令和4年8月1日、2日、3日と、夏休み恒例?の近場の史跡めぐりへ行ってきた。
今回も義母のお世話を頼んでの旅行なので、ちょっと気が引けたが、それに、最初にお願いした長姉がコロナに罹ってしまい、近所の次姉に改めてお願いすることになり、それなりに気が重い出発となった。
でも、行ったら行ったで、初めての場所で、新しいことに出会い、知らないことを知ることができたり、それはそれは楽しい旅になった。
では、1日目から載せていこう。
海ほたるへは行ったことがなかったので、そこで昼食を食べようということで、東京湾アクアラインを通って、東京湾の真ん中に浮かんでいる?海ほたるへ。はじめのうちはスムーズにいっていたのだけれど、海ほたるへ入る段になって、道に迷ってしまって、逆方向の道路に入ってしまい、大井南というところで改めて入り直すという珍事にもあったけど、何とか行けた。海の下7メートルを掘った海底トンネルは、普通のトンネルと大差なく走れた。
次に、私が今回の旅行で一番楽しみにしていた「頼朝上陸の地」。そこは勝山海岸とあった。
もう10年位前に石橋山の合戦の地へ行ったことがある。負けた頼朝は山に隠れていて、しばらくして真鶴から船で房総半島へ逃げたという。真鶴の海岸を歩きながら、「こんなところから小船で大海へ行ったんだな」と考えたのを覚えている。その房総の地はどんなのかと胸が躍った。
果たして期待を裏切らなかった。この岩場にもしかしたら船が横付けされてたかもなんて思いながら、しばらく歩く。
当時は十何人かが住む小さな漁村であったそうな。こういう貴人が来ると村の人たちはいろいろ世話をするそうで、それに感激した頼朝は「安房を一国あげよう」といったのを「粟を一石」と勘違いした村人は、「粟より苗字が欲しい」と。「そうか、ばかだな」と答えた頼朝の言葉を、「左右加さん」「馬鹿田さん」と聞こえて、苗字にしたと伝説に残っているそうだ。
そして鋸山へ。そこには岩に掘った大きな仏像があるんだが、歩くと片道40分もかかるという。私たちの体力では限界なので、途中の「地獄のぞき」まで行くことにした。この日はとても暑い。少し歩いただけでも汗びっしょりである。ロープウエイ
で上まで行き、そこから歩くこと15分。崖が飛び出ていて、まさに下をのぞくと怖い。
下山して車の中へ。車では冷房が効いているので、過ごしやすい。
1日目はここまで。予約しておいた東横インホテル袖ヶ浦駅前で宿泊。きれいで値段もリーズナブルで良かった。
2日目は、はじめに千葉市立郷土博物館へ。ちょうど大河「鎌倉殿の13人」と絡めて、郷土が誇る偉人「千葉常胤」を中心に、分かりやすく展示されていた。常胤が住んでいた館跡には「千葉城」が作られていて、博物館の威厳を放っていた。
常胤は保元の乱で頼朝のお父さんの義朝と一緒に戦かっている。そのことで、頼朝に父と呼ばれた武将と言われているらしい。
そういえば、大河で常胤役の「岡本信人」さんのサインが掲げてられていたっけ。天守閣のところまで上れて、景色がよくて風が気持ちよかった。この辺では妙見信仰があったらしく、北斗七星と北極星の説明板があった。
近くに千葉神社もあるという。あまりにも暑いので、そこの広場でサッカーの練習をしている横で、木の陰に固まってじっとしている鳩が面白かった。主人が鳥は体温が高いと教えてくれた。鳩もこの暑さは堪えているだろう。
次に、加曾利貝塚へ。土のにおいが立ちこもる小屋に入ると、実際に貝塚が残っていた。
成田山新勝寺へ。大きなお寺で、参拝者が全国1位であるらしい。加持祈祷のために訪れる人が多いという。歌舞伎の成田屋はここからきている。
ちょうど御朱印帳がなくなっていたので、買って、御朱印を書いてもらう。
