わくわくグランディ鉄道ランド

鉄道の写真やNゲージレイアウトの製作の過程などを,気ままにブログします

足尾線のC12と桐生機関区 1970

2013年04月27日 | 国鉄の時代 足尾線

両毛線の桐生機関区を訪れたあと足尾線入りました。 1970.8.11

Img_20130407_0029

一見のどかに見える光景です。右に見えるのはキハ35系ですね。ツートンの現色なのがうれしい!

本線を貨物列車が黒煙を上げて出て行きました。  

渡良瀬川に沿って足尾線は進みます。     

C12は貨物列車の牽引に使用されていました。旅客は20系気動車です。        

冷房がない時代でした。このような光景は,日常的だったのでしょうか? 碓氷峠でもEF62で同じ光景が・・・・・。どちらも高崎鉄道管理局です。

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碓氷峠アプト旧線を歩く 1969

2013年04月25日 | 国鉄の時代 碓氷峠

 

横川駅から熊ノ平信号所まで旧線を歩きました。1969.7.20      

横川駅から歩き出したところの,有名スポットです。ひっきりなしに列車が行き交っていました。                   

さらに上っていった所。本務機であるEF62を先頭に,軽井沢方向へ勾配を上る下り貨物列車です。見るからに暑そう。撮影場所は不明です。  

いよいよアプト旧線に入りました。第3隧道の横川側入り口です。     

碓氷第3橋梁の上に出ると、新線の橋梁を軽井沢方面に上がっていく列車が見えました。この年には169系との協調運転が始まっていました。    

         

1969年夏の碓氷第3橋梁の上は,ご覧のような状況でした。           

碓氷第3橋梁上にあるキロポスト。信越本線,高崎を起点として33.8㎞地点です。今はありません。                                       

命をかえりみず!乗り出して・・・・・・!! 当時は”めがね橋”なんて,だれも言っていませんでした・・・・・。                                                                                                                     

汗だくになりながら,トンネルをくぐりぬけて、熊ノ平信号所に出ました。帰る手だてを考えていなかったのですが,撮影をしていたら,保線区の若いお兄さんが声をかけて下さり,保線区のライトバン(公用車!)で軽井沢駅まで送ってくれました。心に残る思い出です。

EF62が先頭で軽井沢を目指していますが、貨物か旅客か記憶にありません。(_ _)                                                            

再掲です。横川を目指して下っていきます。                                 

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旧熊ノ平駅舎 碓氷峠1969

2013年04月23日 | 国鉄の時代 碓氷峠

熊ノ平信号所は,1906(明治39年)から1966(昭和41年)まで鉄道駅でしたが,再度信号場に降格しました。1963年に旧線が廃止され,1969年に訪れた時には駅舎は残っていましたが,アプトの道として公開されている現在は,まったく面影はありません。      熊野平信号所 1969.7.20                                                                                                                                     

上は駅舎の正面,下はホーム側からの撮影です。      

 上り特急列車が,熊ノ平信号所を"下って”いきます。        1969.7.20           

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クモハ41+クハ55の製作に挑戦

2013年04月22日 | Nゲージ車両製作

旧型国電に魅せられて,リトルジャパン製クモハ41+クハ55(半流)未塗装車体キットを組みました。前面と側面が一体形成となっていて,屋根を載せるだけなので,とても楽に組み立てることができました。一番時間がかかったのは,床下パーツを取り付ける作業です。パーツの数が多く,図面を見ながら,番号を確認してパーツを切り離し,接着剤で一つずつ取り付ける作業は根気がいります。

屋根と前面接合部の隙間には,皆さん苦労をしているようです。屋根を取り外さない方針なので,パテで埋めました。右側は作業前です。

前照灯は大小あり,選択できます。クモハの方を大きくしてみました。     

パテの処理は難しいですね。なかなかすっきりしません。写真に撮ると,はっきり分かってしまいます。経験を積み重ねたいと思います。<(_ _)>

屋根とグローブ形ベンチレータは,マスキングをして適当にグレーで塗り分け,ボディはグリーンマックスのぶどう色2号を吹きつけました。前照灯とステップは手塗りです。          

パンタと密連はTOMIX製,インレタはグリーンマックスを使用しました。動力化はしませんが,前照灯を点灯させたいと思い,クモハのみ集電化しました。                                          

まずまずの出来具合かなと思います。キット組み立て初体験でしたが,いろいろと反省点がありました。これから腕を上げていきたいと思います。  

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山陰本線保津峡電化前 1970

2013年04月21日 | 国鉄の時代 保津峡

1970年の大阪万国博覧会を訪れた時に,京都まで足を伸ばしました。もちろん旧線です。   1970.8.16 山陰本線保津峡にて           

大きなデフはC57ですね。上りか下りか不明です。

保津峡駅を通過する貨物列車です。下りでしょうか。牽引機は不明です。たぶんD51?

