言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

ナチス時代のドイツと現在の日本がここまで似ている様に戦慄を覚えます

2012-07-22 19:43:23 | 言いたいことは何だ
●「ヒトラー・ユーゲントの若者たち」 S.C.バートレッティ  2010年10月30日発行
   より、一部抜粋 (中略あり)
 
  ※ヒトラー・ユーゲント
       ヒトラー青年団。
       1936年の法律によって、10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられた。
 
  ※水晶の夜事件
       1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動である。
       ユダヤ人の住宅、商店地域、シナゴーグなどが次々と襲撃、放火された。
       この事件によりドイツにおけるユダヤ人の立場は大幅に悪化し、
       後に起こるホロコーストへの転換点の一つとなった。
       なお、水晶の夜という名前の由来は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて
       水晶のようにキラキラきらめいていたことにあるといわれている。
 



 
「水晶の夜」という事件自体、とてもショッキングなものだったが、
もっとショッキングだったのは、何十万人もの一般のドイツ人が、
ユダヤ人の隣人たちが虐殺されたり、暴行されて軍のトラックで連れ去られたりするのを、
何もせずに傍観していたことだ。
「あの日、ドイツ人が団結して立ちあがり、ユダヤ人を助けるということも起こりえた」
歴史家のダニエル・ジョナ・ゴールドハーゲンは言う。
しかし、彼らはそうしなかった
 
 
「水晶の夜」の暴動がもたらした物質的損失は莫大だった。
ユダヤ人は、自分たちの会社やシナゴーグ、
その他の建物の修理や修復の費用を自分たちで払わなくてはならなかった。
「水晶の夜」はユダヤ人たちにとって「絶望の夜」だった。
混乱し、おびえた彼らは、目の前で起こっていることが信じられなかった。
こうした迫害は一時的なもので、やがて事態はよくなるだろうと自らに言い聞かす者もいた。
彼らは、ヒトラーやナチスは短命な現象に違いないと信じていた。
 ドイツを脱出するときが来たと考える者もいた。
「水晶の夜」のあと、およそ11万8千人のユダヤ人
・・・ドイツのユダヤ人全体の25%・・・が、自分達を受け入れてくれる国へと移住した。
 
 
多くのユダヤ人は、ドイツから脱出したくても移住できるだけの経済的余裕がなかった。
大家族の場合は特にそうだった。
それはゼロからやり直すことを意味していました
友だちを捨て、家族を捨て、故郷を捨てなくてはならなかったのです
 
 
アメリカ合衆国にもビザの申請者が殺到した。
アメリカ人の中には、ユダヤ人難民をもっと受け入れるよう政府に働きかける者もいたが、
移民が来るとアメリカ人から職を奪ってしまうのではないかと心配する人間のほうが多かった。
そのため、合衆国は移民の割り当て数を厳格に守った。
 1939年、合衆国をはじめとする諸外国は、
とうとうユダヤ人難民に対して扉を閉ざしてしまった。
 1941年、ナチスはユダヤ人の移住に対して決定的な一撃を加えた。
18歳から45歳までのユダヤ人の移住を禁じたのだ。
その年、ナチスはユダヤ人全員に黄色のダビデの星を身につけることを義務づけた。
 ヒトラー・ユーゲントの中にも、こうしたユダヤ人の扱いに対して
良心の呵責を感じる者はいた。
「ユダヤ人に対するこのやり方は、わたしにはとても納得がいきません」
 
 
ハイル・ヒトラーの敬礼は法律だった。
パトロール隊は、正しいやり方で敬礼をしない者は、
だれであろうと咎めた。
 
 
「すでに、子は親を信じることができず、親も子を信じることができないという段階まで来ていたのです」
 
 
何百万人もの犠牲者を出した計画的殺人について、
一般のドイツ国民が何も知らなかったなどということが、ありうるだろうか。
ホロコーストを生きのびたイタリア人作家プリーモ・レーヴィは、
それを「故意の無知」と呼んでいる。彼は言う。
「ヨーロッパの真ん中で、だれにも知られることなく何百万もの人々を虐殺するなどということが、
どうしてできるだろうか」
 つまり、ドイツの人々は、ユダヤ人やユダヤ人の家族に何が起こっているのかを、
自分の目で見ていたのである。
 
 
(ラジオで)毎夜イギリスの戦況報告を聞き、それをドイツのニュースと比較した。
まもなく、両者が一致しないことに気づいた。
ヘルムートは、ナチスがドイツ国民にうそをついているのだと考えて、
放送の内容をメモしはじめた。
 ヘルムートは、ドイツ国民にはナチスの真の姿を知る権利があると考え、記事を書いた。
タイトルは、「殺人鬼ヒトラー」「ヒトラーこそ罪人だ」
あなたはだまされているのを知っているか?」「ナチスを信じるな」などだった。
 「ぼくはただ、ドイツの人たちに考えてもらいたいんだ。
きみだって、ハンブルクの人たちに、真実を知る権利があると思わないかい?
だけど、みんながラジオをもっているわけじゃないんだ」
 
 
1942年の夏、ミュンヘン大学の勇敢な学生グループが、
ユダヤ人たちの悲惨な状態を知って、立ち上がった。
彼らはそのことを一般の人々に知らせようと、大胆なビラをつくって、
ミュンヘンやその他の南ドイツの町に何千枚も撒いた。
ビラは、ドイツの人々にこう訴えかけていた。
「我々はまず、次の事実を指摘しておきたい。
ポーランドが制圧されて以降、この国では30万ものユダヤ人が、
残虐この上ないやり方で殺されてきた。
我々は、人間の尊厳に対する最も恐るべき犯罪を目撃しているのだ。
これは史上類を見ない犯罪である。ユダヤ人も人間なのだ・・・
 
この学生グループは、自分たちを「白バラ」と呼んだ。
 



 
これはどこの国で、いつの時代に起こっている話なのでしょうか?
読んでいるうちに、わからなくなってきました。
 
「歴史は繰り返す」まさにその通りではないでしょうか。
 
黄色いダビデの星が、福島の子どもの首から下がる線量計と、だぶってしまいました。
 
この本の筆者は最後に、
あなたは、そのような影が、
あなた自身やあなたのまわりの人々の上に忍びよってきたとしたら、
それを防ぐために、何をしますか。
と結んでいます。
 
ドイツの過ちを、日本で繰り返してはならないと思います。


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1 コメント

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Unknown (琵琶)
2012-07-22 20:32:00
この記事は随分転載されていますね!
戦慄を覚えつつも、若いかたがたが、ブログで転載を重ね、歴史に学んでおられることに頼もしさも覚えます。
紫陽花革命が一定の成果を納めつつあるのも、運動の累積があるからだと思います。
TPPが急を告げてきました。野田内閣のしぶとさには敵ながら、舌をまきますね!ただ、今日の赤旗には、米国内でも、日本の加盟に反対する勢力のあることを伝えています。
出来れば明朝記事にしようかなと思っています。
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