蔡 英文 (さい えいぶん、ツァイ・インウェン)
(1956年8月31日 - )は、中華民国(台湾)の政治家。
第12‐13代民主進歩党主席、
元中華民国行政院副院長、現・民主進歩党主席。
(wikipedia)
台湾屏東県枋山郷出身で客家の旧家の出。台湾大学法学部卒業後、アメリカのコーネル大学ロースクールで法学修士、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法学博士を取得。帰国後、国立政治大学及び東呉大学の教授に就任した。
国民党政権下の1990年代に、経済部の国際経済組織首席法律顧問、経済部貿易調査委員会委員、行政院大陸委員会委員、行政院公平交易委員会委員などを務め、1999年に李登輝総統が発表した中台関係の新定義、いわゆる「二国論」(「特殊な国と国の関係」論)にも深く関わった。
民進党が政権を獲得した2000年5月、中台関係の政策を受け持つ行政院大陸委員会の主任委員に就任。2004年には民進党から立法委員選挙に出馬して当選、2006年1月から2007年5月まで行政院副院長(副首相)を務めた。
民進党が下野した直後の党主席選で対抗馬の辜寛敏や蔡同栄に圧勝し、2008年5月21日、第12代主席に就任した[1]。代理で就任した人物を除くと、民進党初の女性党首である。2010年5月、第13代主席に再選。
2010年11月に実施された地方選挙の一つとして行われた新北市初代市長選挙に出馬するも、国民党の朱立倫に惜敗した。
2012年1月14日実施の総統選の民進党公認候補として、再選を目指す国民党の現職の馬英九と次期総統の座を争ったが敗れ、投開票が行われた14日夜に党主席辞任を表明[2]、3月1日付での辞任を了承された[3]。後任の代理主席は、陳菊高雄市長。
2014年、蘇貞昌の後任として再度、党主席に就任。
独身のクリスチャン。2008年7月、台湾の主要政治家10人の支持率について行われた世論調査(国民党寄りとされるテレビ局TVBSが実施)では支持率49%の1位となり、馬英九総統の30%(7位)を大きく上回った。「台湾のライス」と呼ばれるなど学者出身で清廉なイメージがある。2012年総統選に立候補し、2011年4月の世論調査では現職の馬英九総統と互角の支持率を出している。
政治的立場は穏健独立派とみられているが、2008年11月の中国海峡両岸関係協会の陳雲林会長の訪台をめぐって「訪台を歓迎しない」「台湾史上、最も暗い1週間」と踏み込んだ発言を行い、急速な対中接近を図る馬英九政権を強く牽制した。
2012年総統選に立候補後、2025年までに原発全廃を目指す目標を表明、民進党結党以来の党是の一つである「脱原発」を鮮明に打ち出している。
2008年10月、週刊東洋経済のロング・インタビューを受けた[4]。この中で、かつて日本語を3年間勉強したこと(ただし、本人いわく「あまり上手ではない外国語」)、よく日本を観光で訪問したことを明かした。日本統治時代については「日本人には誤りもあったが、台湾に対する貢献もあった」と評価。尖閣諸島(釣魚台)問題については、「台湾の領土」との立場を強調しつつ、「(日台相互が主張しあう)領土の概念から引き出される経済利益は、双方が共同で享受する」ことを提唱している。
2009年3月には民進党の党首として初めて来日し、自由民主党幹事長(当時)の細田博之や、日華議員懇談会の会長である平沼赳夫[5]、民主党代表(当時)の小沢一郎[6]らと会談した。