ご機嫌いかが?

今日一日どんなあなたでいましたか

夢・・・破れる

2007-10-13 09:46:37 | Weblog
本当なら今頃は、旅行カバンぶら下げて空の旅。。。だった筈。゜(゜´Д`゜)゜。
毎年恒例のいとこ会へ、諸般の都合により今年は断念。。。残念ながら諦めた。
ところが、今日は朝から忙しい。これなら断念は正しかったことになるな。
私が今日までこだわった理由は、旅の目的地が名古屋だったこと。
(金と時間さえあれば)いつでも行ける名古屋に、どうしてこだわるか。
それにはちょっとした、ドラマがあったからでございますよ。

大型バスを貸し切って、親戚縁者が総揃いで都城まで我らの結婚式に来てくれた。
今から25年も前の、まだ初々しいかったあの日の記憶が蘇る。
披露宴が盛り上りすぎたのか、時間ははるかにオーバー。
見送るみんなへ挨拶もそこそこに、これから始まる人生の旅へと出かけて行った。
果たして港へたどり着くのやら~。雨になった国道を志布志へと車は急ぐ。
何故かその時に限り、パワーウインドウの調子が悪く、左の肩は雨でビッショリ。
ようやく港へ着きはしたものの、乗船待ちの車は一台もなく、目の前には白い大きな
サンフラワー号が、その巨体を岸壁に横たえていた。
二人は言葉を失うと同時に、そこで固まった。 もはやこれまでか・・・
いや!!!人生七転び八起き・当たって砕けろ 諦めちゃいかん 何とかなるさ!
嬉しいかな、神は見放してはいなかった。 
ギリギリセーフで、我らの為だけに、改めてゲートが開いた。やってみるもんだ。
こうして我ら二人の未来は>>>旅行が不意にならずにすんだのでありました。

大阪の南港へ着いた後、車は日本列島を北上。パワーウインドウの機嫌も直る。
一週間をかけての、あま~いハネムーンの???珍道中の始まりとなるのですが
今日は特別版、名古屋の思い出を取り出して見ましょう。
だって今夜は、名古屋の夜になる筈だったんですから、意地でも書くぞー。

高速道路を北へ北へ~~~
一日の旅を終えて、名古屋の地に下り立つ二人。
田舎者の匂いがせんやろか? 気にせんでいいが、見ただけで分かるやろ。。。
こんな会話をしたかどうかは、覚えていないが似たようなことは言っただろう。
名古屋国際観光ホテル===ここが話の核心の場面を作った場所。
食事は同ホテルの展望レストランに行こうということになった。
浴衣では不味かろうと、二人ともスーツに身を包み颯爽とエレベーターに乗る。
浴衣なんぞ誰一人いない、。みんな着飾り、お喋りしながら楽しく食事をしていた。
メニューを見ても???ボーイさんに聞いて、二人ともステーキにした。
「ワインも飲んでみよう、折角だから」気取って相棒が注文した。
食事が出来上がる前に、ボーイさんがワインのコルクを抜いて、相棒に手渡す。
何のことか分かりもしないで、私にどうしたら言いか目で訴える。
私に聞かれても。焼酎の栓抜いたって、お客さんにはやらんじゃろ。
すると、鼻の前でクンクン嗅ぎ出した。それが正解だったのか、ボーイさんは次の行動
へと移り、私達は慣れない二つのアイテムで、ぎこちなく食事を終えた。
いよいよ会計。 レジで示された金額は¥15.000- どっひゃー!んだもしたぁ~
この時ジェントルマンの花婿は、会計を終え肩で風切って出て行く。
その後に続く田舎者の花嫁は、肩を震わせていた。
そして、エレベーターの中で花嫁は、これからの二人の行く末を案じ、泣いた。
こんなことなら、街に出て屋台で一杯でも、良かったのではないか。
味噌煮込みうどん・エビフライ・ひつまぶし、名物があったじゃないの。
そんなこと言ってみても、あとの祭り。 ワインに酔って花婿はご機嫌じゃった。
この夜の出来事は、今でも時々話の種になるから面白い。
名物は食べられなかったが、もうひとつの名物はこの目でしっかり見た。
名古屋の結婚式は派手だと聞き及んではいたが、大きなリボンをつけた引越しトラック
が走って行た。それも2.3台連なって、満載の寿を運んでいた。
何ヶ所もそんな光景に出くわし、田舎者の二人は言葉を失った。凄くて。
名古屋城に寄り、エレベーターに縁があるものだと、天守閣まで泣かずに上がる。
城の外のお堀のあたりで、「地下鉄はどっちですか?」と尋ねられ、「あちらです」
と応えたら、適当に言うなと相棒にこずかれた。
相棒の後ろには、地下鉄を示す看板が=あちら=と案内していた。
いくら田舎者でも、日本語は読めるってもんだ。

二人は名古屋を後にして、東名高速道路をさらに北上。
富士の河口湖、伊豆・修善寺温泉、熱海温泉へと旅を続けて参ります。
今日行く筈だった名古屋に、思いを馳せて想い出めぐりと相成りました。
この先も、面白さ満載の旅に間違いはないけれど、勿体ないからまた今度。

ひとつ付け加えるとしたら、旅の終わりは川崎港から日向までのフェリーターミナル。
ここにたどり着く頃には、花嫁は重度のホームシックにかかっていたのであります。
口数も少なく、妙に塞ぎこんで花婿さんはお手上げ状態でした。
その時目の前に、宮崎ナンバーの車がぞくぞく集まってくる光景に、次第に笑顔が
戻ってきたから驚きです。 単純な人間でありますよ。
船の中では、運転に疲れた相棒は食事の時間だけ起きていて、野放し状態の私は
テレビを観たり、一人で船内探索に明け暮れていた。
個室の窓からは、海しか見えないから、暇つぶしにテレビを観ていたら怒られた。
コインを入れなければテレビが観られない。そのコインが勿体ないと、相棒は言う。
こらー!! あの夜の、ステーキは何だったのよー!! 

あの日から25年が経ち、「銀婚式の記念にまた行けるね」と喜んだものの
大口の仕事が入るやら、若一人では重荷過ぎるし無理だと判断。見送ることにした。
想い出だけは消えないで、いつまでも残っていてくれる。
良いことも・悪いことも、鮮明に覚えているからたまらない。

いとこ会の参加者の皆々様、今頃はホテルのロビーで再会を喜び合っている頃。
大いに盛り上がり、楽しんでくださいませ。   
                             
              -このお話は、全てノンフィクション(事実)でありますー