憲法解釈を変えなければならない危機とは何か
NO.1
国会探検 田中良紹氏 2015.7/31から 文節ごとに分けて紹介します。
参議院で安保法案の審議が始まる前日、礒崎陽介総理補佐官が「法的安定性は関係ない」との問題発言を行った。
礒崎氏は、
「集団的自衛権を駄目だと解釈したのは1972年の政府見解だが、その時はまだ自衛隊は海外に出ていく状況ではなかった。
その後40年経って、北朝鮮は核兵器やミサイルを開発し、中国も軍備を拡張しているのだから政府の憲法解釈が変わってもおかしくない」
と主張したのである。
40年前と比べて現在の日本は憲法解釈を変えなければならないほど「差し迫った危機にある」と安倍政権は考えている。
40年以上前から取材の現場にいたフーテン(本人)は
「いったいこの政権はどこに目がついているのか」と呆れる。
この40年間の日本政治と国際政治の関係を安倍政権は全く理解できていない。
◆
此処までが田中氏の考える安倍政権の「安保法案」に対する基本です。
それを田中氏の文節を歴史上から分けて紹介します。
<戦勝国の戦後の考えについて>
第二次大戦に敗北したドイツと日本は二度と軍事国家にならないよう武装解除され、米国は冷戦の始まりと共に欧州では西ドイツ、アジアでは日本を「反共の防波堤」として経済発展させる事に力を入れた。
ところが朝鮮戦争の勃発で米国の方針は一転する。
西ドイツと日本に再軍備を要求した。
特に日本には朝鮮戦争に出兵する30万人の軍隊が求められた。
西ドイツは要求を受け入れて徴兵制を敷くが、日本は吉田茂が憲法9条を盾に再軍備を拒否、代わりに軍需産業を復活させて米軍に武器弾薬を提供する事にする。
それが高度経済成長の出発点となった。
米国は自らが作った憲法9条によって日本を思い通りに動かせなくなる。
苦々しい思いの米国は憲法改正を要求するようになるが、しかし吉田は社会党に護憲運動を要請し、憲法改正させないための議席を与え、自衛隊の創設は認めたものの専守防衛の武力行使しかできない組織にする。
◆
吉田茂はなかなか強かだったわけです。
右翼の人たちが今でも言う「GHQの押し付け憲法を破棄し自国の憲法を作れ」と言いますが、吉田は日本が戦争に向かわない、向かわせない政治的判断をGHQが作ったといわれる日本国憲法の九条を逆手にとって、軍隊を作らず、戦争にも参加しない作戦を、社会党と水面下で組んで難を逃れたわけです。
つまり、社会党が政権を執ることがないことを承知の上で社会党の意見を無視できない状況を作ったわけです。
次のNO.2は1960年の安保改定です。
如月の指針より
http://blogs.yahoo.co.jp/hattor123inakjima/33647867.html
NO.1
国会探検 田中良紹氏 2015.7/31から 文節ごとに分けて紹介します。
参議院で安保法案の審議が始まる前日、礒崎陽介総理補佐官が「法的安定性は関係ない」との問題発言を行った。
礒崎氏は、
「集団的自衛権を駄目だと解釈したのは1972年の政府見解だが、その時はまだ自衛隊は海外に出ていく状況ではなかった。
その後40年経って、北朝鮮は核兵器やミサイルを開発し、中国も軍備を拡張しているのだから政府の憲法解釈が変わってもおかしくない」
と主張したのである。
40年前と比べて現在の日本は憲法解釈を変えなければならないほど「差し迫った危機にある」と安倍政権は考えている。
40年以上前から取材の現場にいたフーテン(本人)は
「いったいこの政権はどこに目がついているのか」と呆れる。
この40年間の日本政治と国際政治の関係を安倍政権は全く理解できていない。
◆
此処までが田中氏の考える安倍政権の「安保法案」に対する基本です。
それを田中氏の文節を歴史上から分けて紹介します。
<戦勝国の戦後の考えについて>
第二次大戦に敗北したドイツと日本は二度と軍事国家にならないよう武装解除され、米国は冷戦の始まりと共に欧州では西ドイツ、アジアでは日本を「反共の防波堤」として経済発展させる事に力を入れた。
ところが朝鮮戦争の勃発で米国の方針は一転する。
西ドイツと日本に再軍備を要求した。
特に日本には朝鮮戦争に出兵する30万人の軍隊が求められた。
西ドイツは要求を受け入れて徴兵制を敷くが、日本は吉田茂が憲法9条を盾に再軍備を拒否、代わりに軍需産業を復活させて米軍に武器弾薬を提供する事にする。
それが高度経済成長の出発点となった。
米国は自らが作った憲法9条によって日本を思い通りに動かせなくなる。
苦々しい思いの米国は憲法改正を要求するようになるが、しかし吉田は社会党に護憲運動を要請し、憲法改正させないための議席を与え、自衛隊の創設は認めたものの専守防衛の武力行使しかできない組織にする。
◆
吉田茂はなかなか強かだったわけです。
右翼の人たちが今でも言う「GHQの押し付け憲法を破棄し自国の憲法を作れ」と言いますが、吉田は日本が戦争に向かわない、向かわせない政治的判断をGHQが作ったといわれる日本国憲法の九条を逆手にとって、軍隊を作らず、戦争にも参加しない作戦を、社会党と水面下で組んで難を逃れたわけです。
つまり、社会党が政権を執ることがないことを承知の上で社会党の意見を無視できない状況を作ったわけです。
次のNO.2は1960年の安保改定です。
如月の指針より
http://blogs.yahoo.co.jp/hattor123inakjima/33647867.html
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