日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

TVの前

2018-02-18 08:46:19 | 日記
「これらのことをあかしするかたが仰せになる、『しかり、わたしはすぐに来る』。アァメン、主イエスよ、きたりませ。」黙示22:20



昨日午後のオリンピックにはTVの前で釘づけでしたね。私もドキドキして、どうなるんやろ、、、何と羽生君が金!怪我の治療後だから無理では?と思っていましたが、彼は冷静な人なんでしょうね。息子はものに動じないねんや、とか。でも良かった。
私は以前から素直な人だな、スーと王子さんみたい、と思っていましたが、何とおっかけのおばさんが多いこと!なんだか解りますね。

勝敗だけではなく、醸し出す雰囲気でしょうか。あら、私も憧れ叔母さんになってますね。すみません。

心を正して、今日は礼拝です。主の御言葉を聞き心にとめて来ます。



上の言葉
すべてのものには始まりがあり、終りがあります。悠久のときを経た大宇宙も必ず終わります。それがいつであるかはわかりません。しかし、終末のとき、主は再び来られるとの約束です。今の世の様子を見るとき、終りの近きことを感じます。全ての人が悔改め、救われることを切に願いますが、救の完成である主の来臨を待ち望むのは私たちの喜びです。「主よ、すみやかに来たり給え」と祈りつつ。(KE)

コテコテの大阪を歩く

2018-02-17 08:54:41 | 日記
「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。」マタイ23:25



昨日は大阪日本橋へ用事で近鉄大久保から西大寺、難波へ向かいました。南は数える位しかい行ってなくて、珍しいですね。日本橋へは7年前に行ったきりでどこだったか?とにかくせっかくだから道頓堀へ。



中国の若者が殆どでここはチャイナタウン?コテコテを超えてます。お店の方に聞くとよく考えて、やす~く宿も食費も浮かせて過ごされるらしい。関空は格安航空がおおくありますから。





過って中国四川省へ行った時の風景が甦りました。成都は古い都で人口が千万です。そのメーンスリートなのに、道からはみ出たところにテーブルを出し。グループで食事してる人が多くびっくりしました。中国の習慣でしょうか。ここ大阪でもそいうのを要求されるのでしょうね。かだらない大阪とマッチしてます。私はそういった気風が好きではあります。



道頓堀も歩道を作り変わりました。食堂で食事してますと、向かいで食事を待つ中国の青年たち。



何と食堂に観覧車の仕掛けがあり、観覧車に乗って食事するという、珍しいのを希望して待ってるのでしょう。
う~ん商魂たくましい大阪と珍しいのが好きな旅行者。合いますね。目的の店は何とか着けました。近鉄日本橋でおりたら直ぐだったのです。しまった!
静かなとこばかりでなく、たまに面白いとこへ行けて良かったです。今回の大阪のお店は安くて美味しでした、

上の言葉
偽善とは建前や外見を重んじることです。本音と建前、内と外、表と裏など、二つの基準を設けて使い分けるのを世間では「よし」とされています。しかし、神様には通用しません。偽善の反意語は言うならば「真実」と言えるでしょう。表裏一体、内外なし。これこそ力です。私たちの内も外もきよめて、神様の前に嘘偽りのない歩みをしましょう。(KE)



梅一輪

2018-02-15 21:08:17 | 日記
「おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。主はとこしえにこのような人を捨てられないからである。」哀歌3:30-31



庭の小さな鉢植の梅が一輪ひっそりと咲きました。まるで寒さに申し訳ないみたいで健気です。花にも表情がありますね。この寒風では寒い!って言ってるような。早春になれば生き生きと春が来たよ!と色んな花が華やかな春を元気に知らせます。春は青春。待ち望みます。

今日は町内のワンちゃん、犬種は知らないけど、アルプスの少女ハイジのお友達のワンちゃんと一緒なんです。その子に会って来ました。前がお世話になっている美容室なので、時に行きますから私を知ってくれて、道で会ってもなついてくれます。今日は自宅なので、なぜなぜしてくれと、手を振って合図します。フエンスから顏を出して、私はなめられそう。可愛いですね。ものすごく大きな犬で人間より大きいです。しかし大人しいな。



上の言葉
 右の頬を打つなら、左の頬を出せとは有名な言葉ですが、多くの人は誤解しているようです。打たれることが主眼ではなく、どんなことでも見ておられる方がいること、また必ず報いてくださることを信じるからです。どんなときにも神様に期待しているとき、心にゆとりが出来て望みを持つことができます。そうでないと、袋小路に追い詰められて自滅するほかありません。(KE)

眼科検診

2018-02-14 21:19:03 | 日記
「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか。」エレミヤ32:27



昨日は近くの病院へ車で10分ですが眼科検診に出かけました。久し振りに長く待たされ、待ち草臥れです。予約が11時なので、10時半に入り、診察してもらったのは午後2時ですからね。いつも2時間位ですが、この日は4時間。診察前に視力や眼底検査がありますが。待っている男性の声が聞こえます。「この病院も10年なるけど、飽いて来たな。こう待たされたらもう他に変わる。」
見立ての良い先生で評判が良いと何処も待たされる。夫の眼科はもの凄く大きな病院ですが、予約通りとか。同じ近くなんですが。

待合室には色んな声が聞こえます。「好きな酒は飲むな、と言われるし、遠くも行かれへん。年金もらうのだけが楽しみや。」家族の人でしょうか。「この人文句ばかりいうてますねん。」 そりゃまあ、そうだろうな、、、聖書で希望を持ってと、心の中で言う。

薬局や遅い昼食をとって帰ったのはなんと4時でした。



上の言葉
カード遊びをするとき、どんなカードよりも強いものをオールマイティと言います。まさに神様はそのような方です。天地万物、森羅万象をすべて創造された方は、いまも変ることなく、創造のみわざを日々続けておられます。私たちの全てを知り、すべてのわざを導き、生ける者の「主」です。今日の一日もこの方によってあなたのために備えられた日です。あなたは自分が「主」だと思っていませんか。(KE)



個性を大切に

2018-02-13 21:38:27 | 日記
あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネの福音書13章34節



人は皆個性豊か。社会でもまた教会でも然り。どうしてこうも豊かで面白いのでしょう。今日は牧師先生が面白いたとえを言われた。卵5個を器に入れて、砂糖や塩を入れかきまぜ、焼けば一つのオムレツになり大きな纏まりとなる。卵を1個づつフライパンに入れ、5個やけば、5個の目玉焼き。それをいつも区分けして使える。一つ一つ自由。教会はオムレツにして一つに統制して縛るより、個性を重んじて愛し合うようにした方が自由で良い。

それにはどうするか。キリストの言葉を重んじて、それによる愛や平安、柔和、謙遜の聖霊が一人一人に宿る事が大切。今の私の教会は本当に実に個性的。でもよく仕え合ってられるなと思います。牧師夫妻の献身の姿勢があってこそと思います。

牧師は個性を重んじて、そのくせ自由で、互いに仕え合うかをいつも考えてられる様です。会社でも国でも、オムレツのように一つに統制してしまったら、ややもすれば独裁的になるかもしれない。そこのところが難しいです。

せめて教会だけでもキリストにあって、個性を重んじ、自由で愛がありたいものです。



上の言葉
人は現実には愛に乏しいものです。罪びとですから何か下心があったり、難しいものです。
完全な愛を持ち合わせはしていないです。それをしっかり解ってないと、辛い目に会います。完全な愛はキリストの十字架しかないのです。聖書を学んで行くうちにその愛がどれほど大きく、我々に必要なものかが解って来ます。