言わなければならない事は言わないと前には進まない

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SEALDsメンバーと新聞に投書をした元予科練男性(86歳)の出会いを追う──TBS「報道の魂 『民主主義何度でも~ SEALDs 2年間の軌跡~』」

2016-01-23 08:30:54 | 言いたいことは何だ
1月17日の深夜に、30分ものだが見ごたえのある放送があった。
 
TBSの「報道の魂」──「民主主義何度でも~SEALDs 2年間の軌跡~」と題して、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)を追ったものだ
 
 

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彼らの行動は、2013年12月、特定秘密保護法が成立した夜、わずか約10人の学生たちが集まって「特定秘密保護法に反対する学生有志の会SASPL」を結成したことから始まった。


番組は、12月9日。特定秘密保護法に反対するデモで「何かが終った、民主主義が終ったと言ったいう人たちがいました。そのときに僕たちは、またそこからまた始まったのです」「特定秘密保護法反対!」とアピールするところから始まる。
 
法を勉強し、問題点を指摘し続け、やったこともないデモに臨み、自分たちの言葉でどんな社会に生きていきたいかを訴えた。
 

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そして去年5月3日、特定秘密保護法に対してだけではなく、自由で民主的な社会を守るためとして「SEALDs」を立ち上げた。
その10日後、安倍政権は、安保関連法案を閣議決定した。
 
2015年の終戦70年目の夏。国会前で、SEALDsは連日のように、「民主主義って何だ!」「憲法守れ!」と訴え続けた。それは、母親たち、高校生、学者、文化人、宗教団体など、さまざまな分野に、しかも全国各地にひろがっていったのである。
 
 
 
そんな中で、国会前で抗議を続ける彼らの姿を見て、元予科練の男性が新聞に投書を寄せた。
 

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京都府に住む加藤敦美さん(86歳)。「学生デモ 特攻の無念重ね涙」と題した投書だ。
 
奥田愛基さん(明治学院大4年)は、8月14日の国会前で「メンバーがよくここに来る前に毎回読む新聞記事がある」と紹介しながらその投書を読み上げた。思わずこみ上げるものがあった。
 

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投書を読んだ後涙で声をつまらせながらこう言った。
「民主主義が終ったとか平和主義は終ったとかいう人がいるけど、戦後民主主義はクソだとか言っている人もいめけど、なんだかんだいって、その歩み野中で俺たちは個々で立っている。少なくとも俺はここに立っている」
 
 
その一週間後の8月22日に奥田さんと長棟はなみさん(恵泉女学園大3年)らメンバーが、京都へ加藤さんに会いに行った。
 

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以下は、加藤さんと奥田さんらのやりとりの一部である。
 

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加藤さん「東京から、あらごくろうさま」
2人「お会いできてとてもうれしいです」
加藤さんは耳が聞こえないらしく「お聞きになりたいことをちょこちょと書いて」とレポート用紙を渡した。そのメモを見ながら加藤さんは次のように語った。
 
 
あなた方の自由闊達なデモを見ているとね、本当にこの人たちは生きているなと思っの。思ったというより感じたんですね。
この人たち自分の命を生きている、そうしたワーッときちゃって。
 
あーっこの人たち生きているって。
俺たちもこんなふうに生きていたかったなって。そうしたら、自然に出てきた、「おーい」ってのが、よびかけが。
 
先輩たち、同輩たち、今おれたち生き返ったぞって。
 
 

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俺たちは生きていなかったな。予科練生になって毎日殴られた。
「お前たちは帝国軍隊の面汚しである」「人間のくずである」と言われた。
そうするとそれまでは、天皇のため、お国のためと思って予科練に入ったら、「おまえたちは犬畜生にも劣るクズだ」と言われて殴られる。自分たちの思うことは何の価値もない。ただ従うだけ。命令されたことだけをやる。
整列していると隣のやつがこう言う。ようわからんように、わかったらぶん殴られるから、「俺たち地消耗品だとよ」と言いやがった。私が何て答えたか、「まったくだ、その通りだな。俺たち消耗品だわな。」って。
 

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普通モールス信号打つんだけど、特攻隊が突っ込むときは押しっぱなしなんですよ。ピーーッとなってフッと消えるんですよ。また、ピーーッとなってフッと消える。そしたら班長、5年も6年も海軍で電信やっている人たちだから、「今の音は特攻機が突っ込んだ音や」というんですよ。その瞬間に死んでいくわけでしょう。自分たちと同じ若者が。そしたらあのピーーって何だろう。最後までつながっていたいんですよ。「見捨てないでくれよ」という合図ですよね。最後に死んでいく者は。
 
 
私たちは何もなかった。空っぽにされて、終らせられた。それから70年がきた。
そこであなた方を見たんだ。あぁ生きてるわ。
本当に生きて、個というもの生きている。それ見るだけでねー泣けちゃうなんですよ。
俺らもこんなふうでいたかったなって。
 
希望ですよ!憲法は。
それを自分の身体で表しているのがあなた方なんですよ。
終ったところから始まったです。憲法9条は。
それが今、あなたが方で花開いてるんです。
 

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加藤さんご夫婦は、国会前でのSERLDsメンバーのスピーチの動画を、奥田さんたちが持参したパソコンで見た。
 

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7月16日に衆院本会議で可決された3日後のデモでの女性のスピーチだ。
 
 
「私はまだ10代で選挙にいったことがありません。
でも自分の子どものことや孫のことを考えます。
彼らに私が感じた大人への失望や未来への絶望を絶対にかんじてほしくありません。
この声をあげつづけることが大切です。
絶対あきらめない絶対許すさない。なめんな。
ニュースや新聞を見るたび心のそこから感じる怒りをエネルギーに変え、
こうして何度だって反対の意見を表しましょう。
 
2016719日戦争法案に反対します。ありがとうございます。」
 
 
スピーチの動画を加藤さんは、目を潤ませ、鼻を詰まらせながら見た。見た後に「まあ、おれらの若い頃はみじめやった。なっ。ものすごい違いやね。」と言うと、奥さんが「ねー。今はね~。」といいながら「これでがんばれるわ。ねっ。」と自分にも加藤さんにも言い聞かせるかのように言った。
加藤さんが「よかったな」と言うと奥さんも「よかったです」と相づちをうった。
 
帰りがけに、2人は、文字でお礼をした。
奥田さんは「ありがとうございました。また、毎週、声をあげていきたいと思います。私は毎回デモに行く前に、あの新聞の記事を読んでます。また会いたいです。  奥田 愛基」と書いた。
 
それを読んだ加藤さんは、「ありがとうありがとう」「よく来てくれた。ありがとう」と何度も2人に言った。
 
帰ってから長棟さんは、加藤さんに手紙を書いた。 
 
「加藤さんが新聞に寄せた文書を読んだ後、いつもの国会前の風景がいつもと違って見えました。数えることのできない人々の思いがここには一緒に立っているんだと気がつくことができたのです。」
 


最後の場面。奥田さんは、公園を歩きながら「久しぶりに空を見たな」とつぶやきながらこう言った。
「やっぱあれ(投書)見たときに、すごく、なんていうんですかね、日本国憲法とか戦後の歩みとか、そこに自分たちがいるっていうか、そこにつながりがあるっていうか、うーん、そういうものをすごく感じるっていうか。……」


 

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SEALDsの学生たちは、安保法案が通った今も、引き続き学びながら、路上に立って、社会に問い続けている。
──「民主主義って何だ」と。
 
 
 
日本の未来には希望もあると思った。
 

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