ホテルに行くにはまだ時間が早いので、検索をして、「佐原」へ。伊能忠敬記念館があるという。
「小江戸のまち佐原」と呼ばれているらしい。町の中心に川が流れ、そのわきに店が並んでいた。
伊能忠敬記念館があって、その功績をたたえていた。この辺は、醬油が有名だそうで、駐車場の人に「正上さん」と教えてもらっていく。果たして、過去にたくさんの有名人が来ていてびっくりした。
成田山の近くのホテルに予約してあって、そこに泊まる。そこは高い割にはあまりきれいではなく、朝食もつかず、少しがっかり。でもまま仕方ない。窓から見たら、燕が電線に止まっていたのは、よかった。
3日目は佐倉にある国立歴史民俗博物館へ行く。少し早く着いたので、回りの公園を散策。佐倉城址があった。とにかくセミの大合唱である。
博物館は、時代ごとに第1展示室から第5展示室に分かれていた。第3展示室の近世(江戸時代位)までは何とか興味をもって見られたけど、第4と第5の文化や風習的なものや近代は余り興味が湧かなかった。
帰りは義母のデイサービス帰宅時間より早く帰らねばいけない。でも首都高は出口や入り口がちょっと心配なので、大回りだけれど、圏央道を使って帰ってきた。無事に時間内に帰宅できた。
残念だったのは、「城めぐり」アプリをやるのを忘れていて、1日目のホテルで寝てから思い出したことである。まあ久しぶりの旅行であるので仕方ないとしよう。1日目に行ったところのお城はゲットできなかった。2日目からやって、15のお城をゲットできた。有名なのは、千葉城、本佐倉城、佐倉城、城城(しろのじょう)位である。
でもこうやって旅行ができて、知らないところへ行ったり、はじめて知ることができたりと楽しむことができて、義姉さんには本当に感謝である。それに流しやお風呂場がきれいになっていて、お掃除もしてくれたみたい。
今回も義母のお世話を頼んでの旅行なので、ちょっと気が引けたが、それに、最初にお願いした長姉がコロナに罹ってしまい、近所の次姉に改めてお願いすることになり、それなりに気が重い出発となった。
でも、行ったら行ったで、初めての場所で、新しいことに出会い、知らないことを知ることができたり、それはそれは楽しい旅になった。
では、1日目から載せていこう。
海ほたるへは行ったことがなかったので、そこで昼食を食べようということで、東京湾アクアラインを通って、東京湾の真ん中に浮かんでいる?海ほたるへ。はじめのうちはスムーズにいっていたのだけれど、海ほたるへ入る段になって、道に迷ってしまって、逆方向の道路に入ってしまい、大井南というところで改めて入り直すという珍事にもあったけど、何とか行けた。海の下7メートルを掘った海底トンネルは、普通のトンネルと大差なく走れた。
次に、私が今回の旅行で一番楽しみにしていた「頼朝上陸の地」。そこは勝山海岸とあった。
もう10年位前に石橋山の合戦の地へ行ったことがある。負けた頼朝は山に隠れていて、しばらくして真鶴から船で房総半島へ逃げたという。真鶴の海岸を歩きながら、「こんなところから小船で大海へ行ったんだな」と考えたのを覚えている。その房総の地はどんなのかと胸が躍った。
果たして期待を裏切らなかった。この岩場にもしかしたら船が横付けされてたかもなんて思いながら、しばらく歩く。
当時は十何人かが住む小さな漁村であったそうな。こういう貴人が来ると村の人たちはいろいろ世話をするそうで、それに感激した頼朝は「安房を一国あげよう」といったのを「粟を一石」と勘違いした村人は、「粟より苗字が欲しい」と。「そうか、ばかだな」と答えた頼朝の言葉を、「左右加さん」「馬鹿田さん」と聞こえて、苗字にしたと伝説に残っているそうだ。
