言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

ナチスと言われて、安倍総理は色を為して怒りましたが、そもそも、そのナチスに学べは、麻生太郎氏の提案でした。

2016-01-23 08:45:22 | 言いたいことは何だ

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昨日の新聞です。

【大拡散希望】

本日・1/22(金)、朝日新聞朝刊(関東・東北版)国際面対向に半ページ意見広告が出ます。コンビニで150円で買って、クチコミの道具(ツール)に利用していただきたい。クチコミが鍵です。

コメント付シェア期待します。「拡散希望」の4文字で、OK。世論を創るためです。

腹の底からこの危機感(即ち、【自民党改憲案(「緊急事態宣言」)の恐怖】を知った時に、生まれる危機感)を共有され,

ガンガン、コメントを付けて、情報拡散されるよう、期待します。

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【要約】
.淵船垢蓮緊急事態宣言発令(1933/2/28)の数日後に、独裁政権を樹立した。

▲淵船垢蓮∩憾委任法(1933/3/23)によって、独裁政権樹立に成功したのでは ない。
  【ナチスは、全権委任法により独裁政権樹立に成功したという常識】は、歴史 的出来事の日付の順序を逆転させもので、全くの誤り。

 正しくは、ナチスは、緊急事態宣言発令(1933/2/28)後数日間に、緊急事態宣 言に基づくき、共産党支持者等の反ナチスの人人(約5000人)を、司法手続き 無しで、逮捕・拘禁・強制収容所収監し、独裁政権樹立に成功した。

K秬減睫蛎膺辰蓮2013年7月、都内の公開の講演会で、

 「。。。ナチス憲   法。。。」、
  「あの手口を学んだらどうかね。」

 と発言した。今も尚、麻生氏は、財務大臣である。
  これが、現内閣の実態である。
  
  怖い!

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1932/11/6の選挙で、ナチスの得票率は、33.1%であった。
 残余・66.9%の選挙人は、反ナチスの各政党に投票した。

1933/2/28に、ドイツでは、ナチスのヒットラー首相は、大統領を介して、「緊急事態宣言」を出した。「緊急事態宣言」発令日(1933/2/28)から数日以内に、約5000人の共産党支持者等が,司法手続きなしで、逮捕・予防拘禁・強制収容所収監となった。

緊急事態宣言で、言論の自由、報道の自由、通信の秘密、集会の自由は、停止された。

緊急事態宣言発令日(1933/2/28)の数日後、ナチスは、民主主主義国家(ドイツ)で、独裁政権樹立に成功! 勝負有り!!

ところが、【ナチスは、全権委任法により、独裁に成功した】と一般に理解されている。
この常識は、ドイツ史の日付の順序を全く無視している。
ハッキリ言って、誤りである。

すなわち、

ナチスは、緊急事態宣言発令(1933/2/28)一本で、その発令日から後数日以内に、独裁政権設立に成功した。
その後に、独裁政権樹立を正当化するために、全権委任法を立法(1933/3/23)したに過ぎないからである。

ハッキリ言って、ナチスは、全権委任法の立法(1933/3/23)によって、独裁政権を樹立したのではない。

ァ峩杁淹?崟觚澄弉爾任△辰拭1933/11/12の総選挙(投票率・95%)では、ナチスの得票率は、92%。

【1932/11/6の選挙で、ナチスに反対する政党に投票した、全選挙人の66.9%の、ほぼ全員】が、ナチスを支持したのである。

その理由の一つは、【1932/11/6の選挙で、ナチスに反対する各政党に 投票した、全投票人】の66.9%の人人は、ほぼ全員、司法手続きなしの、大量の逮捕・拘禁、強制収容所収監を知って、生まれた、

  恐怖心と
  無力感と
  諦観から、

ナチスを支持したのであろう。

言い換えれば、1933年のドイツ人の心は、緊急事態宣言後の大量逮捕を知って、折れたのである。

λ寨茵短期であるはずの「緊急事態宣言」は、1933/2/18~ドイツ敗戦(1945年5月)まで、継続した。
 。。。。。。。。。。。。。。。。。
 市民・升永
♯違憲状態首相(=国会活動の正統性の無い議員。憲法98条1項より)

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