横川駅から熊ノ平信号所まで旧線を歩きました。1969.7.20
横川駅から歩き出したところの,有名スポットです。ひっきりなしに列車が行き交っていました。
さらに上っていった所。本務機であるEF62を先頭に,軽井沢方向へ勾配を上る下り貨物列車です。見るからに暑そう。撮影場所は不明です。
いよいよアプト旧線に入りました。第3隧道の横川側入り口です。
碓氷第3橋梁の上に出ると、新線の橋梁を軽井沢方面に上がっていく列車が見えました。この年には169系との協調運転が始まっていました。
碓氷第3橋梁上にあるキロポスト。信越本線,高崎を起点として33.8㎞地点です。今はありません。
命をかえりみず!乗り出して・・・・・・!! 当時は”めがね橋”なんて,だれも言っていませんでした・・・・・。
汗だくになりながら,トンネルをくぐりぬけて、熊ノ平信号所に出ました。帰る手だてを考えていなかったのですが,撮影をしていたら,保線区の若いお兄さんが声をかけて下さり,保線区のライトバン(公用車!)で軽井沢駅まで送ってくれました。心に残る思い出です。
EF62が先頭で軽井沢を目指していますが、貨物か旅客か記憶にありません。(_ _)
旧型国電に魅せられて,リトルジャパン製クモハ41+クハ55(半流)未塗装車体キットを組みました。前面と側面が一体形成となっていて,屋根を載せるだけなので,とても楽に組み立てることができました。一番時間がかかったのは,床下パーツを取り付ける作業です。パーツの数が多く,図面を見ながら,番号を確認してパーツを切り離し,接着剤で一つずつ取り付ける作業は根気がいります。
屋根と前面接合部の隙間には,皆さん苦労をしているようです。屋根を取り外さない方針なので,パテで埋めました。右側は作業前です。
前照灯は大小あり,選択できます。クモハの方を大きくしてみました。
パテの処理は難しいですね。なかなかすっきりしません。写真に撮ると,はっきり分かってしまいます。経験を積み重ねたいと思います。<(_ _)>
屋根とグローブ形ベンチレータは,マスキングをして適当にグレーで塗り分け,ボディはグリーンマックスのぶどう色2号を吹きつけました。前照灯とステップは手塗りです。
パンタと密連はTOMIX製,インレタはグリーンマックスを使用しました。動力化はしませんが,前照灯を点灯させたいと思い,クモハのみ集電化しました。
まずまずの出来具合かなと思います。キット組み立て初体験でしたが,いろいろと反省点がありました。これから腕を上げていきたいと思います。
1970年の大阪万国博覧会を訪れた時に,京都まで足を伸ばしました。もちろん旧線です。 1970.8.16 山陰本線保津峡にて
大きなデフはC57ですね。上りか下りか不明です。
保津峡駅を通過する貨物列車です。下りでしょうか。牽引機は不明です。たぶんD51?
キハ58系ですが非冷房ですね。たぶん急行です。
キハ58系力行中! 川は手前に流れています。
DF50も客車を牽いていました。運転席から身を乗り出しているように見えます。
これは今も昔も変わらぬ光景ではないでしょうか。
これが「せんきゅーひゃく ななじゅーねんの♪」大阪バンコク博覧会! 太陽の塔ですよ。
会場内を周るモノレールです。 会期中に運行されました。
1968年9月1日の小山~前橋電化の直前です。客車はC58が牽引します。撮影日のデータは不明です。
貨物列車はC50が牽引しています。
バス窓です。キハ17系の普通列車でしょうか。
上野~高崎を小山経由で結んだ急行わたらせです。1966年に準急から急行になりました。
C11 351号機牽引の下り只見方面行き貨物列車です。勾配を上がってきます。少々ピンぼけでしたが,シャッターを切ったあと機関士さんと視線が合ったので,軽く会釈をしたら,笑顔で敬礼を送ってくれました。今でも心に残るシーンです。 会津柳津~神戸 1968
上の列車の後追いです。
S43.11.23 会津若松機関区の風景です。C57 92は,新津機関区所属だったようです。 1968
中学生の時,修学旅行専用列車167系「わかくさ」(品川~京都間の運行)に乗って,すれ違った列車を撮りまくりました。京都へ向かっています 1966.10
ずいぶん汚れていますね。
115系の基本番台初期型ですね。非冷房で前照灯は大型の白熱灯,タイフォンは耐寒構造になっていません。
熱海駅と思われます。伊豆急行100系の7両編成のようです。
ぜひ撮りたい一枚でした。丹那トンネルを出たところで一枚。函南側の下り線からです。
以下、解説は不要ですね。
ナンバープレートが読み取れないのですが、2軸の先輪と7つ窓ですから、たぶんEF18形ですね。EF18は32~34号機が貨物機として生き残りました。撮影場所は不明ですが、3機とも浜松区の所属でした。
窓から乗り出して、後方を撮っています。座席が山側だったので、こちら側ばかりの画像になっています。京都に向かっています。
たぶん私が乗っていた車輌だと思います。
小山電車区(現・小山車両センター)は,宇都宮運転所にあった115系などを移して1966年に小金井駅北方に開設されました。 当初,宇都宮駅近郊に建設する予定でしたが,岡本駅や雀宮駅周辺の反対に遭い,現在の地に決まったそうです。お陰で,小金井~宇都宮間は,本数が少なくなったり,増結車両が切り離されるなど,不便を強いられることになりました。 1968.5.3 小山電車区
115系基本番台で、タイフォンは耐寒タイプではありません。
こちらは165系です。クハ165が上野側の時代です。
運転室の窓は、私が開けたままにしてしまいました。(_ _)
パンタは上がっていません。クハ165の運転台です。抑速ブレーキ付のマスコンがカッコイイのです。
モハ164 800番台の低屋根部分です。パンタグラフのところが低くなっています。まだ非冷房なので扇風機が・・・。
屋根の部分は、冷房化前の姿です。クハ165 11
運転台から顔を出しているのは、高校時代の私です。友人と二人で出かけました。かなり自由に撮影をしていますが、ちゃんと許可を得ています。その方法というと,とりあえず電車区の看板のかかった入り口から入って,初めて視線のあった方に見学の申し出をすると、広い事務所の一番奥まで連れて行かれ、事務所内がすべて見渡せる所にすわっているやさしそうな”おえらいさん”に歓迎され、”国鉄マン”の精神みたいなありがたいお話を長々と伺い・・(内容はほとんど頭に入りませんでした・・・)、注意事項をちょっとだけ聞かされて、お後はご自由にという感じ・・・・・。そんな時代でした。
こんな編成も来ています。どのように運用されていたのかは不明です。別の日の撮影です。列車内から撮りました。クハ167-4です。カラーでなかったのが残念。中学校の修学旅行でお世話になりました。品川~京都間、往復乗車です。