キハ58系ですが非冷房ですね。たぶん急行です。        

キハ58系力行中! 川は手前に流れています。

DF50も客車を牽いていました。運転席から身を乗り出しているように見えます。

これは今も昔も変わらぬ光景ではないでしょうか。

これが「せんきゅーひゃく ななじゅーねんの♪」大阪バンコク博覧会! 太陽の塔ですよ。

会場内を周るモノレールです。 会期中に運行されました。

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両毛線電化直前 1968

2013年04月20日 | 国鉄の時代 両毛線

1968年9月1日の小山~前橋電化の直前です。客車はC58が牽引します。撮影日のデータは不明です。    

 

貨物列車はC50が牽引しています。   

Img_20130323_0009_new

バス窓です。キハ17系の普通列車でしょうか。

上野~高崎を小山経由で結んだ急行わたらせです。1966年に準急から急行になりました。

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C11 351 会津線 1968

2013年04月19日 | 国鉄の時代 会津線

C11 351号機牽引の下り只見方面行き貨物列車です。勾配を上がってきます。少々ピンぼけでしたが,シャッターを切ったあと機関士さんと視線が合ったので,軽く会釈をしたら,笑顔で敬礼を送ってくれました。今でも心に残るシーンです。  会津柳津~神戸 1968

                                                                                         

上の列車の後追いです。   

郷戸駅です。                                           

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C57 92とC11ほか 会津若松機関区 1968

2013年04月15日 | 国鉄の時代 会津若松

S43.11.23 会津若松機関区の風景です。C57 92は,新津機関区所属だったようです。  1968       

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東海道本線ですれ違った車両たち 1966

2013年04月13日 | 国鉄の時代 東海道本線

中学生の時,修学旅行専用列車167系「わかくさ」(品川~京都間の運行)に乗って,すれ違った列車を撮りまくりました。京都へ向かっています 1966.10

ずいぶん汚れていますね。            

115系の基本番台初期型ですね。非冷房で前照灯は大型の白熱灯,タイフォンは耐寒構造になっていません。                         

熱海駅と思われます。伊豆急行100系の7両編成のようです。

ぜひ撮りたい一枚でした。丹那トンネルを出たところで一枚。函南側の下り線からです。

以下、解説は不要ですね。

 

ナンバープレートが読み取れないのですが、2軸の先輪と7つ窓ですから、たぶんEF18形ですね。EF18は32~34号機が貨物機として生き残りました。撮影場所は不明ですが、3機とも浜松区の所属でした。

窓から乗り出して、後方を撮っています。座席が山側だったので、こちら側ばかりの画像になっています。京都に向かっています。

たぶん私が乗っていた車輌だと思います。

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115系と165系 小山電車区 1968

2013年04月11日 | 国鉄の時代 小山電車区

小山電車区(現・小山車両センター)は,宇都宮運転所にあった115系などを移して1966年に小金井駅北方に開設されました。 当初,宇都宮駅近郊に建設する予定でしたが,岡本駅や雀宮駅周辺の反対に遭い,現在の地に決まったそうです。お陰で,小金井~宇都宮間は,本数が少なくなったり,増結車両が切り離されるなど,不便を強いられることになりました。   1968.5.3 小山電車区 

115系基本番台で、タイフォンは耐寒タイプではありません。                                               

こちらは165系です。クハ165が上野側の時代です。

運転室の窓は、私が開けたままにしてしまいました。(_ _)

パンタは上がっていません。クハ165の運転台です。抑速ブレーキ付のマスコンがカッコイイのです。                           

モハ164 800番台の低屋根部分です。パンタグラフのところが低くなっています。まだ非冷房なので扇風機が・・・。                      

屋根の部分は、冷房化前の姿です。クハ165 11                          

運転台から顔を出しているのは、高校時代の私です。友人と二人で出かけました。かなり自由に撮影をしていますが、ちゃんと許可を得ています。その方法というと,とりあえず電車区の看板のかかった入り口から入って,初めて視線のあった方に見学の申し出をすると、広い事務所の一番奥まで連れて行かれ、事務所内がすべて見渡せる所にすわっているやさしそうな”おえらいさん”に歓迎され、”国鉄マン”の精神みたいなありがたいお話を長々と伺い・・(内容はほとんど頭に入りませんでした・・・)、注意事項をちょっとだけ聞かされて、お後はご自由にという感じ・・・・・。そんな時代でした。 

こんな編成も来ています。どのように運用されていたのかは不明です。別の日の撮影です。列車内から撮りました。クハ167-4です。カラーでなかったのが残念。中学校の修学旅行でお世話になりました。品川~京都間、往復乗車です。

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