そして鋸山へ。そこには岩に掘った大きな仏像があるんだが、歩くと片道40分もかかるという。私たちの体力では限界なので、途中の「地獄のぞき」まで行くことにした。この日はとても暑い。少し歩いただけでも汗びっしょりである。ロープウエイ
で上まで行き、そこから歩くこと15分。崖が飛び出ていて、まさに下をのぞくと怖い。
下山して車の中へ。車では冷房が効いているので、過ごしやすい。
1日目はここまで。予約しておいた東横インホテル袖ヶ浦駅前で宿泊。きれいで値段もリーズナブルで良かった。
2日目は、はじめに千葉市立郷土博物館へ。ちょうど大河「鎌倉殿の13人」と絡めて、郷土が誇る偉人「千葉常胤」を中心に、分かりやすく展示されていた。常胤が住んでいた館跡には「千葉城」が作られていて、博物館の威厳を放っていた。
常胤は保元の乱で頼朝のお父さんの義朝と一緒に戦かっている。そのことで、頼朝に父と呼ばれた武将と言われているらしい。
そういえば、大河で常胤役の「岡本信人」さんのサインが掲げてられていたっけ。天守閣のところまで上れて、景色がよくて風が気持ちよかった。この辺では妙見信仰があったらしく、北斗七星と北極星の説明板があった。
近くに千葉神社もあるという。あまりにも暑いので、そこの広場でサッカーの練習をしている横で、木の陰に固まってじっとしている鳩が面白かった。主人が鳥は体温が高いと教えてくれた。鳩もこの暑さは堪えているだろう。
次に、加曾利貝塚へ。土のにおいが立ちこもる小屋に入ると、実際に貝塚が残っていた。
成田山新勝寺へ。大きなお寺で、参拝者が全国1位であるらしい。加持祈祷のために訪れる人が多いという。歌舞伎の成田屋はここからきている。
ちょうど御朱印帳がなくなっていたので、買って、御朱印を書いてもらう。
ホテルに行くにはまだ時間が早いので、検索をして、「佐原」へ。伊能忠敬記念館があるという。
「小江戸のまち佐原」と呼ばれているらしい。町の中心に川が流れ、そのわきに店が並んでいた。
伊能忠敬記念館があって、その功績をたたえていた。この辺は、醬油が有名だそうで、駐車場の人に「正上さん」と教えてもらっていく。果たして、過去にたくさんの有名人が来ていてびっくりした。
成田山の近くのホテルに予約してあって、そこに泊まる。そこは高い割にはあまりきれいではなく、朝食もつかず、少しがっかり。でもまま仕方ない。窓から見たら、燕が電線に止まっていたのは、よかった。
3日目は佐倉にある国立歴史民俗博物館へ行く。少し早く着いたので、回りの公園を散策。佐倉城址があった。とにかくセミの大合唱である。
博物館は、時代ごとに第1展示室から第5展示室に分かれていた。第3展示室の近世(江戸時代位)までは何とか興味をもって見られたけど、第4と第5の文化や風習的なものや近代は余り興味が湧かなかった。
帰りは義母のデイサービス帰宅時間より早く帰らねばいけない。でも首都高は出口や入り口がちょっと心配なので、大回りだけれど、圏央道を使って帰ってきた。無事に時間内に帰宅できた。
残念だったのは、「城めぐり」アプリをやるのを忘れていて、1日目のホテルで寝てから思い出したことである。まあ久しぶりの旅行であるので仕方ないとしよう。1日目に行ったところのお城はゲットできなかった。2日目からやって、15のお城をゲットできた。有名なのは、千葉城、本佐倉城、佐倉城、城城(しろのじょう)位である。
でもこうやって旅行ができて、知らないところへ行ったり、はじめて知ることができたりと楽しむことができて、義姉さんには本当に感謝である。それに流しやお風呂場がきれいになっていて、お掃除もしてくれたみたい。