中国と日本がまだ国交回復していない時、日本の青年が中国と交流しようと計画し、国内で様々議論され関係当局との交渉が行われたという、当時国会議員となっていた中曽根氏は「日本の青年が中国に行くと、共産主義に洗脳されるからダメだ。」と言って反対されたそうである。その後どのような経緯があったかわからないが、中国に行くことを認めてくれたという事である。
国交のない国に直接行くことは出来ず、当時国交のあったヨーロッパ経由で中国へ行ったそうだ。隣国へ行くのに遠くヨーロッパ経由で行かなければならないと言う事は、いかに戦争による問題が大きかったかと言う事ではないだろうか。
中曽根氏は、その後どのようにその青年たちとかかわったのかは知る由もないが、激動の昭和の時代を生き抜き、弱小派閥を率いて田中曽根内閣とも言われて総理大臣をやってきたことは、まぎれもない事実。
そういえば若かりし日の中曽根氏は借家住まいで、家主は長嶋茂雄氏と言う話をTVでよく聞いたことがあったな。