きました。



ペテロは自分の弱さ、愚かさ、罪深さを悔いたのです。最後の晩餐でイエスはペテロに「あなたが立ち直れば、多くの人に教えなさい。」とやさしい眼差しで告げてられたのです。その事をペテロは思い出し激しく泣きました。後に大伝道者になりました。



ユダも奴隷の売価と同じ金でイエスを役人に売りましたが、十字架になったのを見て、
その金を祭壇に投げ入れました。彼はこの世に悔いて、主に悔いてなかったのです。彼は自殺しました。



人は愛と励ましで育ちます。激しく叱っても落ち込み進歩しないです。この箇所でも真理が隠されていますね。

上の言葉
年を取るにつれて、今のことより過去のことを思い出すことが多くなります。そのような話ばかりするため、若い人から敬遠されますが、幼少のころから今に至るまで、数々の出来事を通り越してきました。しかし、ただ懐かしみ、武勇談を語るのではなく、すべての事の中に、神様の測り知れない摂理、み思いがあり、備えられたことを感謝することが大切です。(KE)

秋の花

2017-09-17 08:18:19 | 日記
「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」エレミヤ32:27



先日まで暑い!と呟いていましたのに、早秋ですね。でも今日は台風前の静けさでしょうか。雨も風もありません。今日は礼拝。楽しみですが、食事を頂いて帰るか、その場で決めましょう。



植物公園はコムラサキが見頃でした。地味な花でどこにでも生息してますが、こうして群生していますと、回りの緑と相まっていいものです。



小さな池も秋模様。平日は人が少なくて私が一人じめ。



小さなせせらぎが音をたて水が流れる様は、私に文才があれば、一句でも作りたいものですね。残念であります。



萩が咲いていました。山野には、また明日香には間もなく彼岸花が美しいでしょう。明日香に広く萩が咲いていたのを思い出しました。

上の言葉
神様は「主」であり、「神」であると繰り返し聖書で語っています。それは、私たちが神様を忘れて、自分が「主」となり、「神」になっているからです。人生にはいろんなことが起ってきますが、あのことも、このことも、それら全てを司り、統べ治めているのは神様であることを信じましょう。その方は「できない事」のない方です。今日も神様の前にひれ伏して従いましょう。(KE)

朝の公園

2017-09-16 08:47:22 | 日記
「そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。」マタイ24:40



昨日やっと写真を撮りに行けました。ゆっくりと運転して自分一人です。何とか運転出来るだけでも感謝しなくちゃ。カメラは1か以上眠っていたのです。ツタがもう紅葉でしょうか?



家から10分の宇治植物公園はもう20年位たったでしょうか。市民の憩いの場としてでしたが、誰でも行けます。はじめは木も低く、貧相な公園だと思っていましたが、木もそして施設も充実して立派になりました。いつも京都植物園へ電車で行ってましたが、殆どその必要もなくなりました。むしろ人が少ないので憩いと落ち着くには丁度いいでしょう。植物園と公園が総合した施設です。また福祉が充実して障碍者の為の準備は満タンに感じます。



ロビーの一部分です。ここで軽食もとれます。



入って行けばもそ竹?の下には面白い草が一杯。春には山野草が綺麗です。今の時期は花が少ないですが、それでも秋の花があるものですね。



公園内も少しずつ変わり、なんと人口池だったのが鉢植えの蓮や水連になっていました。水連がまだ見れるのでパチリ。
植物と会えるのは心安らぎます。

上の言葉
 「そのとき」とは、終末の時のことですが、この言葉をとおして救いが極めて個人的なものであることが分かります。家族や教会など、集団としてではなく、あなた個人が問われることです。どんなに仲の良い夫婦であっても、神様の前に立つのは一人一人です。他人のことも大切でしょうが、先ずは「わたし」です。あなたが真剣に神様を信じ、イエス様に従って、救いを確信することが求められています。(KE)



女性はおしゃべり

2017-09-15 08:05:08 | 日記
「彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。」ヨハネ3:18



昨日は教会のお茶会。近所の人や他教会の人、教会員等誰が行っても良い。殆ど牧師夫人がおられるのですが、昨日はお世話する人だけでした。お茶、手造りケーキや白玉ぜんざい等。本当にこの教会はいつもお茶お菓子がつきもので、今回は白玉ぜんざいと聞いて、行ったかな?食べ物に弱いです。



メッセージも讃美歌も何もなくご自由にくつろぐのが主旨の様です。参加費は無料。私は甘い物ばかりで糖尿にならないか心配であります。しか~しおしゃべりが楽しい時間でした。世界のカトリックやプロテスタント、モルモン教、イスラエルの事。同性愛者の事。不倫、北朝鮮のこと。お世話をする人が呆気にとられてられた。おおしゃべりの横綱は二人。そして凄く物知り。



私は子供の頃、若い頃は無口で通っていましたが、今は普通?少し口を挟む程度。横綱の人は足は悪いのです。口は大変動きます。人の悪口ではなく世界情勢だからまぁいいか。
大体女性はおしゃべり。私はそんなに頭が回らなくて、羨ましいですが、甘味と楽しい時が過ぎて行きました。

上の言葉
イエス様は救い主として世に来てくださいました。しかも、その救いは老若男女、貴賎貧富にかかわらず、全ての人に与えられるものです。ただ、イエス様を信じて、心を開いて求めなければ得られません。神様のさばきとは、神様が積極的にしかけられることではなく、私たちが自分で選び、招く結果です。すなわち、イエス様を信じないこと自体が「さばき」となるのです。(KE)